file.58 鶴屋吉信の「風流しるこ 花吹雪」

いちにちいちあんこ

鶴屋吉信さんと言えば、「京観世」があまりにも有名ですが、以前ご紹介した「つばらつばら」のような、今っぽさを取り入れた新しい名物もきっちり作りあげてらっしゃるお店です。

全国に販売店があり、このいかにも京都らしいお味とデザインをどこでも味わうことができますね。よく考えたらすごいことですよね!虎屋さんが東の雄と言えば、鶴屋吉信さんは西の雄ってかんじでしょうか。

さて、今日のいちあんこは、またもや友人Sちゃんがおすそ分けでくれたもの!!

Sちゃんのおすそ分けで、私のあんこ生活はそうとう潤っておりますよw。本当にありがとね~!
風流しるこ

さて、こちらです!「風流しるこ 花吹雪」!

わあ、こういうのもあるんですねえ。初めて見ましたよ。
サイトを見てみますと、「木々の露」という「おしること葛湯のセット」みたいです。私が頂いたのはその中の「風流しるこ」。いちばんオーソドックスな感じかな。ほかの二種はお茶味の「挽茶あられ」、みつ豆の具が葛湯に入っているみたいな「みつ豆葛湯」。どれもきれいでおいしそうです!

風流しるこ

あけてみますととこんな感じです。あられとこしあんが見えますね。
こちらにお湯を入れて、御汁粉にするってことみたい。

風流しるこ

さてさて。

お湯は沸騰したものを180ML。

#あ、でも実は食べ終わって気づいたんですけど、たぶんお湯の量100MLくらいしか入れてない気がします。あやや・・

そしてゆるゆるとかき混ぜますと、少しトロリとしてきました。

風流しるこ

中には小さな求肥が二つ入っています。あられの香ばしさと、求肥がポイントになっていて、いいかんじです。あんこも、さすが鶴屋吉信さん。安定の美味しさですよ。上質なあんこは風味がしっかりしていますけど、さらりとあと味がすっきりしています。

それにしてもきれいだなあ。「風流しるこ 花吹雪」の名前そのままに、まるで花びらのようにのように、これは米粉か何かでしょうか、あられ以外にも細かな白いものが浮いています。こういうちょっとしたしつらえが「京都」だなあ、と思っちゃうんですよね。ちょっとひと工夫と言いましょうか。

風流しるこそして、小豆も数粒入っていますが、これがまたしっかり美味しい!
ほんと、さすがですね。

こちら、いうなれば「おしるこ」と「葛湯」の間の和菓子…ってかんじかな?!

おしるこほど重くなく、葛湯よりは和菓子をいただいたなあという実態感がある、みたいな。

これをいただいてますと、久しぶりに京都に行きたいなあ…と思ってしまいます。
春になったら今年は京都に行かなければ!

花吹雪の京都。…乙ですねえ。

鶴屋吉信
http://www.turuya.co.jp/index.html

 

わからないって面白い!~シンポジウム「埼玉古墳群の謎」1/25~


古代の東日本ってどんなかんじ?

土曜日は、シンポジウム「埼玉古墳群の謎~東国を治めた古代豪族~」をみにいってきました。
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関東在住の古代史ファンにとって埼玉古墳群はビッグネームですよね!古代史ロマンの玉手箱、もしくはタイムカプセルって感じ?

あまり興味のない方にも、あえてざっくりご説明するならば。

「5世紀から7世紀の東国ってどんなかんだったのかが、古墳を見ているといろいろわかってくる」。

なので面白いのです。

高校くらいまでに習った日本史なんかですと畿内(大和王権)のことを習うので精いっぱいですし、それ以外の勢力についてはあまり書いてないですよね。畿内以外は後進地みたいな描かれ方です。

しかし、最近ではそういう中央ばかりではない想像図が様々描かれるようになっています。

ちなみに、5~7世紀といえば、倭の五王の時代から飛鳥時代まで。

人物でいうと、5世紀初頭から半ばからだと、【仁徳天皇】、【雄略天皇】、【継体天皇】(欽明天皇のお父さん)とか。その100年後くらいの530年くらいだと【欽明天皇】(仏教伝来で有名ですね)とか。この欽明天皇は、【聖徳太子】のお祖父さん。

聖徳太子が活躍したのは590年くらいから、つまり6世紀末から7世紀初頭にかけて。

7世紀といえば、やっぱり大化の改新で有名な【中大兄皇子】(天智天皇)でしょうか。そして、壬申の乱を経て、【大海人皇子】(天武天皇)へ。

……っていう時代ですよ。

憧れの大塚初重先生!!
そんな時代、関東界隈がどうなってたか。そんなことが古墳を通じてちょっとずつわかってくるわけですね。

さてさて、そんなことに興味がある人にとっては、「埼玉古墳群」というのは、特別な古墳群です。全国でも類をみない「銘文」を有する鉄剣が発見された稲荷山古墳があるところですし。この鉄剣は、国宝になってますね。

この鉄剣、またその鉄剣があった古墳群の意味合い、そして新しくわかってきたことなどをシロウト向けに発表してくれるのが、このシンポジウムの趣旨です。

古代史ファンにとってはまさに垂涎のイベントですよね!!

さらにさらに。

基調講演は、大塚初重(おおつかはつしげ)先生!!

登呂遺跡や綿貫観音山遺跡、そして私の大好きな装飾古墳・虎塚古墳の発掘でもめちゃくちゃ有名。考古学界の超大物です。御年88歳っ!!

大塚先生のお話を聞けるだけでも、このシンポジウムに行く意味があります。

いよいよ、先生登場。

うわ~ラブリーな人キターー!!
20140125-2その時の私のメモ。興奮してたからでしょうか、「たぶん150~150」と書いてますが「150~155」と書きたかったんですけどね。

すっごく小柄なんです。

小さくてかわいらしいんですけど、肩が厚い!考古学者の先生方は方がしっかりしてる方が多いような気がしますが、気のせいでしょうか。

さて、こうして先生の講演開始。

基調講演ですので、本シンポジウムの目的を示しつつ、概略を説明してくださるかんじ。お話上手だという噂どおり、サービス精神満点。
鉄剣はどうしてすごいのか、ということもものすごくわかりやすく説明してくださいました。

「鉄剣がすごい理由」
■年号表記があること
■人物名があること
■115文字という長い文章が刻まれている点(東アジア全域で見ても異常と言っていいほど長い)

ちなみに、この銘文。どんなことが書かれていたかというと、すっごいざっくりいうと「プロフィール」とか「経歴」みたいなものです。

この鉄剣に銘文を刻んだ本人の名前・「ヲワケ」、
そしてこのヲワケさんの血筋的来歴(最初の祖先の名前(オホヒコ)からスタート→8代目がオワケ)、
そして職業は近衛隊隊長で、仕えた人の名前はワカタケルの大王である、と。

こういうことが明確に書かれている、しかもそれが、ゴージャスにも金で、刀身に。そのすべてが、珍しい、というか「異常」と言ってもいいすごい発見だったそうなんですね。

こういった刀剣の存在で、当時の大和王権と地方豪族との関係性がわかりますし、また、そのほかに埋葬されていた武具や馬具などからは、東アジアとの関連性も類推することができるわけですね。

大塚先生は、
「何でもかんでもいいものが出たらそれは『畿内のもの』と言い出してしまう構図は安易なのではないか」(ムトウの意訳です)

「すべてが畿内から地方へという構図ではないのでは?ダイレクトに外国との交流を行っていたといってもいいと思う」(意訳)

と言ったことを言っておられましたよ。そして、くすくす笑いながら、

「今でこそだいぶ変わりましたけど、私が若いころには関西の偉い先生に、『君はアヅマエビスだからな』と本気で言われて、いまだにそんなことを言うのか、と驚いたものです」

と言っておられたのには、私も笑ってしまいました。というのも、私も言われたことがあるからです。本当に未だにそういうこと言う人いるんですよね。

それにしても、先生は、話せば話すほど声が大きくなり、目がキラキラと輝いて、まるで少年のように興奮して話されておられたのには、何か胸が熱くなる思いがしました。

「ようするにね、わからないってことなんです」

と、いたずらっ子のような笑顔でおっしゃる。

「どんどんいろんなものが出てきて、いろんなことがわかってきました。でもわかってきたらさらにわからないものが見いだされて、もっとよくわからなくなるんです。でも、それがいいんです」

最後のほうには、そんな風に嬉しそうにおっしゃられてました。

たくさんのお弟子さんを育て、人格者としても高名な大塚先生。 考古学が楽しくて仕方がない、という様子が、とにかく素晴らしかったです。

あああ、何かお仕事一緒にできないかなあ……。

 

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)、連載第5回掲載!!

年が明けたと思ってましたら、1月ももう下旬に入りました。早いですねえ。…って今年の年末年始にも同じことを書いてしまう予感がしますが(笑)。

さて。

昨週末、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」、第5回目掲載の『文蔵』2014年2月号が刊行されました。
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今回の号は、いよいよ主人公、武田信玄の末娘・松姫さんの最愛のお兄さん、仁科五郎盛信(にしなごろうもりのぶ)が、壮絶な戦死を遂げてしまいます~~!弱冠26歳!!

仁科盛信は、武田信玄の五男なのですが、4男の異母兄・勝頼が家を継いだ後も、勝頼を立て武田家に尽くし、最後には世の誰もが「さすが武田武士よ」と賛称するであろう見事な死に方をしました。今号でははその様子が見事に描かれています。
#ちなみに、言うまでもありませんが、私は尋常でなくこの五郎さんに入れこんでます^^。先生の描かれる五郎さんがほんとかっこいいんですよね!

今号の原稿を拝見した私は、先生にため息交じりに何度も申しあげてしまったのですが…。

もし、この五郎さんが武田家を継いでいたら、武田家は滅びなかったのじゃないかと思うのです。それぐらい見事な武人で、家臣にも愛されました。

血筋も勝頼と比べて申し分ないのです。お母さんは側室ですが、武田家の親戚衆・油川氏の出であり、いろいろと問題を生じやすい諏訪氏出身のお母さん(側室)を持つ勝頼と比べてみたら、むしろ圧倒的にいい感じなのです。

何しろ、諏訪氏と武田氏というのは因縁がありすぎて、勝頼のお母さんを側室にする、というのは武田家家臣みな反対したと言います。なので、信玄にとって勝頼は「諏訪氏」を継がせるときめられていた息子でした。武田氏を継ぐ息子は長男がいたので、特に問題なかったんですよね。それでも。

勝頼、という名前を見ればわかりますが、武田家の男子が持つべき「信」の字が入っていません。「頼」は、諏訪氏の通字で、勝は、幼名からとったそうでですけど…、ちょっと変わってる。

普通に考えたら、「信頼」か「頼信」と名乗るでしょう。どうして「信」の字を入れなかったのか…

第20代続いた甲州武田家のなかでも唯一「信」が入っていない当主です。何だろう、この違和感。

そして、この後、その勝頼によって名門武田家は滅びるのです。うーむ…。

と、ちょっと余談になってしまいましたが、一度「滅び」へと舵を切ってしまった武田家の、雪崩を打つように止まらない様子が今回も五郎さんの死でもって、見事に描写されています。

ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

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さて、連載のお話はここまでなのですが、

なんとこの『文蔵』、今回の号で100回を数えるんだそうです!すごい!
おめでとうございます~!

月刊誌ですから、年に12回。としますと9年目ですよね
出版不況といわれるこの時代にこの着実な歩み…。ほんとにすごい。

そんな記念すべき号の特集は「働く人が元気になる100冊」です。今回も情報たっぷり、インタビューたっぷりで読み応えすごいですよ~!

(むとう)