file.35 羊羹のまち・小城の「小城羊羹」


いちにちいちあんこ

以前、書いたことがありますが、水羊羹のまち、といえば福井。福井県の皆さんは、水ようかんを冬におこたで召し上がるそうですね。有名です。

実は、福井以上に佐賀県はもっとすごいのです。羊羹消費量日本一。そしてその震源地(?)は、そう、小城市の「小城羊羹」です。
なんと市内に20軒もの「羊羹屋」が点在している「羊羹のまち」。和菓子屋さんに羊羹があるんじゃないですよ、羊羹屋さんってのがすごいじゃないですか。
#ちなみに、観光協会の羊羹マップがすごい!町中にこんなに羊羹やあるなんて信じられません。
マップ→http://www.wakuwaku-ogi.com/youkan/roadmap.html

以前、FBに「羊羹のまち、小城に行ってみたい!」とあつく書いてみたら、なんと友人が小城羊羹をおすそ分けしてくれました。なんとまあ。ほんと口にだしていってみるもんです!Sちゃんありがと~!!

いただいた小城羊羹は二種類。

Sちゃんの手紙に、「ラップしてあるほうが一番の老舗のもの」と書かれてあります(おすそ分けなので半分に切ってラップして入れてくれてるんですね)
練り羊羹切り分けてみると、こんな感じです。ネットで「小城で一番古い店」と検索すると、村岡総本舗さんがあがってきます。こちらの羊羹かな。

かなりはっきりした甘さ。丁寧に作られたことがよくわかるなめらかな口当たり。4辺のうち一辺には、砂糖の膜ができていてシャリシャリしています。ほうほう、なるほどこれが有名な小城羊羹なのか…

そしてもう一つの小城羊羹。
天山の小城羊羹こちらが、天山本舗さんのパッケージ。開けてみると…
裁ち羊羹おおおお、周りが固い砂糖の膜に覆われてる!!!
カチカチしてます!

天山本舗さんの商品説明書をみると、この羊羹は「断ち羊羹」というものなんだそうで、「一本一本断った羊羹を乾燥させ表面を固くしており…(中略)…砂糖が糖化し結晶化したもので食べるとこの糖化によるシャリ感と内側の柔らかさを同時ににお楽しみいただけます」とあります。なるほどねえ。手間がかかってるんですねえ。
この断ち羊羹の手法も、小城羊羹の伝統的なものとのこと。ほお。

小城羊羹二種類並べてみました。
左が練り羊羹、右が天山本舗の断ち羊羹。断ち羊羹に糖化した砂糖の膜があるのわかります?
小城羊羹これだとわかりやすいでしょうか。右側の糖衣。
さて、天山本舗さんの断ち羊羹ですが、なんと意外なことに、思ったより甘くないのです!確かにシャリシャリ砂糖の膜がありますが、全体的にはかなりすっきりした甘さで美味しい!小豆の風味がよくわかります。ものすごく甘いんじゃないかと思ってたので、すごく意外でした。

それにしても、小城といえば、小城鍋島。歴史小説好きな私にとっては隆慶一郎さんの『死ぬことと見つけたり』に登場する鍋島藩の支藩で、まさに『葉隠れ』、「武士のまち」というイメージでしたが、これほどまでに美味しいあんこのまちだったとは…。

ぜひいってみたいですね!!

天山本舗
http://www.tenzanhonpo.co.jp/

*羊羹のまち・小城について参考させていただきましたのはこちらのサイトです↓
http://www.wakuwaku-ogi.com/youkan/index.html

file.34 力餅家の「権五郎力餅」と「福面まん頭」

 

いちにちいちあんこ

鎌倉、ときくと何となく美味しい和菓子がたくさんありそうな気がしますよね。江の島を訪れた私たちに、友人O夫婦が連れて行ってくれたのが、長谷駅の近くにある老舗「力餅家」。

こちらはネットでの口コミ情報によると創業が元禄年間らしいですね。お店から頂いた由緒を読むと、このお店の近くにある御霊神社(別名権五郎神社)に縁のお餅やさんのようです。
力餅家いい店構えですね~!こういう雰囲気大好きです。

さて、ここの名物「権五郎力餅」の、「権五郎」ですが。
由緒書のよると、平安時代後半、後三年の役のころといいますから1083~7年ぐらいですね、源義家(頼朝のひいひいおじいちゃん)に従って奥州に赴いた若い武士、鎌倉五郎為政という人物がいました。16歳という若い年齢でしたが、目に弓矢を受けながらも勇猛に戦い、武名を上げました。

鎌倉に戻ってきてからもその武名は高く、それを示す話として、手玉石のお話があります。

鎌倉時代の武士は、よく力比べをしていたんでしょうか。よく、鎌倉武士のいわれのある神社なんかで、「力石」というのを見ることがあります。力石というのはその名の通り、力比べの石、といった感じ。または「手玉石」ともいうみたいですが、源五郎さんも、やっぱり力自慢だったみたいですね。源五郎さんが軽々と持ち上げて袂にに入れた、という伝説のある手玉石(28貫)と袂石(16貫)が神社の境内に残されているそうです。

あれ?と思って計算したら、28貫って、105キロですよ!16貫は60キロ!
すごいなあ。

由緒によると、「源五郎さんの家来がこの手玉石に供え餅を献じ、「力餅」と名付けて、神社の参列者に分け与えたのが最初で、その後もこの武名を偲ぶよすがとして、力餅を代々名物として販売してきた(意訳・要約)」ということなんだそうですよ。
力餅そんなこんなで前置き長くなりましたが、こちらが力餅です!
力餅ちょっと寄っちゃいました^^;。伊勢の赤福に似てますね。つまりあんころ餅です。
力餅こちらのお餅は、昔ながらのお餅なので、固くなります。なので家に帰ってからちょっとレンジで温めていただきました。
あんこは、しっかりとした甘さのこしあん。お餅も、ちゃんとついたお餅って感じ。和菓子屋さんのお餅というよりは、お餅やさんのお餅です。美味しい!
お店の方のお話ですと、その日食べられるなら昔ながらのお餅を使ったものがお勧めだけど、お土産にするなら固くならない求肥版がお勧め、とのことでした。
あらかるとさて、一緒に行った友人Kちゃんが、求肥版の「力餅」と、「福面まん頭」をわけてくれました。
#私はお餅版の力餅しか買わなかったんですけど^^;;。ありがたや。。
あらかると福面万頭、かわいい!!天狗さんみたいな顔ですが、伎楽面からとってるんでしょうね。たぶん。
福面万頭福面万頭も美味しかった!中はこし餡。生地は人形焼の皮に似てますが、甘さ控えめでちょっと香ばしい感じ。
力餅(求肥版)写真ボケちゃってますが、こちらが力餅(求肥版)。求肥なので、求肥自体に甘さがあり、全体的にお餅版よりも甘さがアップしてるかな。つるんとしててあっといまに一個いただけちゃいます。

福面まん頭も美味しかったので、おそらくこの名物力餅以外も美味しいんだろうなあ。ぜひ次回行ったらほかの者にもチャレンジしたいと思います。

力餅家
http://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140402/14007758/

 

イシブカツvol.10  あついぞ!熊谷&深谷⑤善光寺式板碑コンプリート!


イシブカツ
全国でも数基しかないデザインの板碑
さて、狛犬さんたちにくぎ付けだった私たちですが、本題の板碑を見なくちゃね、と我に帰りました。
本堂を出て歩いて5分ぐらい。寺務所というか、もう一つの大きな建物があるんですけど、そこに至るまでの一般道のすぐわきに…
板碑ありました!
「立派立派!いいかんじだねえ」
にっこりとうなづきあう石部二人組。

これが本日、かなりメインな位置づけの板碑です。
というのも、熊谷のこの区域に、このデザインの板碑が3基あるんですけど、全国的に見てもとても珍しいものなんです。

板碑には梵字だけで表す場合と、実際に仏像を彫り出す場合とありますが、こちらに描かれている、仏像のスタイルがちょっと特別なのです。こういうのを「善光寺式」と言い、仏像の世界でもこのようなスタイルが存在します。

さて、この「善光寺式」ですが、これは、長野にある大寺院「善光寺」のご本尊のかたち(スタイル)のこと。じつは、仏教公伝の伝説なのですが、このご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」像と呼ばれ、日本で最古とされる仏像です。

昔日本史でならいましたよね。仏教が百済の聖明王より欽明天皇に初めてもたらされたってお話。「ごさんぱい」で538年、って暗記するやつです。(552年説もあります)
この時にもたらされた仏像が、この善光寺のご本尊だという言い伝えがあるのですね。実はこのご本尊は「絶対秘仏」なので、だれも見たことがないはずなのですが、これがそのスタイルだ、と伝わっているのが不思議ですね。とはいえ、古代からこれが「善光寺式」と言われてきたことは確かなのです。

んで、それがどういうものかと申しますと…善光寺式阿弥陀三尊像こ、こんなかんじです!
…はあはあ(息切れ)…。イラストにしてみたら難しかった(^^;)。いろいろ略しましたがざっくりこんな感じです。

まず、中央には阿弥陀如来さん、そしてその左右には脇侍の観音菩薩さんと勢至菩薩さんがいます。これは「三尊」といい、よく見る表現です。

では、善光寺式はどんな特徴があるかと申しますと、まずはその手のかたち〔印〕でしょうか。阿弥陀さんは左手をおろして、人差し指と中指をそろえた形(「刀印」)をしてます。そして菩薩さんたちは、胸の前で上下に手を合わせているような形(梵篋印)をしてます。

そして、仏さんたちが載ってる蓮台、普通は花弁があるお花の状態を台にした感じですが、花が散り終わって臼状になった蓮を台にしてます。

そして一番わかりやすいのは、三尊で一つの光背(後ろの光の部分)だということです。
善光寺式板碑ほら!確かに一つの光背の中に、三尊おさまってますよね?
ちなみに真ん中の阿弥陀さんの頭部の周りにあるものは、これは「飛天」または「化仏(化仏)」です。

斎藤実盛さんも善光寺信仰だった?
さて、それにしても何でこの熊谷のこの区域に、善光寺式仏像をレリーフした板碑が残されているのでしょうか。
鎌倉時代、善光寺は全国で崇敬されました。源頼朝や北条時宗も深く帰依しましたし、鎌倉新仏教の開祖たちも、こちらにお参りしています。宗派や主義を超えて崇敬されるのがこちらの特徴で、これは現在でも続いています。
#善光寺は、無宗派。天台宗と浄土宗両派でお祀りしている珍しいお寺です。

おそらく、熊谷のあたりでも、善光寺信仰を持つ武士がいたんでしょうね。こちらの板碑は、斎藤実盛さん創建の歓喜院の境内にありますから、斎藤さんちも善光寺信仰だったのかもしれません。

こちらの板碑、すごくいい感じです。仏さんのお顔はよくわからなくなっていますが、全体にまろやかな感じがして素敵です。鎌倉時代中期ごろの作と推測されています。

「あれ?なんかおかしいよ」
裏面を見ていた石造センパイが叫びました。板碑こちらが裏側。三つの文字が見えますが、「梵字」です。

「あれ??この梵字、「バク」?なんで?」

いぶかしむ石造センパイ。そうなんです。「バク」という梵字は釈迦如来を表します。この三文字は「釈迦三尊」を意味しているのです。

「表は阿弥陀三尊で、裏は釈迦三尊なんて珍しいよね」

普通は両面おなじですよね。なんでなんでしょう?帰宅してから調べてみましたが、「類例がない」と書かれていました。うーん。

せっかくだからコンプリートしたい
さて、謎は残しつつですが、時間的にもうちょっと見て廻れそうです。

調べてみましたら、このエリアであと二基、これと同じスタイルの板碑があることがわかりました。すごく珍しいものですから。あと二基見たらこのエリアでは「コンプリート」ですよ。そりゃ、みにいきますよね。

歓喜院から、車で10分ほど。

福寿院というお寺さんにやってきました。お寺さんと言っても無住寺のようですね。締め切った本堂と思しき建物と、墓地があります。
福寿院板碑ありましたありました!確かに一つの光背に三尊像です。
福寿院板碑ディテイルわかりにくいですが、菩薩さんたちの手の形、また宝冠のかたちがいかにも善光寺式です。

さてさて、もう一つでコンプリートですよ!!と騒ぐ私。
はっと気づくと、心なしか石造センパイが元気ない。

「……むとうさん、暑いね」

わあ、やっぱり暑さに体力奪われてる!
もう一つ、もう一つで今日は終わりですから!カキ氷食べましょうね!と励ましながら、急いで車に乗ります。

そしてまた約10分ほどのところ、能護寺さんです。
能護寺広々と広がる田園風景の中にぽつんと大きなお寺さん。こちらは何と創建は8世紀。行基菩薩が開創で、9世紀に空海さんが再建したとの縁起があるそうですよ。

20130722-37言葉少なになっていく石造センパイ。やばい、これは早く見つけないと!と焦る私。

すると、ありました!墓地の前あたり。ちょっと近くに寄れないので、ズームで写真を撮りました。ちょっとわかりにくいですが、こちらも、大きな光背がみえます。なるほど確かに善光寺式ですね。

しかし、日光が強すぎることもあるのか、よく見えません。……そしてじりじりと、暑い!

「石造センパイ、き、今日はもうこんなところでどうでしょうか」
「うん、むとうさん、今日はもうこれで終わりにしよう」

ヨレヨレなふたり。もう限界です。って言ってもまだ時間としては3時前で普段ならもう一つか二つ、となるところですけど、熊谷の暑さの前には敗北せざるを得ません。

あ~、もう無理~、もう限界だ~と念仏のように唱えながら、熊谷市街に戻り、かき氷屋さん「慈げん」さんへ。
和三盆+小豆あん美味しいかき氷「雪くま」で、どうにか生き返りました!

熊谷は本当に暑いです。石部もやっぱり真夏の熊谷は避けたほうがいいんじゃないか、と実感を持って思いました。「次回は春か秋にしましょうね」と語り合う二人…。

熊谷・深谷はまだまだ見るべきものがたくさんあります。ぜひまた近いうち訪れたいと誓い合う二人なのでした。

(終わり)