About 武藤 郁子

神仏・聖地探訪家。編集者兼ライターとして神仏や聖地、歴史や自然をテーマに活動中。著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人)がある。2024年6月『空海と密教解剖図鑑』(エクスナレッジ)を上梓。

BE-PAL.NET連載「文化系アウトドアのススメ」まとめ③最強パワースポットとしても大人気「御岩神社」

昨年年末からアウトドア雑誌『BE-PAL』さんのwebで始まった連載「文化系アウトドアのススメ」。連載と言っても不定期。ひと月かふた月に1テーマ。まとめをつくっておこうと思い立ちました。

最初のテーマは「大和葛城山」、次のテーマは「金剛山」でした。三つ目のテーマは「御岩神社」。ここ数年、「最強パワースポット」としても大人気の古社です。

神社ですが、巨石を要する山そのものがご神体なので、ちょっとアウトドア。実際に歩きながら、古来の日本人らしい宗教的世界を、今も体感できる場所だと思います。

「日本人らしい」と言うのは、どういうことかと言えば、それは「神仏混淆」の世界ということです。

今は、神社か寺(仏教寺院)かと、分けて考えるよう、それによって作法も違うし…と教わりますが、実はそのように分けられたのは明治になってから。

元々は、分かちがたく、一緒に祀られる存在でした。大きな神社には「神宮寺(じんぐうじ)」といって、神様にお経をあげたり、お守りするような役割のお寺が建立されていましたし、お寺には鎮守の神さまが祀られていました。

この「御岩神社」を取材したいと思ったのは、最強パワースポットとして大人気だと知ったこともありますが、今も明治以前の姿をとどめている場所らしい、と知ったことが最も大きな動機でした。

上の写真は、境内の様子ですが、実はとても象徴的。鳥居の内側に、大日如来像が安置されています。昔はこう言う風景が普通だったんですよね。

御岩神社は、そのような日本の原風景を、今も体感できる貴重な場所だと思います。実は、取材させていただいたら、このやたらとパワフルな場所である理由がもう一つあったこともわかったのですが、それはぜひ記事をご覧いただけたらと思います!

最後になりますが、同行させていただいた本田不二雄氏、たいへんお世話になりました御岩神社の宮司様を始め、各位、改めて御礼申し上げます。

第一回目 「パワースポットって何だ?!御岩神社を深読み歩き」

第二回目 「神仏が多すぎる!?御岩神社を深読み歩き」

第三回目 「納得の最強パワースポット 御岩神社を深読み歩き」

故宮博物院@台湾に行ってきました!②中国文化と言えば、玉器と青銅器ですよね

5000年を超える中国文化を象徴するものは「玉器」と「青銅器」

故宮博物院を参観するワタクシ。一番最初の部屋(仏教美術)で、思い切りはまってしまって、時間はどんどん過ぎるばかり。しかし、中国文化においては、仏教と言うのはもちろん大切な要素なんですけども、やや新しめの外来文化と言いますか、文化を構成する要素のひとつに過ぎないと言っていいと思います。

じゃあ、中国文化の根幹となっているものとは何か、という話ですよね。

簡潔に言ってしまえば、それは、約5000年余りの間に、中国から発生した様々な神話や宗教、思想などが堆積したものだと言えるでしょう。その重層さ、複雑さ、大量さを思うと、気が遠くなるような気がします。

そんな中国の世界観を一貫して代表しているものとは何かと考えますと、それは「玉」ではないかな、と私は思います。

(5000年ほど前の新石器時代・紅山文化の玉器。詳しくはまた別のレポートで)

「玉」(玉器)はいずれの時代においても、非常に大切にされてきました。日本人にはいまいちピンと来ないと思いますけど、中国文化圏において「玉」への信仰は、並々ならぬものがあります。もちろん世界中で、美しい貴重な石に対する信仰はあるわけですが、中国の「玉」へのこだわりは、ちょっと特殊なかんじがします。

(形骸化してますがこれも玉器と言えなくもない。翡翠でこういう鮮やかなグリーンとなるとミャンマー産。発見されて流通したのは17世紀末からなので、この白菜が製作されたのはそれ以降だと推察できますね。)

そして、「玉器」と同じくらい中国文化で特殊発達をしたのが、「青銅器」でしょう。「紀元前の中国文明の超絶的スゴさ」を体感するためには、「青銅器」を見るといいと思います。

私はこの青銅器が大好きなのです。幸いなことに、日本の文人に青銅器は大変愛されたために、泉屋博古館、根津美術館、奈良博青銅器館(坂本コレクション)など、ものすごいコレクションがいくつもあります。日本は世界でも有数の中国古代青銅器コレクション国なのです。

60年代以降の中国では、考古学的調査によって、たくさんの青銅器が発見されましたが、それ以前では、日本のコレクションと故宮博物院のコレクションが際立っていたんだろうと思います。そして、伝世ものの宝庫と言ったらそれはもう、故宮博物院のコレクションが圧倒的だろう、と私は想像していたのでした。清朝皇室が収集したであろう、伝世の青銅器なんて言ったら、もう、そりゃヤバいでしょう。

ちなみに、「伝世」と私が言っているのは、いつの時代かわからないですが、あるポイントから人の手に渡り、その来歴がある程度明らかなものを指しています。

古代青銅器、やっぱりすごいとしか言いようがない

というわけで、故宮博物院では、この青銅器を見るのがとにかく楽しみでした。想像通り、まさに天国のような状態!

私は思わず「フおおおおお」という奇声を上げ、ガラス越しにかじりつきました。

やっぱりすごいわ。

これだけ状態のいい良質なものが、これでもかと並んでいるなんて。清朝皇室の権力、やっぱ半端ないわ。

まず上の写真の青銅器。

これは、やばい。すごい。

説明には、「召卣、西周早期、酒器、 BC11~10」とあります。この「卣」は、日本語では「ゆう」と読みます。神に捧げる酒を入れる容器のことです。神に捧げる酒器にはたくさんの種類がありますが、「卣」は、楕円形と言うか、アーモンド形のものを言うようです。「漢字」は、私たち日本人が思う以上に、厳密に使い分けられるんですよね。

うわあああ。本当に美しい!!!

……さて。私の感動は、さておき。

このレポートを読んでくれる人は、はたしているのかどうか。古代中国の祭祀について、どれほどの人が興味があるのだろう……と、思うんですけども、もうちょっと青銅器について、レポートさせてください(弱気)。

(次回へと続く)

故宮博物院@台湾に行ってきました!①どう見ても銭弘俶塔なのに、銘が905年!?★追記。つまり阿育王信仰…

前回、「銭弘俶塔なのに、銘が905年!?ってどういうこと?」というレポートを書きました。

故宮博物院@台湾に行ってきました!①どう見ても銭弘俶塔なのに、銘が905年!?

その後、2004年トーハクさんで開催された『中国国宝展』の図録を読み返してましたら、まさにそのアンサーとなる文章が掲載されていつことに気が付きました!(『中国仏教美術史にみる阿育王信仰』小泉惠英氏執筆)

結論から言うと、私の理解不足でしたが、「阿育王塔」とは、中国で4世紀ぐらいから盛んになった「阿育王信仰」、つまり、仏舎利に関わる信仰の象徴として連綿と中国で作られており、ひとつの様式を伴った塔だったようです。

つまり、「銭弘俶は、阿育王の故事に倣って、阿育王塔の小塔を、阿育王が作ったと伝わる数でもって造塔した」と言ったほうがよかったみたいなのですね。

(ほかの資料によると、いわゆる「阿育王塔」は三層構造だったということなので、日本では、滋賀県にある石塔寺の三重塔が近いんじゃないかと、勝手に連想してみたり。そういや、阿育王塔ってあれそうだよな、と今更気づくニワトリ頭な私。日本にもバッチリ阿育王信仰は伝来しておりましたのですよ。石塔寺については以前、イシブでご紹介したことがあります↓ )

file.4 石塔寺三重塔(滋賀県)

ですので、この故宮博物院の「金塗塔」が、銭弘俶よりも先行していても、まったくおかしくない、ということになります。

なるほどなあ。

自己完結ではありますが、勉強になりました!

(むとう)