「鳳凰の声を聴け」

仕事柄、ただひとり、ひたすらに机に向かうことが多いのですが、
何日間も閉じこもって仕事をしていると、世界がどんどん狭まってくるように思い、だんだん悲しい気持ちになってきます。

今日みたいないいお天気の休日にこもっていると特に…^^;

そんな時には、A老師の揮毫を拝見すると、気持ちが落ち着いてきます。
ちょっとカジュアルで恐縮ですが、一番目に入る机の正面にぺたりと貼らせていただいてるんですね。

以前大変お世話になっている先生にお供して、A老師をおたずねした際に、ご案内くださったNさんが、師の揮毫を印刷されたとのことで、わけてくださったものなんです。

A老師の柔らかで優しい物腰は、私のような門外漢でも一瞬にしてその大きさを感じ取れてしまうような方でした。全く詳しくないですが、禅僧の理想のお姿を見たような気がしたものです。

「聴鳳」

恥ずかしながら、正しい意味を分かっているわけではありません。
でも、この何とも言えない美しい文字を見ていると、世界が広がっていくような心地がするのです。

「鳳」とは、鳳凰の「鳳」ですが、「聴」とあるからには、「聴く」ということでしょう。「聴く」としたら〈鳳凰の声〉か、あるいは鳳凰の鳴き声から律を定めて造られたという竹の笛《鳳笛》のことでしょうか。

姿が見えなくても、声〔音〕は聴こえます。
たとえ、孤独でもその声は聴こえてくるはず。聴こえないのは、自分が聞きたくないからなのではないか、と。

「鳳凰の声を聴きなさい」
――見えているもの、自分でわかることだけがすべてではない。
もっともっと大きなものが世界にはある。
その豊かさを、大きさを感じなさい。

……と。

私にとっては、そんな意味に思えてくるんですね。

そうすると、なんだかちょっと安心するんです。

そんなわけでして、本日ももう少し仕事がんばります。
そして夕方は剣道のお稽古に行くぞ~!おーー!!!

 

信州の聖地・戸隠神社の「宣澄踊り」にちょっとだけ参加させていただきました!

オーストリアから帰省中の友人と旅に行こう!という話になった時、「いかにも日本な場所がいいな」、そんなふうに考えて、ふと思い浮かんだのは、信州は戸隠。

そんなわけで、戸隠(と長野善光寺)に行ってきました~!

ここのところお天気が良くないので、ちょっと心配していましたが、奇跡のように行く先々で回復。思いがけない出会いも重なり、素晴らしい旅になりました。

いやあ、ほんと。
私ったら、旅に出ると本当にツイてるんですよ。
われながらもってるなあ、と言わざるをえません。今回もそんな幸運の連続でした!

(写真:戸隠神社中社)

修験者でTVディレクターという異色のご経歴を持つMさんのお声掛けにより、宿泊先のご主人のご手配をいただき、戸隠神社中社の「宣澄(せんちょう)踊り」に参加させていただいちゃいました。

今回の旅では、思いがけない幸運がたくさんありましたが、中でもこの「宣澄踊り」に参加させていただいたことが最も大きな幸運でした。


宣澄踊り」とは、室町時代に実在し、不遇の死を遂げた「宣澄」阿闍梨(あじゃり)という天台系の大先達(だいせんだつ)を偲ぶお祀りです。
お酒好きだったという宣澄さんを偲び、みんなで踊ってお酒を飲む……。戸隠修験にとってとても大切なお祭りなんだそうです。
長野市無形文化財だそうですよ。

いつもは中社の横にある「宣澄社」の前の建物で行うそうですが、建物が修復中とのことで、近くにある集会所(?)で開催。

この踊りの特徴は、修験にとって大切な数字「七」を意識しているとのことで、「七拍子」を多用すること。そして、「足を払う」動作があること。北信濃一体の様々な踊りのおおもとになっているんだそうです。

私と友人も、お酒をいただいて、さらに踊りも教えていただき、踊りの輪の中に入れていただいちゃいました!いやあ、ほんと楽しかった~!

保存会の皆さんのアドバイスをもとに、翌日には、火之御子社、宝光社、中社、奥社、九頭竜社すべて拝観できました。お天気も良くなって、鏡池にも行けましたし、何から何までカンペキ。
〔写真:奥社・随神門)

しかし、今回はとにかくアウトラインをなぞっただけな気がします。とにかく時間が足りない!もっと時間をゆっくり滞在しなくては…と強く思いました。ぜひまた近いうちに参拝したいと思います。

最後になりますが、保存会の皆様、突然の参加に快く応じてくださってありがとうございました!ぜひまたお詣りに行きます~!

そして、一緒に連れて行ってくださった、宿のご主人、そしてお声かけてくださったMさん、改めて御礼申し上げます!

(むとう)

6月23日は「慰霊の日」――沖縄に思いを馳せる日

沖縄県民、そして沖縄を愛する人はよくご存じだと思いますが、今日は「慰霊の日」です。

太平洋戦争でアメリカ軍が沖縄に上陸、「沖縄戦」を開始したのが1945年4月1日。
6月23日に、日本帝国陸軍第32軍司令部が自決したことをもって、組織戦の終結とし、「慰霊の日」として、アメリカ施政下にあった琉球政府が定めた記念日です。

1972年に本土復帰となり、一度法的根拠を失いましたが、1974年に沖縄県が条例で、改めて「慰霊の日」と定めたとのこと。沖縄県では、この日には、死者を弔い平和を願う式典が開催され、各局各新聞で特集・特番が組まれます。

しかし、私は沖縄に通うようになるまで、この記念日を知りませんでした。

それも偶々、この時期に沖縄を旅したことがあり、町中が祈りに包まれている様子を見て、それで知ったんです。そんな大切な日を私は知らなかったのか…と、心の底から自分にがっかりしたことをよく覚えています。

「終戦の日」は、8月15日。これは皆さんよくご存じかと思います。

しかし、あの悲惨過ぎる沖縄戦が終わったとされる日、「6月23日」のことは、沖縄以外にいますと、知らないままでいることも多いと思います。

でも、私は、知ることができました。
以来、この日は私にとって「沖縄を思う日」になっています。

何ができるというわけではありません。
しかし、「知る」ということ、「忘れない」ということ、「思う」ということが自分にできる唯一のことではないかと思います。

あの美しい島の大地には、今も、真っ白な悲しい骨がたくさん埋もれているのです。そのことを思いたいと思います。

どうか、どうか、魂の安からんことを。