About 武藤 郁子

神仏・聖地探訪家。編集者兼ライターとして神仏や聖地、歴史や自然をテーマに活動中。著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人)がある。2024年6月『空海と密教解剖図鑑』(エクスナレッジ)を上梓。

【関西旅】①三つの霊地が集中する「紀伊半島」の宗教空間を感じる。/『山の神仏』展@大阪市立美術館

紀伊は、「異界之地」
もう15年ほど前になりますが、初めて熊野界隈(紀伊半島南部)を訪れたとき、

「なるほど、ここはまさに根の国、『異界』だわ」

と思いました。

どんなに進んでも同じように見える山地の様子、下流よりも上流につれて広くなっていく熊野川。車で回ったのにもかかわらず、やたらと「果てしない」、自分が前に進めているのかさえ定かでないような気がしてだんだん怖くなりました。
そしてこれまでの常識では読めない地形に、感覚を狂わされるような気がしたのです。河は下流のほうが川幅がある、という常識にとらわれていると、川の上流のほうにある本宮のところでぱっと広がる広大な河川敷の光景は、不思議でしょうがありません。燦々と輝く夏の木漏れ日の中、私はわけもなく「ぞっとした」のでした。

……これが、私の熊野初体験。

この時感じた「畏れ」のようなものは、その後何度いっても変わらずに持ち続けています。この感覚は、「熊野」に限ったことではありません。「吉野」もそんな風に感じます。残念ながら高野山はまだ行ったことがないので、想像の域にすぎませんが、私にとって紀伊半島は「普通ではない場所」なのです。まさに『異界』。
そしてそう思うのは私だけではありません。長い歴史のなかで、この場所は非常の地でありました。生というよりは死、この世というよりは、あの世。またはそんな両極端なコンセプトを軽々と往来できてしまうような、…異空間のような場所です。
こわいけど魅力的で、ひきつけられてしまうのです。

初!大阪市立美術館
そんなわけで、大阪市立美術館で開催された『山の神仏』展はどうしても行きたかった。たまたま決まった京都取材旅にかこつけて、一日早く関西入り。大阪は天王寺にある大阪市立美術館にいくことができました。本当にラッキーでした。

20140527-2天王寺駅から程ないところにある天王寺公園の、中心的な施設がこの大阪市立美術館です。立派な建物ですよね!??住友家の本邸だった建物なんだそうですが、さすがさすが。
20140527-8そしてこちらが入口です。かっこいいですねえ!
ちなみに、今回のポスターや図録のアートワークはかなりかっこいい。このポスターもいいですよね。ちなみにこちらの獅子と狛犬は吉野水分(みくまり)神社のもので鎌倉時代のものです。かっこい~!
20140527-1そしてこちらがエントランスホール。ここは写真撮ってもいいと書かれていたので、ぱしゃり。それにしてもゴージャスですねえ。

展示も楽しみですが、こちらの建物を拝見するだけでも十分楽しめちゃいますね。またこちらの庭はあの小川治兵衛作庭によるもの。このお庭については、また別の機会に書きたいと思いますが、見ごたえ抜群の公園です!

さて、展示は3部構成になっています。第一部は「吉野・大峯」、第二部は「熊野三山」、第三部は「高野山」。解説はあの山折哲雄先生だというので、珍しく音声ガイドも借りてみました。今回はかなり濃ゆい内容。何しろ三部構成のそれぞれが、一つの展覧会として成り立つくらい、深くて複雑な世界を持ったものです。先生の解説を伺ったほうが少しでも理解できるかな?と思ったからなのでした。

一部の「吉野」から見始めてすぐに「わあ、これは体力持つかな…」と思いましたよ。とにかく濃すぎ!!

こりゃたいへんだあ!

(続く)

【山梨旅】「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦先生連載)の舞台へ①武田松姫ゆかりの向嶽寺

20140510-2松姫が一時隠れていた塩山の名刹・向嶽寺へ
大善寺さんを後にして、次は「向嶽寺」さんへ。車で15分ほど。この辺りではけっこう大きな駅・塩山駅のほど近くです。

塩山はえんざんと呼びますが、これは向嶽寺の山号でもありますし、その北側にある小さな山・塩の山からきたものでもあります。数年前に市町村合併で、それまで塩山市でしたが現在は「甲州市塩山」になっています。

この向嶽寺は、「疾風に折れぬ花あり」の中で、とても大切な場所です。物語の主人公・松姫さんが、古府中(甲府)を脱出した後、一時こちらに潜んでいたんですね。

「松姫が臨済宗の向嶽寺を立ち寄り先と決めたのは、この大寺院が南北朝の時代を生きた甲州武田家の8代目・武田信成によって建立された寺だからである」(『文蔵』2014.1月号より引用)

大善寺はもちろん、この界隈には武田家ゆかりのお寺がたくさんありますが、やはりこちらも武田家縁のお寺だったんですねえ。

現役の修行場、の風格
以前、中村先生とN編集長がこちらを訪れた時の感想として「とても広い境内で、今も修行僧がいる現役の修行場、という感じがしたよ」と伺っていましたが、なるほど、想像していたよりもさらに境内が広い!

火災で何度か燃えてしまっているとのことで、古い建物と新しい建物が混在している感じです。尋ねた時間帯があまり良くなかったのか、お坊さんの姿は拝見できませんでしたが、今も修行僧(雲水)の皆さんが修業してるのかな~。

こちらのお寺は非公開のお寺さんなので、境内からそっと拝観します。境内の写真撮るの忘れてしまいましたが、いかにも禅宗らしい佇まいのすがすがしいお寺です。上の写真は、仏殿。ここまでは誰でも入れるんですね。

やはり、資料や地図などではよく拝見していたつもりでしたが、 実際こうしたおとずれてくると、なるほどと腑に落ちるような感じがします。

もし、織田軍がやってきても勝沼から笹子峠のほうに抜けられますし、またこれだけ寺域が広ければ、お坊さんも多かったでしょうし、松姫さん一行を滞在させるだけの場所も十分にあったことでしょう。
そしてこのお寺に滞在したことが、その後の松姫さんの逃亡先を確定することになったのですから、まさに運命の場所と呼んでもいいかもしれません。

そして、ここから次に行く恵林寺さんは、2・4キロしか離れていません。恵林寺さんは武田家の菩提寺。武田勝頼が死んで武田氏滅亡となった後、織田軍によって容赦ない破壊をされたお寺です。

(続く)

法隆寺と東京藝術大学の「交流史」と「復興」/「法隆寺~祈りとかたち」展開催中

20140510現在開催中の『法隆寺~祈りとかたち』展。平日昼間に、ぽかりと時間ができたのでここぞとばかりに足をのばしました。

東京藝大美術館は、とても好きな美術館ですが、今回はどうだったかというと…

仏像好きの方はちょっと不完全燃焼かもしれません。ポスターになっている吉祥天如像と毘沙門天像をはじめ重要文化財のお像も結構来てましたけど、テーマが法隆寺の「仏像」である、と思ってきてしまうとかなり間違っちゃう感じ。

この展覧会で描かれる「ストーリー」の主題は、会場にはいればすぐにわかることなんですけど、「法隆寺と藝大の交流史~宝物修復、模写を中心に~」ってかんじなのです。

藝大の前身である東京美術学校の創設者である、岡倉天心が行った法隆寺の文化財調査のノートと、その該当品とわかるものを並べておく、とか。

法隆寺の宝物や仏像の複製を通じて、学び考えていた明治の芸術家たちの「学びの庭」たる「法隆寺」という視点。

そして、法隆寺の金堂の模写事業、そして金堂が燃えてしまった後の復元作業での交流、などなど、そのストーリーの中で法隆寺の宝物・仏像が置かれている、という風な感じですね。

パンフレットやポスターでは、そこのところはあまり強調されていませんので、行ってみて「あ、そうなんすか?」とちょっと驚く、という…

そこで頭を切り替えてみると、大変面白い展覧会だな、と思います。

特に、金堂の壁画復元に関しては、とても興味深かったです。会場の前の建物では『別品の祈り』と題された展示も無料で公開されてますので、ぜひ合わせてごらんください。ここでは在りし日の壁画が原寸で再現されています。これが本当に燃えてなかったらなあ、と思わずため息ついちゃいました。本当に美しい最高の仏画なんです。

こちらでその復元された仏壁画を拝見していて、そこで、はたと気づきました。

実はこの展示の表題には「東日本大震災復興記念・新潟中越地震復興10年」と書かれており、展示会場の冒頭で、まず「その復興を祈念して」という思いが書かれていました。そういったことと、金堂の被災・修復はオーバーラップするところがありますよね。そういう意味もあったんじゃないのかな。今度被災した文化財の修復などでも大きな役割を果たす藝大の覚悟表明、みたいな…。そういうことなんじゃないのかな。

…いやはや。いろいろ考えさせられる展示でした。
ぜひ足を運んでみてください!
『法隆寺~祈りとかたち』@東京藝術大学大学美術館(6/22まで)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2014/horyuji/horyuji_ja.htm

『別品の祈り』@東京藝術大学大学美術館(6/22まで)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2014/kondou/kondou_ja.htm