「野村萬斎さん、オリンピック開閉会式統括責任者に」というニュースを見て、がぜん盛り上がる期待


(上の写真は、日刊スポーツさんのニュース記事です)

野村萬斎さんがオリンピックの演出統括??と聞いて、
え~、萬斎さん、なんでまたそんな畑違いのめんどくさそうなことを…と、正直思ってました。
でも、今朝、たまたま記者会見を見て、おおおお!そうか!と、納得して、何だかワクワクしてきちゃいました。
 
「能・狂言師である自分からすると、そもそも「鎮魂再生」こそ芸能の主題である。今度のオリンピックでは、その日本の芸能の根源を、土台にしてあくまでも本質的に表現したい。見てすぐわかる和ではなく、おおもとの精神に、「和」を持って挑みたい」

要約すると、そんな意味のことをおっしゃってたんですが、
なんで野村萬斎さんほどの本筋の芸能の人が、なぜこの仕事を受けたのかわかった気がしました。

そうか、今度のオリンピックは、規模が大きいけど、「鎮魂祭」なんだ。

だからこそ取って付けたような「和テイスト」ではなく、本質的に正しいことをやらなくてはいけない、と。

萬斎さんはそれをやるには、いろんな作法や手法を知っている自分がやらなくてはと思われたんじゃないか。
 
確かに日本の芸能の根幹とは、「鎮魂」なのです。
神や怨霊を鎮める。神仏に感謝をささげる。凶事を祓い、喜事を招来する。
室町時代に誕生したお能や狂言は、それ以前の時代の芸能のエッセンスを集大成したものですから、テーマのほとんどが鎮魂です。萬斎さんは、そんな伝統のど真ん中に入る人です。
これ以上ないってくらい、本筋のことをよくご存じでしょう。
 
他のメンバーも、今を時めく才能あふれる方ばかりですが、その核になる「魂」を呼ぶ人が必要だった。
それを萬斎さんがやってくれるということなのでは!?
 
いやもう、これは、俄然楽しみになってきました!!

戦国武将と密教の話

はっと気が付いたらこちらの更新滞りまくり。
あいかわらず、元気に細々とお仕事しております!←近況報告です^^;

ここのところ戦国武将と密教の関わりについて一生懸命調べたり、考えたりしています。
これまでにも、戦国時代をテーマにした歴史小説のお手伝いをさせていただいたりはさせていただいたので、少なからず触れてきた世界ではありますが、今回の主役は合戦、情勢がメインテーマではなく、密教を軸とした戦国の風景ってかんじなので、まるで違います。

それほど分量もとれないので、コンパクトにまとめることになりますが、いやあ、本当にこの角度面白いですよ!

私は、師と仰いでいる、仏教史学者のN先生のスタンス「歴史は人を見るもの」に心から共感しています。先生が口癖のように言う「すべてにわけがある」という言葉にも…。100年前の人だろうが、1000年前の人だろうが、「人」です。思いや考えがあって、行動を起こすわけです。それは一見不条理な行為であったとしても、何かしら「わけ」があったのだろうと考えて想像するほうがいいと思います。
##もちろん理由なく殺人を繰り返すような性質の人もいますから、すべてがそうというわけではありませんけれども…
つまり、「こころ」の問題ですよね。
その時、その人は何を思ったのかを想像したい。このポイントが、私自身の探求心の行く先といってもいいかもしれません。

さて。
今回の原稿では、あまりにも有名な話で恐縮ですが、謙信さんと信玄さんにフォーカスすることにしようと思います。
この二人ほど、中世らしい密教、修験、陰陽道などを駆使していたことが、現代にもわかりやすく残っている武将はいないんじゃないかなと思うんですね。
彼らの信仰心が突出しているというよりも、彼らが偉大だったので、文献や何かがよく残っていてるということじゃないかと思います。当時の日本人、武人というのはおしなべてこういう精神世界にいたんじゃないでしょうか。

とはいえ、この二人は、専門家に依頼する側だけでなく、主体的に執り行うこともできたという点でやはり突出してます。
謙信が東密の阿闍梨位を得ている行者だったということは有名ですが、信玄は台密で大僧正位(権僧正とも)を「贈られて」いるとされ、一般的には名誉職的な意味合いを強調されることが多いのですが、実際にはかなりちゃんと本格だったようです。

実は今回は、学侶としても大変有名ながら、同時に祈祷僧としても高名でらっしゃる大変すごいお方に取材させていただくことができまして、同じ行者として、彼らがどんなかんじだったかをお聞きすることができました。

そして、軍記物や願文に出てくる呪法についても、なぜこの組み合わせか、なぜこの呪法(修法)をチョイスしたのかもお聞きしちゃいましたが、これがもう、目から鱗が落ちまくり!

本当に面白い取材でした。やっぱり、ど真ん中におられる方にお話を伺うと、全然違います。実は原稿だいぶ書き上げていたんですが、最初から書きなおすことにしました。それくらい面白いお話がたくさん伺えたんです。

それにしても、緊張しました~!
基本的にビビりなので、いつも緊張してますが、今回の緊張感はなんだか一味違うと言いますか。全部見透かされてしまうんじゃないかという恐ろしさと言いますか。

お会いするなり、

「…あんまり社会派的なことはやらないほうがいいと思いますよ。いろいろ気にしすぎて疲れてしまうだろうから」

と先生に言われて、アワアワしました。
そ、そ、その通りなんです。だから時事的なネタは避けて、できるだけ文化系のお仕事をしてます~とオロオロしながら申し上げました。
やっぱなんか見えてらっしゃったのかな、そうだよな…^^;

下の写真は、たまたま駅ビルで見つけたラーメン屋さんの名前が「空海」だったので、験担ぎですw。

 

 

京都、奈良、高野山へ――空海さんと密教を巡る旅!①神護寺

空海さんの足跡をたどる旅へ

先週、約一週間かけて関西地方を行脚してきました。
今回のテーマは「特に空海さん(弘法大師)の『密教』を巡る」。

少々回りくどい話になりますが、人生を振り返りますと、
「日本文化の根っこに触りたい」というのが、どうやら私自身の変わらぬテーマなのですが、その日本文化の大きな根っこのひとつに「密教」があります。
私は、その大きな根源である『密教』を、仏像を通していつも遠くから(物陰に隠れるように)見てきました。

仏像を拝観するのに必要な、ごく初歩的な情報だけは一応知っていますが、あまりそれ以上突っ込まないようにしていた、というのが本当のところです。
そのあまりに深遠な世界ゆえに、腰が引けまくってました。及び腰になっていたのです。

しかし、仕事で密教に関わることをするかもしれなくなって、そうも言っていられなくなりました。

そこで思い立ったのは、まずは初歩の初歩。
密教を日本に持ってこられた弘法大師・空海上人の足跡をたどることでした。
時間の都合上、唐から帰国して京都に入ってから以降の代表的な関係深いお寺さんだけしかいけませんけど、まず現場に立ってみるというのが、やっぱり大事。そう考えました。

京都・神護寺からスタート

そんなわけで、スタートは京都の北西部にある神護寺さん。
神護寺さんは、和気氏の氏寺として成立しましたが、空海さんが唐から帰ってきたもののしばらく洛中に入らず、住まいしたお寺です。

こちらには、仏像ファンにとっても垂涎のお像がたくさんいらっしゃいますから、これまでも何度ともなく訪れています。

でも、今回は心の設定を「仏像拝観」から「空海さんの密教」に変更して、改めての拝観。面白いもので、そうなってくると見えてくる風景も何だか新鮮。目が行く場所もだいぶ違ってくるものです。

正直言って、この神護寺さんを拝観するだけでも、自分なりの小さな発見や気づきがたくさんありました。これこそまさに、現場にいってこそ感じる気づき。

実は、先週は本当にお天気が悪くて、神護寺に行く途中も曇天・時々雨。気温も低くて残念な感じだったんですが…

なんと、金堂(本堂)の前に進んだら、いきなり晴れました!!

能天気で楽天家の私は、「これはきっと歓迎してもらえてるってことだ!」といきなり気分アップ↑。

何しろ、この金堂の中には(そもそも)大好きな薬師如来像がいらっしゃるし、ね。好きな相手に受け入れたもらえたような、そんな気持ちになってたちまち幸せになり、「この旅は来てよかったってことなんだ!」とほくほく。

これは、企画成功もお祈りして、カワラケ投げるべし!ということで、お馴染みカワラケ投げ。目いっぱい厄除けします!

境内のいちばん奥の地蔵院まえから、錦雲峡と呼ばれる峡谷にこのカワラケを投げますよ。私は、なかなか上手に遠くまで飛ばせたので、茶屋の女将さんに褒めてもらえました。ほくほく。

そのあと、やっぱりせっかく来たからには…と、西明寺、高山寺と巡って、ホテルに戻りましたが、 やっぱり行ってみてよかった。

というのも、この風景。

金堂の後方の山上に、神護寺中興の祖でもある文覚上人のお墓があり、そこから見えるのは、京の街全体です。

なるほど。
この立地、大事ですよね。

山深いところになぜ?と思ってしまうのは、現代人の感覚かもしれません。

この場所からは、京都がよく見えますし、山をいくつか越えれば若狭の国、良港に恵まれた国際都市・小浜に出られます。
それに、素人目ではありますが、池の水の色を見ても土壌に石灰が多く含まれているように見受けられましたし、多くは赤土で鉄分も多そうな感じでした。
鉱物資源にも恵まれてる山系なのかもしれません。

こうしたことを、肌で感じられるのが、現場に立つことの意味でしょう。理屈じゃなくて染み入ってくるものがあります。

それにしても幸先のいいスタートでした。

(むとう)