file.107 鳴海屋の「あんこ玉」

いちにちいちあんこ

「あんこが好きなら、会津駄菓子も試してごらん」

お蕎麦屋さんで、嬉しそうに「おまんじゅうの天ぷら」にかぶりつく私を見て、N先生がそうおっしゃってにっこり。

私は、不勉強で存じ上げませんでしたが、会津では「会津駄菓子」と呼ばれるほど、昔ながらの駄菓子がジャンルとして成立してるんですね。「あんこ玉」「きなこねじり」「ゆべし」といった懐かしい伝統お菓子のことをいうみたいです。

先生の講演会が行われるのは喜多方市。

少し待ち時間ができたので、喜多方の町を散策していて見つけたのが、鳴海屋さんという駄菓子屋さんです。こちらの創業は寛永元年(江戸時代)だそう。最初は染物屋さんで、駄菓子を作り出したのは明治に入ってからとのことで、蔵の町ならではの、歴史を感じさせる雰囲気のいいお店です。

お店の方に試食を勧められていただいてみると、わああ、美味しい!!

早速、あんこ玉を三種類購入しました!

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左から、桜味、抹茶味、あずきあんこです。

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丸い形が可愛かったので、お皿も水玉のにしてみましたよ。ちなみにこのお皿は沖縄の壺屋焼きです。

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手前に白いのが載ってますが、これは、どの味の包みにも必ず2・3個入ってるんです。白あ
んのあんこ玉。なんともお洒落な取り合わせです!

20151029-4割ってみますとこんな感じ!
どのあんこも、とても美味しいです。

甘さ控えめで、非常に上品。それもそのはず、水あめで練り上げて造ってるんだそうで、糖衣コーティングの甘味とちょうど合うくらいの、さっぱりとした甘みに仕上げているんだそうです。

そして、フレイバーも、絶妙です。

抹茶はちゃんとほろ苦さがあり、香りがしっかりとしていますし、
桜味は、写真にも桜葉の塩漬けが小さくその姿を見せてますけど、ほどよい塩気と桜の風味がしっかりと効いています。……うううむ、これは美味しい!!!

もちろんスタンダードな小豆あんと白あんも、とても美味しいです。豆の味がしっかりとして、しかもあっさりとしてますので、何個でも食べられちゃいます。
あんこ苦手な人でもいけるんじゃないかな。ちなみに、甘いものは苦手+お酒派の、N編集長も「あ、これなら食べられる、美味しい」と試食されてました。

日持ちもしますので、お土産にももってこいですね!

ちなみに帰り道、郡山から新幹線に乗ったのですが、お土産コーナーでこちら見かけました。もし気になった方は、郡山にお立ち寄りの際にはチェックしてみてくださいね♪

鳴海屋
http://www.i-kitakata.jp/?p=11338

【2015会津旅】②徳一さんはなぜ奈良から会津にやってきたのか

恵日寺さんにまずはご挨拶
お寺の方が、たまたまひょいと登場されまして、思いがけず中に入ってお参りできることになりました!
ご本尊のある内陣の前で参拝すると、「もしご興味がありましたら」と横奥のほうにある発掘された遺物が保管されているお部屋をちょっとのぞかせていただいちゃいました。うふふ。

写真は撮ってはいけないということでしたので、残念ながらありませんが、江戸時代中期の建造物と言う本堂は、とても立派な、個性的なものでしたよ。

私が何より感心してしまいましたのは、木材の立派なこと。樹齢何年だろう、というぐらい太い木からでないと取れなさそうな美しく大きな板戸。そこに、これまた美しい画がふんだんに描かれています。贅沢!

ご本尊は、徳一さんが創建した時は、もちろん「薬師三尊」像だったようですが、現在は当時のお像はもうありません。でも、今の恵日寺さんでもかわいらしいご本尊が三尊大切に祀られていました。実は、お話に夢中で、ご本尊にお参りしたものの、しっかりとじっくりと拝見してないんですよね。たぶん千手観音菩薩像がご本尊だったような気がしてるんですが、でも脇侍が二尊、菩薩像だったような気がするので、私の勘違いかもしれません。

お寺の方のお話では、室町くらいまでさかのぼるかもしれないという研究者もいます、とおっしゃっておられました。なるほど、確かに…。
#個人的には、(近くで見たわけではないので、あてずっぽうですが)江戸時代初期、元禄くらいまでさかのぼるかもしれないなあ、と思いました。

そして、いろいろ見るべきものをお教えいただき、いざ出発!
『史跡 慧日寺』へと向かいますよ~!

復元・慧日寺はやっぱり派手だった
恵日寺さんから歩いて3分ほど。復元された中門と金堂へと…
20151028-1入口で入場料を払いますと、資料館も一緒で500円。リーズナブルです。
20151028-2こちらが中門の復元。そして…

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こちらが金堂!今風に言えば本堂ですね。
金堂の前に敷き詰められている敷石も、当時の遺構からの復元だそうですよ。

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金堂の内部です。

それにしても壁や柱が朱色ママですと、派手に見えますよね~。今となるとシブイ各地の名刹も、建立当時はこんな感じだったわけですね。これぞまさに異空間ってやつですよ。「この世のものではない空間」っていうか。

やっぱね、こういうの見ますと、当時の「仏教」の位置づけが何となく感じられてくるような気がします。

「最先端の舶来文化」。

そのセンターが仏教寺院だったんだなあ、と改めて思うのです。

徳一さんは、「超エリート+最先端知識人」
ところで、今回連呼し続けております、「徳一さん」についてなんですけどもね。
一言で言うと、「最高の教育を受けた超エリートで最先端知識人」なお方なのです。

現代では、「お坊さま」とききますと、あくまでも宗教人としてのイメージがわいてくると思うのですが、徳一さんが生きた時代では、ちょっと意味合いが違うんですね。いえ、違うというか、なんというか。

今風に言うと、超エリート国立大学みたいな、全国の頭のいい人たちが集まってくる場所、というのが当時の奈良のお寺さん。もちろん目的は信仰かもしれませんけども、とにかく当時の最先端の考え方であった仏教の経典を学び、研究し、修行・実践する場所がお寺さんだった、と言っていいと思います。

徳一さんは、その中心的寺院である興福寺の「修円(しゅえん)」という人について学び、東大寺に住していたと伝わります。
この修円さんというお方がまた、当時最高の知識人の一人として世間からも評価の高いお方だったのです。そのお弟子ですからね、ほんとど真ん中ですよね。

徳一さんは、藤原氏関係者?

……あれれ??

しかし、『国史大辞典』の「徳一」項目によると、「師は修円と伝えられるが疑問がある」とありますよ。

徳一さんは生没年がはっきりしていないのですが、国史大辞典などによりますと、760年頃から840年頃としてます。
たいして、修円さんは、771年に生まれて834年入滅、とあります。すると、師匠である修円さんのほうが11歳年下ということになっちゃいますよね。それはちょっと不自然だなあ。しかも、徳一さんは20歳ごろに「東国へ行った」と伝えるものが多いので、余計におかしなことになっちゃいますね。

ちなみに、空海さんは、774年生まれで修円さんより三つ若くて、最澄さんは767年生まれなので、修円さんより4つ年上。それにしても、この年代、アツいなあ。日本仏教の偉人が何人も、同時に生きてるんですね。

話がちょとずれました。
徳一さんに戻しますと、師匠はひょっとしたら違うかもしれませんが、奈良のお寺で最高峰の仏教を学んだのは間違いないと言えます。さらに、当時、ヤマト朝廷が東北の〔前哨地〕として、重要視していた筑波(茨城)と会津に、彼は布教をするために行くわけです。

一説に、徳一は恵美押勝(えみのおしかつ)こと藤原仲麻呂(聖武天皇のいとこ)の息子ともいわれ、恵美押勝の乱で失脚、斬死した父の余波で東国に流された、とするものもあるんですけど、それはどうなんだろう、とちょっと疑問を覚えます。
本当に息子であったかは、確かめようがありませんけど、やっぱりここでもいえることは、こういう伝説がある以上藤原家に縁の深い人だったんじゃないかと思うんですよね。

それに、勉強していた「興福寺」は、藤原氏の氏寺です。
さらに、徳一さんは、会津の前に筑波に入り、中禅寺というお寺を建立するんですが、このつくばのある地域(常陸国(ひたちのくに)・現在の茨城県)と言うのは、鹿島神宮や香取神宮もあって藤原氏にとって先祖代々関係の深い土地ですものね。また同時に、ヤマト朝廷が東国・東北経営のために重要視していたルート、そのものとも言えます。

徳一さんが開祖となったお寺は何と70箇所を越えるとされるんですが、そのように大きなお寺を次々と立てることができたのも、 大きな支援者がいたからなんじゃないか、と考えてしまうんです。こういった当時の状況をどうしてもつなげて考えちゃいますよね。

(続く)

「木」ともう一度出会いたい⑤「美しい」は「正しい」

WOODBANKの美しさ
さて、カットされた木材を乾燥させ、保存するためのWOODBANKですが、何ともいえず美しいのです。
もちろん素材ですから、これから其々の職人さんの手によって、家具になったり、器になったりしてさらに美しくなるんですけど、このままでも十分美しい!
板材棚整然と並んでいる感じが、何ともたまらないです。乾燥に必要な隙間を設け、管理しやすいように並べていくと、おのずと規則正しく整っていくわけですね。
でも型を作って、同じようなものを大量生産したわけじゃないですから、厚さはともかく木目や幅などは、それぞれ違います。
板材棚とハタさん
何やら荘厳なものすら感じてしまいます。きれいだなあ……。
aidsu21木目も違いますし、色も違います。

このように、材料の段階から見たことがなかったので、やたら感動してしまいました。
ラボラトリーさんの家具は、こういうものから作られてるんですね。そりゃ、きれいなはずだ…

たくさんの人の手があってようやく「家具」になる
私たちは通常、完成形の「家具」しか見てないから、なかなかわからないですけど、手元に来るまでにさまざまな職人さんの手を経てるんだ、ということが、実感としてわかりました。
木材をきり、運び出す人。木材を見極めて木材にし、管理する人。デザインして家具に仕立て上げる人…。
ざっと大きく見ても、これだけの人たちの丁寧な仕事を経て手元に届いてるんですね。当然と言えば当然なんですけど、改めて感心してしまいました。

そしてその合間合間でも、こうして美しいっていうのは、なんだかとても「正しい」ことですよ!

かつて、ある作家の先生が「美しさというのは、圧倒的なパワーだよ」とおっしゃってましたが、そのことを思い出しました。
そういう意味で、このWOODBANKは、ものすごくパワフル。もし私がスピリチュアル系の人なら、「パワースポットですよ!」とか言っちゃいそうな勢いです。

(続く)