古代史を読み解くなら『日本書紀』から。関裕二流「古代史の読み解き方」を大公開!/『こんなに面白かった 古代史「謎解き」入門』関裕二著(PHP文庫)

2020年は、『日本書紀』成立1300年の記念イヤーです。

それを記念して、東京国立博物館では「出雲と大和」展が開催されています。会期は3月8日までありますから、まだの方はぜひともいってみてくださいね!ちなみに私は前期に一度行ってきたんですが、いやあ、ほんとすごかった。

特に、前半の出雲からの出展がすごかった。オープニングに現れる「宇豆柱」と「心御柱」は有無を言わせぬ迫力でしたね。両方とも鎌倉時代の遺物で、創建当時のものよりは小規模なのかもしれませんが、しかしあの大きな柱は、古えの壮大な本殿を想像するには、十分な存在感がありました。いずれも初めて見たわけではないのですが、武蔵国であった東京の真ん中で改めて会いまみえると、格別の存在感。その「存在の太さ」に圧倒されちゃいましたね。

そしてなんといっても、この「武蔵」の地で、「出雲」と「大和」が邂逅すると、言うのがまた……。もうね。古代史ファンとしては、たまらんというか、感動的なわけなんですよ。

そんなわけで、特別展にはぜひとも皆さんも、足を運んでみていただけたらと思います。もし、古代史に興味がないという人でも、理屈や知識ではない部分で、ガツンと来るものがあると思うんです。私もできればもう一度見に行きたいと思っています。

さてさて。そんなわけでして、皆さんお馴染み・古代史研究家の関裕二先生のご登場です。やはりこの『日本書紀』記念年に、先生のご本が出ないわけにはいきません!

単行本『古代史は知的冒険』(PHP研究所)に加筆いただき、全体を再編集、改題して、PHP文庫にご登場いただきました!(2月5日発売ですので、もうすでにお手に取ってくださった方もいらっしゃるかもしれません。ご紹介が遅くなって済みませんでした^^;)。

なんだかんだ言って、『日本書紀』は日本初の正史です。関先生は、『日本書記』を定点としてとらえ、そこに描かれているものであれば、その描かれ方にフォーカスし、逆に描かれなかったことは何なのか、なぜ記載されなかったか、と言った視点を絶えず持ちつつ、古代史の謎へと切り込んでいかれます。

そんな関先生流の読み解き方・作法を、惜しみなく公開していく内容なので、「古代史」としては、かなり網羅的な内容になっています。そう言う意味でも、古代史はあまり知らないという人でも、古代史入門書としてお勧めしたい内容になっていると思います。もちろん、古代史好きな方も、楽しんでいただける一冊になっておりますよ。

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

2017年は「慶派イヤー」!⑧迫りくる慶派の奔流!この究極の空間に在る歓び。『運慶』展@東京国立博物館(9/26~11/26)

やっぱり、『運慶と慶派』展という名前のほうがしっくりくるかも…

円成寺さんと、願成就院さんのお像について語りだしたら止まらなくなってしまった私ですが、全体的なお話もちょっとだけ…

今回の展示のストーリーとしては、運慶の生涯の時間軸を大きな縦軸にしています。
「運慶前夜」とも言える慶派の始祖・運慶のお父さんである康慶のお仕事、そして、さらに慶派前夜とも言える仏像の数々などから始まり、運慶自身の仏像、運慶がプロデュース・総指揮をしたであろう仏像、そしてそのチームの中で綺羅星の如く、運慶の息子たちの仏像……と進行していきます。

正直言って、運慶がほとんど一人で作ったものもありますが、監督だけしたであろう仏像も多いので、『運慶と慶派』展という名前のほうが、実情に合ってるように思ってしまいます。

このあたりは、あえて『運慶』とされたんだろうとは思いますが、せっかく担当した仏師の名前がわかってるんだし、それはやっぱりそう記してもいいんじゃないかなあ、なんて素人考えで思うわけです(図録にはちゃんと書かれてますけども)。

例えば、このあまりにも有名な「無著菩薩像」@興福寺。
こちらの図録の表紙にも登場されてますが、こちらは、図録にも書かれていますけれども、〔総指揮:運慶、制作:運賀〕って感じなんですよね。

実際に作ってるのは、運慶の6名いる息子のうちのひとり・運賀だとされているそうです。もちろん、運慶の指揮でもって行われてますから、運慶作、と言っていいのかな?……でも、やっぱり、せめて「運慶・運賀作」ってクレジットでも良いのではないかしら…。なんて思ってしまうのでした。

もし、「総指揮」した人を作者とする、というルールを貫くなら、円成寺さんのお像も「康慶作」となってしまいますもの。それはなんか違う、と思いませんか?

まさに怒涛! 迫りくる慶派の奔流!!

そんなわけで、今回のみどころは運慶一人ではありません。運慶を中心として、父・康慶、息子6人の関わった仏像がドドンと集結していますので、それがまた怒涛のように次から次へと押し寄せてくるのです。
ぜひその奔流の中に身をひたして、次はあり得ないかもしれないこの究極の空間を楽しんでいただきたいのですが、あえて、個人的に特に注目したものを挙げてみますと…

なんと言っても、長男・湛慶作の高知雪蹊寺の「毘沙門天三尊像」と、高山寺の「子犬」像です!!
雪蹊寺には、私も幸運なことに二回、こちらにお邪魔したことがあります。とはいってももう10年以上前の話。久しぶりに毘沙門天立像に拝観できて嬉しかったです。やっぱり素晴らしいですね!

(図録P200より引用)

運慶の毘沙門天立像@願成就院を意識していると思われますし、そういう意味ではやはり運慶には及ばないのですが、でもこの毘沙門天さんは、湛慶さんの毘沙門さんです。湛慶さんのお像を見るとなんだか「清明」という言葉がひょんと浮かぶのです。
お父さんの偉大さが極め付き過ぎて、どうしても比較されてしまいますが、この爽やかさ、清らかさ、明るさは、やはり特別な個性ではないかと思います。

(図録P204より引用)

湛慶さんの個性を特によく感じられるのは、高山寺の「子犬」像ではないかと思います。高山寺さんも大好きで、何度も拝観していますが、明恵(みょうえ)上人のために作られたというこの「子犬」像は、とにかく可愛い。子犬のフクフクとした足元、無邪気にみつめてくる愛らしい瞳、くるんと巻いた尾っぽ。本当に愛らしい。

こちらは仏像ではありません。あくまでも、「子犬」の像なのですが、高山寺の開祖・明恵上人の慈悲深いエピソードと相まって、何とも言えぬ存在感を感じます。
こういう優しげな雰囲気が、いかにも湛慶さんだなあ、と思うんです。

隣に展示されている「神鹿」像@高山寺もとても可愛いです。明恵上人は春日社(大社)を篤く信仰していましたが、その春日社ゆかりの神鹿です。こちらも、神秘さというよりは、鹿本来のしなやかな美しさ、可愛らしさが先に立つ像ですね。

湛慶さんは、きっと優しい人だったんだろうな~。

運慶さんのような、スーパー父さんの下で同じ仕事をすることになって、さらに五人の弟たちをまとめながらの…って、本当に大変だったろうな…。

ちなみに、有名な三十三間堂の中尊(丈六千手観音菩薩坐像)は、湛慶さんの手によるものです。三十三間堂は、慶派だけでなく、院派や円派など当時の仏師大集結で建立されました。考え方も違う、個性的な仏師たちをひとつにまとめ上げるなんて、とてつもない大事業だったことでしょう。しかし、湛慶さんはやり遂げました。それだけ人徳のある人だったんでしょう。

中尊に在る銘によれば、その時、83歳。……まさに超人!!

今回はちょっと珍しいものとして、その中尊の光背にある「三十三応現身像」のうち、迦楼羅像、夜叉像、執金剛神像の三体を取り出して、出品されています。

これまでにも、光背にある状態は見てきたはずなのですが、お堂にある状態ですとお花や影の塩梅などで、光背の細部まではさすがによく見えません。こんなふうに近くで見られる機会は、なかなかないでしょう。ぜひ、見逃さないようにしてくださいね!

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さて、長くなりましたが、運慶展のレポートはこのあたりで。
11月1日ごろに、二回目を観に行こうと思っています。
何度拝見しても、また感動するでしょう。それが、運慶の、ひいては仏像の魅力なんですよね。

『運慶』展 東京国立博物館(9/26~11/26)

2017年は「慶派イヤー」!⑦とにもかくにも願成就院の毘沙門天立像、円成寺の大日如来坐像…!『運慶』展@東京国立博物館(9/26~11/26)

鎌倉時代の支配者・北条得宗家の氏寺、願成就院

仏像というと、どうしても関西といった印象が強いかもしれませんが、運慶の仏像で最も重要なお像の数体は、東日本にあるんです~!

その中でも最も重要なのは、願成就院です!!(と言いきっていいですよね?!)

願成就院は、伊豆半島の付け根、駿豆線というステキなローカル線の韮山駅から歩いて15分ほどのところにあります。

こちらには、運慶の真作とされ、国宝指定になっている仏像が、なんと5体もいらっしゃるんです!!
それにしても、なぜここにそんなすごいお像が?…と思われるかもしれませんが、この辺は、源頼朝の舅・北条時政の領地で、願成就院のスポンサーは時政だったんですね。ちなみに、頼朝の配流先である「蛭ヶ小島(ひるがこじま)」も、現在の願成就院から歩いて20分ほどのところにあります。

そんなわけでして、願成就院は、北条家のゴッドファザー・時政開基の特別なお寺。鎌倉幕府の支配者・北条得宗家の氏寺のようなお寺だったんです。戦国期の始まり頃(1491)に燃えてしまうまでは、そりゃもうゴージャスで、広大な大伽藍だったそうですよ。

運慶の「リアル」とは…

前回お話ししましたが、小学生の頃にこちらの仏像に出会ったことが、私の仏像人生に始まりとなりました。今回はその五体の中から一体だけの登壇となっています。それが、幼い私が最も釘付けになったお像、「毘沙門天立像」です。

このお像の凄さというのは、何度拝観しても、見慣れたつもりでもう一度見ても、あらためて、感動してしまうというところです。
すごい仏像というのは、まるで山や大木や滝や海のように、そこに在るのが自然である、…と思わせてくれるお像だと私は思っているのですが、このお像はまさにそんなお像だと思います。この一体が、仏教の教えの具現化であり、宇宙、自然事象その物なんじゃないか、と。

よく、運慶を褒めるひとつの表現として「リアル」という言葉がありますが、そのリアルさは、そういう意味でのリアルさだと思ったほうがいい、と私は考えます。
「仏」は超絶した存在です。その超絶した存在を、いかに「超絶した存在」として「リアル」に造り上げるか。誰も見たことがないその姿をいかに「本当の存在」として造り上げるのか、そこが、僧侶でもある仏師の理想とするところでしょう。ですから、「より人間らしく、写実的に」。そういう意味でのリアリティの追求ではないと思うんです。

確かに、人体の研究を良くされていただろうし、「まるで生きている人間のような」表現をうまく取り入れてると思いますが、しかし、実際に運慶作の仏像に拝観しますと、「人間っぽい」とは思いません。こんなすごい存在を、人間の手が生み出しちゃったのかーー!と驚くばかりです。
特にこの願成就院の毘沙門さんは、何度見てもそう思うんです。
今回も、会場で拝観して、何度も何度も、そう思っては溜息をつきました。

処女作、円成寺の大日如来坐像の「ひとり立体曼荼羅」感

もう一体、初めて拝見した時に、「ひええええ」と思った仏像は円成寺さんの大日如来坐像です。

実は、このお像に初めて拝観したのは、ごく最近。なぜか拝観したことがなかったのですが、大先輩Wさんのお導きで、ごくごく近くから拝観させていただく機会をいただきました。

その時に感じたのは、このお像を中心として果てしなく広がっていく「宇宙」!

すみません、わかりにくい表現で。

でも本当に、意識が広がって宇宙の中に自分ががあるようなそんな感覚がしたんです。
大日如来という存在は、仏教の中の「密教」という教えがあるんですが、その密教が描き出す世界観で、宇宙の中心にいるとされる仏さまなんですね。

このお像は、一瞬にしてその難解な教理を「感じ」させてくれました。
難しくって、経典を読んでも、私に理解できるとは思えませんが、このお像はそのとてつもない世界がどうも「在りそう」だ、という実感を感じさせてくれたのです。

す、す、すごい。
これぞ、仏師の目指す表現の世界なんじゃないのかな…と!

この大日如来坐像を造った時、運慶はまだ20代後半です。お父さんの康慶に見守られながら、一人で作り上げた初めての一体と考えられています。
それにしても、すごい。こんなにすごいお像をそんなに若くして作ってしまうとは…。

「最初の作品に、すべてが現れるということはよくあることだよ」

興奮してオロオロする私に、ご一緒いただいたWさんは、そう言って笑いました。
Wさんは、数多くの伝説的な展覧会を企画された大御所。美術について、大変な見識をおもちの凄いお方です。

「だから前から言ってるでしょ、ぼくはこちらのお像が運慶の中でも一番好きだ、って」

わ、わ、わ、わかりましたー!Wさん!
私も、ものすごく納得しました―!

そんな興奮状態で、うるさいほどふんふん頷きながら、円成寺さんを後にした私なのですが、今回も、このお像に再会できるのを、本当に楽しみにしておりました。

今回、このエポックメイキング的なお像は、展覧会構成の第一章「運慶を生んだ系譜」の中で、初めて登場する「運慶作」のお像として登場していました。

正直言って、お寺で拝観させていただいた時とはかなり印象が違います。展覧会でのお顔と、本来の場所でのお顔はびっくりするほど印象がちがうということは、よくあることですが、このお像はそれが顕著でした。
できれば、また円成寺さんで拝観したい、そう思ってしまいましたが、それにしても素晴らしいお像であることには変わりはありません。
(続く)

『運慶』展 @東京国立博物館