file.17 にいがた本高砂屋の「醤一位 銅鑼焼」

いちにちいちあんこ
昨日は、打ち合わせで東京駅に行ってきました。
東京駅といえば、ほんとにいろいろ変わりましたよね。おしゃれになりました。

最近TVなんかで見かけるKITTEの前を通りかかったので、何かおいしいものはないかしら、とウロウロ。そしてこちらの銅鑼焼きをみつけました!
醤一位

「すべて試食できます。お気軽に試食お申し付けください」

と書かれていたので、遠慮なく試食させていただきました。こちらの銅鑼焼きは、生地に醤油を使っているのがミソらしいですよ。「山崎醸造の醤油使用」と書かれています。
調べてみますと、新潟県下ではかなりメジャーなお醤油なのかな??

口の中に入れると…おおお!確かに醤油がいるいる!
確かに醤油味というか、みたらし団子的な方向の香りと味がしますよ!かなりしっかりした濃い味ですが、生地は軽めでふわふわなので、なんだか不思議な感じ。
醤一位ちょっと変わってて面白いので、さっそく家族の分も購入。みんなでいただきました。かなりのボリューム感。

あんこのほうも、わあ、これは美味しいですよ!

醤一位
お店のHPによりますと、こちらの工場のお水は超軟水なので、豆が柔らかくふっくら炊けるんだそうです。

甘さもかなり控えめです。生地のほうがかなり強めに甘辛いので、バランスを見てるからだろうなあ。

美味しゅうございました!

にいがた本高砂屋
http://www.niigata-hontaka.com/product/dora.html

 

イシブカツvol.9 東京真ん中編④山縣さんちの石もの〔前篇〕(椿山荘)

イシブカツ
山縣有朋さんという人
大倉集古館から来た道を戻り、溜池山王駅から地下鉄で江戸川橋駅へ。

江戸川橋からは徒歩で椿山荘へ向かいます。
椿山荘は武蔵野台地の東縁上にあります。そして東京のど真ん中とは思えないような自然が今に残されている場所なんです。

古くからこの辺りには椿が群生していて、南北朝時代ごろまでは「つばきやま」と呼ばれていたそうです。1878年に明治の元勲・山縣有朋公爵がこの場所を購入し、自邸として「椿山荘」と名付け、その後藤田平八郎男爵に譲渡され、ホテルとして開業するに至りました。

山縣さんは、政治家で軍人。イメージとしては「妖怪」「フィクサー」という感じですけど、文化面ではお茶人としても高名です。
大変な趣味人で、特に作庭を好みました。京都の作庭家・植治(7代目小川治兵衛)さんと作り上げた明治の名庭「無鄰菴庭園」(京都)をはじめ、「古稀庵庭園」(小田原)と、今回ご紹介する「椿山荘庭園」の三つを「山縣三庭園」と呼ぶくらい、多くの庭を作っています。

近代主義的で自然主義的な、新時代の日本庭園
山縣さんの好みは「近代主義的で自然主義的な」庭園であったと言います。それまでの主流であった、抽象的な「わびさび」な世界ではなく、自然を自然としてあるがままに、写実主義的に心地よい空間を作りたい、というのが山縣さんの考えでした。

無鄰菴の造園について後年山縣さん自身が語った言葉というのが残されています。(以下『植治~7代目小川治兵衛』白幡洋三郎監修・京都通信社 から要約を抜粋)

「この庭園の主山は東山であり山麓にあるこの庭園では、滝も水も東山から出てきたようにデザインする必要があり、石の配置樹木の配植もおのずと決まってくる」

ほほ~~。すごい。コンセプトに揺るぎがないですよ。まさに写実主義です。
それにしても本職・軍事&政治家の彼が、こんなにも明確にデザインの意図を持っていたなんて、驚きます。相当な才能です。そして本当に造園が好きだったんでしょうね。
好きだからこそでしょうか、細かい具体的な部分にも考えをめぐらしています。

「滝の岩の間にシダを植え、ツツジを岩に付着するように植える。地被としては苔でなく芝を用いるとともに、樅・楓・葉桜を植栽の中心とする」

植栽にまで指示を出しています。すごいなあ。

以上の抜粋は無鄰菴についてのものですが、椿山荘も同じように山縣さんは取り組んだはず。椿山荘は小石川在住の作庭家・岩本勝五郎さんという人と一緒に作ったらしいのですが、この岩本さんに関する情報はちょっと見つけられませんでした。でも、仕上がりを見ると相当力のある、当時は有名な方だったことは間違いありません。

椿山荘も、山縣さん好みの、自然をダイレクトに取り入れた美しい庭園です。

石造美術のクオリティは東京ナンバーワン!
さて、そんな山縣さんのお庭です。石ものも素晴らしいものがたくさんあって突っ込みどころ満載。とてもじゃないけどあれですので、今回はご紹介するものを限らせていただいちゃいます。
織田有楽斎の層塔まずはこちら!
この十三層塔は、お茶人として高名な織田有楽斎(おだゆうらくさい)ゆかりの層塔です。
織田有楽斎さんは、織田信長の弟で、千利休のお弟子だった人(利休十哲の一人)。身近なところですと、東京の有楽町は、昔あのあたり有楽斎の屋敷があったので名づけられたんだそうですよ。
層塔そ、それにしても遠い~~
ちょっと前までは、丘の上にあり、ものすごい近くまで近づくことができたんですけど、最近庭園全体を修復したみたいで、なんだかえらい遠くに行ってしまいました。なので写真がうまく撮れません^^;。残念。

こちらの層塔は、一部寄せてあるみたい(パーツごとに時代が異なる)で、古い部分は鎌倉時代のものだそうです。
全体的に姿がよくて、品がありますね。
青面金剛像そして、こちら。「庚申塔」です。庚申塔は道教由来の「庚申待ち」が基になってたてられているものです。『日本石造美術辞典』(川勝政太郎著)を見てみましょう。

「庚申待・・・・・・庚申の日に夜寝ると、人間の体内にいる「三巳虫(さんしちゅう)」が抜けだして、帝釈天にその人の悪事を告げるというので、本尊を祀り寝ないで庚申待ちをするという民間信仰をいう」

そんなわけで、この日は村中みんな寝ないで勤行をしたり、お酒を飲んだりして過ごしたんだそうですよ。結構楽しそうですよね。

青面金剛
さて、こちらの方、名前を「青面金剛(しょうめんこんごう)」という仏教の神さまです。
庚申待ちではこちらをご本尊としたことが多かったみたい。

青面金剛さんは、もともと人の生気を吸い、血肉を食べ、病をはやらす悪神でしたが、太元明王に降伏してからは善神になり、逆にそういったことから人を守るようになったそうです。
それがいつの間にか、道教系の庚申待ちのご本尊になって民間で信仰されたわけですね。

こちらの青面さん、かなり好きです。
よく見ますと、手に蛇持ってたりして強面ですけど、全体の線がかわいいですよね。そしてきれいです。青みがかった石と相まってなんだかとってもいい感じ。関東っぽい。
こちらの庚申塔は、江戸時代初期ぐらいのもので、椿山荘が立つ前からこの場所に立っていたと考えられるんだそうです。まさにこの土地の守り神。そういう存在をちゃんとこの場所に残されてるのは、さすが山縣さん、わかってるなあ。

(続く)

 

イシブカツvol.9 東京真ん中編②根津さんちの石もの(根津美術館)

イシブカツ

表参道の魂・根津美術館
表参道から歩いて7分ほどいった閑静な場所に、根津美術館はあります。このエリアは明治神宮もありますが、やはりこの根津美術館があることで、この土地の「品」を高めてる、と言ってもいいんじゃないでしょうか。こういう文化の懐があるというのはその土地の見えない基盤を作る気がするのです。

根津美美術館は、実業家でお茶人として高名でもあった根津喜八郎さんの私邸だったところです。私立の美術館ですけど、えええ!?っていうくらい良質な収蔵品をたくさんお持ちです。

特にこちらのお茶道具はすごい。焼き物は全くわかりませんが(すみません^^;)、こちらの青銅器コレクションは本当にため息が出るような素晴らしいものです。実は私は青銅器が大好きなので、それを観るためにも根津美術館を訪ねてしまうのですが、今回はそこじゃありません。なんといっても、イシブカツ!今日はお庭をじっくり拝観!

根津美術館さて、前回でもちらっとご紹介しましたが、まず入り口にこのセッティングです。

こちらは、根津美術館のサイトを見ると「月の石船」と名付けられているようです。ロマンティックどすな~。舟形の蹲踞(つくばい)を三日月に、後ろにある朝鮮燈籠の灯りを月光になぞらえた、とあります。ひゃ~!なんかかっこよすぎて照れくさいわ~!

とはいえ、この組み合わせは「お茶人である」ということを出自・軸にしていることを示しているような気がしてかっこいい。朝鮮燈籠というのは、朝鮮半島で造られた灯籠、ということですが、お茶人はこういった朝鮮由来の石造物を珍重しました。
おそらくこちらの灯籠は李氏朝鮮のころのもので、そんなに古くないと思いますが、軸部のあたりがステキです。

根津美術館のお庭、めっちゃ広いです
さて、そうして美しいアプローチを進み、入口で入館料をおさめ、館内に入ります。

現在は、『国宝・燕子花図屏風』展開催中。尾形光琳のあまりに有名な屏風は、本当に素晴らしいです。こちらのお話でもいくらでもかけてしまうので、端折りますが、ぜひ一度この季節に尋ねてみてください。というのも、この燕子花図をこの季節に出すというのにも意味があって……
リアル燕子花お庭の燕子花も満開なんですね~!
どうです、この趣向!さすが根津美術館です。

さて、こちらのお庭ですが、表参道のこの一等地にありえないわってくらい広いです。
高低差のある地形に大きな池(川のような感じ)を配し、そのところどころに由来のあるお茶室が4か所もしつらえてあります。
そのすべてに見立てがあり、見る位置でも風景が変わりますし、えらいこっちゃです。

これだけパターンがあると、石ものもたくさん必要です。そんなわけでいたるところに石ものが置かれています。

あったあった!!
正直言って、「う~ん…」と首をかしげるものもかなりあります。石造センパイの眉間も少々曇りがちです。
しかも、石ものにはよくあることなんですけど、置いてあるものにあんまり説明がないんですよね。なので、手探りな感じで鑑賞していきます。
層塔眉間を曇らせて、少々言葉少なだった石造センパイが、さっとカメラを取り出しました。
「これ、けっこういい、かも」
確かに何の説明もないので、ちょっと細かいことはわかりませんが、全体に品があっていいかんじ。部分的に寄せてるけど、けっこう古いかもしれません。
層塔軸部、四方仏が梵字で線刻されています。
彫りは浅めですけど、けっこういいかも。笠のところと軸のところなんて、大らかで品があります。室町ぐらいまではいくかなあ。

この層塔の出現で、私たちの機嫌はかなり↑。ちょっとほっとしました。

石仏そして、こちら!
こちらには説明板があります。平安末期~鎌倉初期、大分のあたりで造仏された、と。
大分といえば、磨崖仏で唯一の国宝「臼杵石仏」があります。時代もまさに同時期です。だいぶ雰囲気違いますけど…
石仏とはいえ、ちょっといたずらっ子のような、きかんきの強い子供のような表情が可愛らしい。
「如来像」とありますが、阿弥陀如来かなあ。

またそのすぐそばに変わった石仏発見。長い長い!(笑)
仏龕ぽい笠塔婆?
笠塔婆ですけど、軸部に地蔵菩薩のレリーフがあります。仏龕(ぶつがん)というべきかなあ。
お地蔵さん優しいお顔です。好きだなあ。それにしても細長い。こちらも結構古いんじゃないかな。

そして、さらなる珍品発見!
ナゾの石もの道の過度のところにぽつんと置かれてます。こういうの、初めて見ますよ!
四角なんですけど、こちら側の側面にはおなじみ五輪塔が浮き彫りになっていて…
ナゾの石ものもういっぱうの面では、船形光背とともに仏さんが彫られています。大日如来かなあ、と思いますが、どうも印が智拳印でも法界定印もなく合掌に見えます。菩薩像でしょうか。ううむ。でも雰囲気的に大日如来な気がします。五輪塔とセットだし。

それにしても、この両方とも、すっごくかわいい!
五輪塔も仏さんもなんかとても優しい雰囲気で、いいなああ。。根津美術館の中で一番好きかも!
それにしてもこれは一体なんなんだろう…

層塔「おお!?」
石造センパイがまた素早くカメラを取り出しました。

あ、この層塔もいいかも!!相輪は明らかな後補ですけど、それ以外は結構ママかもしれませんよ。
四方仏「むとうさん、この四方仏、どれが誰だと思う?」

石造センパイ、鋭い質問。
私は早速iphoneで、コンパスアプリを呼び出しました。

四方仏、というのはその名の通り、東西南北それぞれの仏さんのことを指します。一般的には東が薬師如来、西が阿弥陀如来。南が釈迦如来で北が弥勒如来〔菩薩〕になるんです。それを、梵字で表したり実際に仏さんの姿を彫って示したりするんですけども。

その法則で行くと、手前に見えているのが薬師さん。左のほうがお釈迦さんのはず。
でも、コンパスの針で見る東西南北と比べますとけっこうずれてます。ちょっと違うかもしれません。難しいなあ。

いろいろありすぎて少々混乱
そんなこんなで、根津美術館終了。
こちらではご紹介できませんが、とにかくありとあらゆる石造物がせめぎあってました。
とにかく数が多くて、あくまでも素人目ですけど、かなりの玉石混合な気が…^^;。詳しい方と一緒に一度解説付きで見学したいなあ、と思いました。

「一度、師匠と一緒に廻りたいね」

石造センパイのいうように、私たちの石の師匠・N先生と一緒廻ったら、もっと勘所がわかって味わい深いかもしれません。
いやあ、やっぱり庭の石ものって難しいですわ!

さて、次は大倉集古館へと向かいます。

(続く)