About 武藤 郁子

神仏・聖地探訪家。編集者兼ライターとして神仏や聖地、歴史や自然をテーマに活動中。著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人)がある。2024年6月『空海と密教解剖図鑑』(エクスナレッジ)を上梓。

『ひこばえに咲く』/玉岡かおる著

中面の編集をお手伝いさせていただきました、玉岡かおる先生の書下ろし小説『ひこばえに咲く』が7日に刊行されました!

私にとって玉岡先生といえば、『天涯の船』を拝読したのが初めてで、その壮大な物語世界に衝撃を受け、すぐさまさかのぼって何冊か拝読しました。そしてその後出版された『お家さん』でどっひゃ~となり、こういうの大〇ドラマでやってくれないかな、なんて勝手なことをつぶやいたりしておりました。

ようするに単なる1ファンです。

特に玉岡先生が描き出される、女性の、たよやかにも凛々しくて、弱くも強く、悲しくて美しい女性たちの姿は、もお、なんと言いましょうか、「香気」漂うあれでございますよ。男性もいいんですよねえ。ほんと色っぽくてねえ。そしてしっかりとした時代背景の書き込み。歴史好きにとっても勉強になりますし、しっかりとした地面があるので、自由に人間模様を堪能できる、そんな感じです。そんな玉岡先生のお作一連は『歴史恋愛大河小説』と私の中では勝手に読んでおります。

何事も、世の中に関係のないことはないのかもしれません。そんな私に、P社のO編集長から、なんと「玉岡先生の書き下ろし小説を手伝って~」とのお声がけが。

ハイ!!喜んで!!!

と即答。
あああ、ほんと。生きてるといいことってあるもんですねえ。
ひこばえに咲く
さて、今回の舞台は、太平洋戦争前後から現代の東京と津軽です。

絵を売ることなく自宅の納屋に150点もの絵画を仕舞い込んでいた90歳の画家と、画家を「オヤブン」と呼び慕う75歳の女流画家。

有能な画商だった父が急に廃業すると言い出して途方に暮れる40代後半の女性・アユコと、フランス在住の恋人トシノリ。

そのアユコが、ふとしたことで画家の画集を見たことで物語は動き出します。東京とパリ、東京と津軽、戦前戦後、そして今……。

まるで年齢も性別も背景も、共通点のないように思える4人ですが、見る見るうちに紡がれて、混然となり……

「男と女」とは。「芸術」とは。「人間が生きる」とは。そんなことが見事に浮き上がってきます。

私も、ついつい仕事を忘れて読みしれてしまいました。印象的なシーンはたくさんありますが、私にとってガツンとくらったシーンの一つ…

主人公アユコが、津軽にある画家のアトリエまで訪ねていった場面。

念願の絵を生で見て衝撃を受け、また同時に、その素晴らしい絵が、納屋にまるで建具でもしまい込むようにしまわれていることに衝撃を受けたアユコが、画家に投げかけた質問に対して、答えた老画家の言葉、

「書くためだけの絵もあるんでねが」

お、

おおおおお!……そうか、そうですよね!?
(思い切り玉岡先生の文章にのまれて単なる読者になってしまってますけど…^^;)

じつは、この物語には実在のモデルがいるんです。その人の生き方は、まさにこのセリフに象徴される、見事な生き様だったのではないか、と思います。

こんなに見事な人がいたんだ、と改めて感動してしまいますし、それが小説として描かれたことで、血肉をもって迫ってくるような気がします。

なにがしかものを作ったりしてますと、それが誰かに評価されたり、または商売にならないと「ダメ」なんじゃないかと思ってしまいますが、そういう軸じゃない軸だってあるんですよね。

もちろん、「恋愛」も大きなテーマになっています。最終章で、大どんでん返しの新事実が現れ、物語は収束します。きれいごとじゃない「生きる」ということ。それがドドンと胸に迫ってきます。

O編集長が帯にうたわれた文言、「人は、いつでも生き直せる」。
この言葉にピンときた方、ぜひ手に取ってみてください。タイトルの「ひこばえ」は「樹木の切り株や根本から生えてくる若芽」という意味です。本書を読むと、自分にもそんな「ひこばえ」の萌芽は準備されているんじゃないかな、と思えてきます。

(むとう)

ブルータスであんこ特集ですよ~!

 

ブルータス11月号

え?いまさら?という声が聞こえてきそうですが、ブルータスであんこ特集やってますね~!

いかにもいかにもマガジンハウスさんらしい、おしゃれな作り。あんこだけで第一特集っていうのは、かなりの冒険だったことでしょう。

でも、けっこう不思議なのは、絶対入ってなくちゃいけない名店が結構なかったりすること。許可とれなかったんでしょうか…。難しいですね。

ちなみに、私にとっては、この特集かなり新しい発見があってとてもうれしいです。特におおおお!と思ったのは、白いアズキ、「備中白小豆」の特集!小豆なのに白いんですって!こりゃ、食べてみたいわあ。

そうそう、データブック見ると5割くらい食べたことないお店でした!

ぜひ、今後のいちにちいちあんこに参考にさせていただきたいと思っております。

 

猫はいつ日本にやってきたのか~古墳時代の動物事情~

 

素人なりに歴史を少しでもちゃんと学びたいと思い、尊敬する大編集者・Yさんが立ち上げられた出版社・敬文舎さんが主催する「日本歴史文化講座(ヒスカル)」の講座に通っています。

古代の日本は大好きなんですけど、例のごとくつまみ食いで、ちゃんと勉強したことのない私にとっては、専門的な内容も含めてわかりやすく説明してくださるので、毎回とても勉強になっています。

さて、昨日は、講座の聴講生の皆さんとYさんと、講師のH先生を囲んでお茶をされるというので、そこに混ぜていただきました。

そこでも先生がいろいろ話をされていて楽しかったのですが、中でも『古墳時代の動物事情』ともいうべきお話がまたおもしろかった!

講座でも、馬や牛が古墳時代にどうだったか、というお話はよく出てきていました。魏志倭人伝には牛馬は倭の国にはいない、という有名な記述があるそうなのですが、それも、断定はできません。

日本最古の痕跡としては、箸墓古墳の周壕から馬具が発見されたそうで、これが4世紀初頭(300年代)。箸墓は卑弥呼のお墓じゃないかと言われている古墳なので、魏志倭人伝の記載とはちょっと食い違う感じもしないでもありませんが、少なくとも、これくらいには日本に馬はいた、と言っていいと思われます。これ以降の古墳からは、馬の骨や馬具がよく出てくるそうですしね。

聴講生のおひとりが、「馬はもちろん、犬は古くからいることはわかってますけど(むとう注:縄文時代の遺跡からもよく出てきますからね)、猫はいつから日本に来たんですか?」と聞かれると、

「猫はよくわかっていないんですよ。発掘していても猫の骨というのはあまり出てこない。でてきたときしてももっと新しい時代の骨なんじゃないか、と考えられてたんですね。というのも、埴輪で、猫とか出てこないんでね。犬とか馬形なんかはありますけど…。文献で、猫は平安時代には出てきますから、おそらく奈良時代終わりくらいには確実にいたと考えていいと思うんですけど、…っていう定説だったんですけどね。
実は数年前、古墳の中から須恵器、杯身(蓋付きの皿)の内側に、猫の足跡と思われるものが発見されたんですよ」

「タヌキとか、そういうのではなくてですか?」

「動物の専門家が見ても多分猫だろうってことなんですよね。そうなると、この遺跡は6世末から7世紀前半の古墳だったので、それくらいにはもう猫がいたんじゃないか、となりますけどね(笑)」

ええええ! 須恵器に猫の足跡ってめちゃくちゃかわいい!
なんかすごいピースフルじゃないですか?!

ディテイルを知りたくて、早速、ネットで検索してみると、ありましたありました。

兵庫県の姫路市にある、「見野古墳群」(6世紀~7世紀中ごろ)の横穴式石室から出土したんだそうですよ。発見したのは立命館大の学生。杯身(つきみ)と呼ばれる食器〔直径15センチ〕の内側に、白く丸い肉球らしき跡が5つ並んでいるのを発見したそうです。

ネットに残っているニュースの断片をいくつか見ますと、どうもその肉球の周りには爪のあとがないので、猫と特定していいんじゃないか、って感じになってるみたいです。猫は爪の出し入れができますからね。

いや、でも実際いたんじゃないかと思うんですよね。

だって、馬とか牛とか、船で運んでくるのに、猫がいないなんてなんかおかしい。

ご存じのように、猫はエジプトあたりにいるリビアヤマネコを家畜化したものと言われています。エジプトでは神としても尊崇されて大切にされましたが、その後徐々に世界中に広まりました。ちなみにちょっと調べてみますと、紀元前2世紀ぐらいにはお隣の中国に猫がいたことはわかってるんだそうです。

また、猫がさらに一般的に広がったのは7世紀くらいみたいですね…。航海時ネズミ駆除のために猫を乗せる、ということをしてたんだそうですが、それでさらに広まったみたいですね。

すると、この古墳の時代に該当しますねえ。

こりゃあ、いましたね。間違いなく。

20131030