熊野は「隠国(こもりく)」。神霊のこもり隠れる場所
熊野三山と言いますと、熊野本宮・速玉・那智の三社のことですよね。こちらも吉野とはまた違った意味で、信仰活動がずーっと盛んだった地域です。あまりに重層的で、どう説明したらいいか、私のような素人にはもうお手上げ状態ではありますが、この素晴らしい図録の寄稿「熊野の神仏」(植島啓司氏執筆)を拝読していて、頭の中がだいぶ整理されてきました。
ちなみに、『日本歴史地名大系』を調べてみますと、「熊野」という言葉は、『国造本紀』に景行天皇のときに、大阿斗足尼という人を「熊野国」の国造に任命したとあるそうで、そこが最古みたい。
この熊野国はその後、紀伊国牟婁郡(むろごおり)となったそうなのですが、この「牟婁」は「室」のことで、神霊の隠れ籠るところを「神奈備の御室(みむろ)」というらしいのですが、この「御室」と同じ意味。でもって「熊野」の「くま」も「熊は隈にてこもる義にして」(続風土記)だそうで、同じ意味なんだそうです。
そして、この熊(隈)は、「死者の霊のこもるところ」という意味もあり、そのような地を万葉集では「隠国(こもりく)」と呼んでいたそうなんですが、「クマ」「コモ」というのも同じ意味を指すそうで、つまり、熊野国も「隠国」という意味の国名だった、と。
すみません、なんだかまわりくどい書き方になってますけど、ざっくり言ってしまえば、クマ野という名前を持つこの国は、昔から「神の国」「霊の国」、もっと言ってしまえば「あの世」みたいな意味合いを持っている場所だった、と言えますね。
この言葉の意味を前提として、また図録に戻りますと。
おおお、なるほど!
熊野の参籠についてのところ、
「それらの多くが目指したのは「籠り」(インキュベーション)ということであって、山林での修行のみならず、いずこかに籠って夢や瞑想を通じて何らかの啓示〔託宣〕を得るところであった」(P199)
とあります。
なんとなく、吉野との違いがあるような気がしますよね!吉野は山林を駆け巡る行がメインな感じで、熊野は瞑想したりして静かに籠る感じ。
吉野と熊野。
動と静。陽と隠。生と死。男性と女性。
といったイメージ。
そういえば、熊野には国生みの女神・イザナミノミコトの墓所と言われる花窟神社がありますし。ね。もちろんそんな単純な対比では間違っちゃうかもしれませんが、ざっくりとしたイメージとしてはありなんじゃないでしょうか、これ。
上の写真は、10年ほど前に花窟神社のお祭りを見に行った時の写真。このおおきな岩がご神体で、この岩壁に大きく空いた穴がイザナミノミコトの被葬地とされてます。
この神社があるエリアは、熊野の中でも最古層の神域、神籬(ひもろぎ)だった場所みたいですね。図録によりますと、そのエリアの神社から、弥生時代の遺跡が発見され、神をまつったような痕跡があったそうで、とにかくもう気が遠くなるように長い間この地には神聖な場所という意味があった、と思われるわけです。
そういう「聖地」だからこそ、新しい宗教だった仏教も入ってきたし、各時代で「あの世」「浄土」ととらえられ、熊野を訪れる人々が列をなした、ということなんでしょう。
展示のほうの話もしないとですね。展示のほうも素晴らしいラインナップでした。
とくに、「熊野速玉大神」像(国宝)が素晴らしい!!
上の写真は、園内に飾られていたポスターですが、このポスターの中央にあるお像がこの速玉大神像です。
神像というと、仏像のように凝ったつくりではなく、ちょっと素朴なお像が多いですが、このお像は非常に立派な作りで見事としか言いようがありません。
どっしりとした存在感。いかにも男らしい風貌です。
そのほかに、印象的だったのは「熊野曼荼羅図」でしょうか。熊野の神仏の世界を表わした「熊野曼荼羅図」がとにかくこれでもかとたくさん展示されていました。これらを見ていると、熊野はまさに「宇宙」と言ってもいいんじゃないかというような…。
それにしても、こうして少し熊野のことを知ってきますと、実際にたずねてみたくなりますね。そろそろ呼ばれどきかな?
(続く)