英語版記事も(たまに)アップしていくことにしました!

日本の文化を紹介していくために、ありをりある.comでは、英語の記事も掲載していくことにしました。DeepLの翻訳ツールを使ってなので、ちょっとおかしいところがあるかもですが、そこはまあそれとしてね。だいたい意味をお伝えできればいいかなと。

私が書く記事は、ネイティブ日本人にとっても濃いめでマニアックと言われてしまうので、ちょっとどうかなと思います。でも世界は広いですからね、そんな濃い情報を欲している人もいるかもしれない。

そんなわけで、まだまだ知られていない日本の文化や歴史について、物好きな海外の方にも知っていただけたら嬉しいなと思ってます。
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I’ve decided to put up the English version of the article too!

In order to introduce Japanese culture, Ariworiaru.com has decided to publish articles in English as well.I used DeepL’s translation tool, so it may be a little funny, but that’s okay. I hope to be able to tell you what it means.

I’m not sure about the articles I write, because even for native Japanese people, they’re often described as dense and maniacal. But it’s a big world, and there may be people who want such dense information.

So, I’d be happy if people from overseas who love things could learn more about Japanese culture and history, which is still unknown.

Editing and writing by MUTO Ikuko

『鬼滅の刃』と「大江山の酒呑童子」で鬼脳になったので、「鬼鎮神社」に行ってきました。

先日、YAMAP MAGAZINEのお仕事で、大江山の酒呑童子を取材してきました。酒呑童子と言えば、鬼ですよね。そしていま鬼と言えば、そりゃもう『鬼滅の刃』なんでしょうね。剣道のお稽古で会う小学生の子らも、『鬼滅の刃』大好きです。

そこで、私も漫画もアニメも見てみたかったんですけど、なかなか時間がとれずにおりましたが、取材も打ち合わせの予定も飛んでしまった今こそチャンス!と思って、とりあえず、Amazon のPrimevideoで、アニメの方を一気見してみました。

なるほどねえええ。

正しい。
あまりに正しいジャンプ作品!

そして、こういう作品がちゃんと普通の子どもたちにもてはやされる状況、自分が子どもの頃と変わらぬ何かを感じて嬉しくなりましたよ。

民俗学系ファクターてんこ盛り。謎が謎を及ぶけど、一番太い軸はシンプルで(鬼にされてしまった妹を人間に戻したいというミッション)、ジャンプの三大原則「友情、努力、成長」をこれでもかと投げ込んでくる。
「人を信じること、善いことをしようと努力すること」が、かっこよくもないし、報われないこともあるという谷間を必ず入れてきてからの、どーん!
でもやっぱ突破するのは、自分の信じる力や努力の先にある何かやで~~!(なぜか関西弁)という、あれ。いいよ、いいよ。うんうん。

それからね、漢字って、カッコよければ難読漢字って、むしろカッコよさ3割増させるよね。これ見よがしに繰り出してもいいよね!…などと、いろいろ思い出しました。子どもの頃の頭の柔軟さを。漢字難しいのなんか、好きだったら一発で即インプットですよ。「真菰」とか、歴史小説だとしても絶対ルビ振りますけど、たぶん鬼滅の刃好きな小学生は、秒で読めますよ。

さてさて、そんなこんなで、「鬼」の取材を終え、そう言えば地元の鬼の神社には、だいぶお詣りしていないぞ、ということに気付きました。日本全国でも、鬼を祭りしている神社は四社。そのうちの一つ「鬼鎮神社」が、埼玉県にあるんです。

そんなわけで、「鬼鎮神社」さんに行ってきましたよ~!!

「鬼はね、悪いことするばかりじゃないんだよ、先生が住んでいる場所のあたりは、鬼はいいことをしてくれるから、節分では、『鬼はうち』っていうの。『福は内、鬼は内、悪魔外』って言うんだよ」

小学校2年生の頃の担任の先生が、そんなふうに話してくれたことを、今も鮮明に覚えています。たぶん、先生のお宅に遊びに行ったことがあって、その時にその鬼をまつる神社にも連れて行って下さったと思うんですが、以来、参拝していませんでした。

子どもの頃お詣りした時とは、周りの状況が変わっていて、かなり驚きました。昔はかなり緑の多い場所だったと思うんですが、今は住宅地の真ん中って感じ。

いた~!
鬼さま~!

こちらの鬼様は全然怖くありません。こちらの絵があったかどうかは定かではありませんが、子どもの頃も、鬼って怖くないんだなと思った記憶があります。

なんといっても、境内が明るいんですよ。からっとしてる。霊感も何かを感じ取る力もありませんし、何の根拠もありませんけども、この場所が持っているのはどちらかと言えば「陽」ではないかな、と思います。

お詣りを済ませると、御守りを販売しているところに、人影が。平日の日中なのでまったく期待してませんでしたが、だれかいる!?ふらふらと寄っていくと、ガラス戸を開けてくださいました。

顔を出してくださってのは、なんと宮司さまでした。せっかくだからと御守りに「鬼の金棒」を買おうと思って迷っていると…

「迷ってるなら両方持っていきなさい。おまけしてあげるよ」

えええええええ!?
だ、だめですよ、それは!!そう言って恐縮する私に、宮司さまはニコニコしながら、「細かいこと気にしないで、今日は特別。よかったら、中に上がってお詣りしていって」そんなふうに言って下さったので、私は恐縮しながらも中から拝観させていただきました。

中に入ると、何だかこれまた、明るい!優しい空間!

堂内には、献納された絵馬などがたくさん飾られていました。この写真の中央のものは、慶應年間のものだそうで、江戸末期のもの。宮司さまがおっしゃるには、この神社の由来はなかなか詳らかではない面もあるようですが、江戸時代には「鬼」にお祈りする神社という今の形が存在したことが、これらの絵馬でわかる、とのことでした。『日本歴史地名大系』によりますと…

「畠山重忠が菅谷館の築城にあたって、同館の鬼門除けとして祀ったのが草創と伝える。衝立久那止命(ついたてくなどのみこと)・八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)を祀り、旧村社。「風土記稿」では「鬼神明神社」とあり、村民持であった。」(『日本歴史地名大系』より)

御祭神の三柱は、名前こそ違いますが、疫病や災害をもたらす悪霊や悪神が集落に入ることを防ぐ神である「岐(くなど)の神」ですから、意味合いは同じです。ただここで問題なのは、これらの神々といわゆる鬼神は、あまり関係がありません。本来は、鬼神を排除するというか、敵対する存在なのです。


この3柱の神を鬼門除けとして祀ったというのは、わかります。「鬼門除け」…鬼の通り道を封じるという意味合いですからね。でも、こちらの神社では、鬼は、善い存在です。封じるどころか、「内に入ってください」と言われる存在として、慕われています。

ううむ。なぜだ。

実は、こちらの草創に関しては、もう一つ全然違う印象のストーリーが伝わっています。

ーーこの地区には、昔刀鍛冶が住んでいた。刀鍛冶には美しい娘があり、ある日若い男が求婚者としてあらわれる。刀鍛冶は「一日に100本の刀を打てたら、娘を嫁にやろう」と言うが、この条件は、実現不可能な提示。しかしその若い男は、ならば…と、刀を打ち始める。あっという間に打ちあがっていく刀を前に青ざめる刀鍛冶、とても人の伎ではありえない。ふと見ると、若い男は鬼の姿に変貌していた。しかし結局、99本目で日が明けてしまい、約束を守れなかった若い男は、そのまま息絶えた。後悔した刀鍛冶は、その若い男(鬼)を祀り、弔った。それが今の鬼鎮神社の大元だ……というお話。

このお話に添っていくと、御祭神とはこの若い男(鬼)になりますよね。しかし、その印象は、現在の御祭神とはだいぶ違うように思います。

うーん。わからない。ただ「鬼が刀を打つ」という場面が描かれていることから、「鬼=製鉄集団」説と付会するなあ、という点だけは、はっきりわかります。そしてもう一つつながりそうなこととしては、この地域が古くは「志賀」に属していたということです。「志賀」という地名は、私がこだわって追っている「海人族」に関わる地名として有名ですし、金属にまつわる氏族が居住した地域に多い地名でもあります。何かこう、残り香みたいなものが、ないわけじゃないという気がしますね。これは、ちょっと調べてみないと。

いずれにしても、この地域の周辺には、渡来系にゆかりのある場所が多いですし、また古くからひらけていた場所でもあります。残されているものは少ないと思いますが、もうちょっと深読みしてみたいと思います。

さて、そんな(濃い)課題を胸に抱きながらも、宮司さまがもたせてくださった御守りの数々を眺めています。これだけ「鬼に金棒」をいただきましたからね。幸先良し!がんばろっと。

鬼鎮神社の情報→嵐山町旅の達人サイト
東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩で15分。

 

2020年、新年のご挨拶

新年、あけましておめでとうございます!

この年末も、またもやバタバタしてしまいました。余裕のある年末年始を過ごすことが毎年の課題になってしまってますが、フリーの身にとって忙しいことはやっぱりいことですよね。……と、前向きに前向きに。

皆様はいかがお過ごしでしょうか?

2019年は2018年に引き続き、微力かつ牛歩ではありますが、一つ歩を重ねられたかな?と思える一年でした。

2019年を振り返ってみると、まずは最もうれしかったこと。それは、ずっと担当させていただいております畠山健二先生の書下ろし時代小説シリーズ『本所おけら長屋』が、累計100万部を突破したということです~!

本当に畠山先生、そしてPHP研究所の皆様のご尽力の賜物です。私は微力ですがそのチームでご一緒できたことを、誇りに思います。先生、PHPの皆様、本当にありがとうございました。
2019年には、12巻13巻が刊行されております。そして旧年ちゅうに、先生からは次巻(14巻)の最後の一話をお預かりしておりますので、着々と今年も進行しておりますよ~!お待ちの皆様、もうちょっとご辛抱ください♪

そして、五木寛之先生も『人生百年時代のこころと体の整え方』を皮切りとしてスタートした『人生百年』シリーズの第二弾、『悩みながら生きていく』を刊行することができました!!二弾目が出ないとね、「シリーズ」とは言いがたいですからね、ホッとしました。

そして、7月には初めて関裕二先生の担当をさせていただき、『万葉集に隠された真実』が刊行されました。関裕二先生は、昔からファンだったので担当させていただけて本当に嬉しかったです。平成から「令和」になった今年に、記念すべき万葉集の本をお手伝いで来て、古代史ファンとしては至福の時間を過ごさせていただきました。

じつは、ありがたいことに次のご本も担当させていただけることになり、現在編集中なのです。次のご本は、『日本書記』をポイントにしつつ、関先生流の古代史の読み解き方を大公開してしまう!という内容です。次のご本も面白いですよ~!

そしてそして、年末に『男はつらいよ 寅さんの人生語録・改』が刊行されました。『男はつらいよ』は、正直言って大人になってからはちゃんと見ていませんでした。しかし、寅さん大好きなN編集長にお声掛けいただいてから、初めから見直したらもう、ドはまりしてしまいました。台本も全部お貸しいただいちゃったのも、まさに役得。映像で見られるのは最終形ですが、台本は始まりの言葉。その両方を見られるというのは、これはもう役得としか言いようがありませんよね。

ライター仕事としましては、雑誌『歴史街道』さんで二回、記事を書かせていただいたのも楽しかったです。ネタも「あんこ」「日本の女帝」という、大好きなネタ。これまた楽しかったです。実は2月号でも「毘沙門天」についての原稿を書きました。2020年もお声がけいただけるといいなあ、と期待中。

それから11月からYAMAP MAGAZINEさんで新連載を始めました。「フカボリ山の文化論」は、長年の友人Sさんが担当してくれてるので、私ならではの視点を、理解して喜んでくれるのが、本当に嬉しいんです。2020年も、しっかりフカボリして楽しんで書いていきたいと思っています。ちなみに1月の回は「穂高」について書いてみようと思っています。またSさんが喜んでくれるといいな~。

さて、長くなりましたが、最後に今年の抱負です。

今年はちょっと環境を変えてみたいと思っています。家にこもりきりになりがちなので、シェアオフィスとかコワーキングスペースを借りてみようかな、と現在考え中。そして、今年も海外にちょくちょく足を延ばす予定です。それから、勉強もしたいと思っています。一つは仏教。もう一つは中国語。「やってみたいな」という軽いレベルで、具体的な計画はこれからなのですが。これまでやったことのないことをやってみたい!と思っております。

さて、そんなわけで、今年もじたばた生きていこうと思います。一生懸命あがいて頑張ると、結果、けっこう楽しい一年になるような気がしています。

皆様にとっても、楽しく良い一年になりますよう、心からお祈り申し上げます!

ありをる企画制作所 武藤郁子拝