「伝えたい」、そのときに必要なこととは!? 『「その一言」の見つけ方』/渡邉洋介著〔実務教育出版刊〕

どういうお仕事をされるにせよ、私たちは人間である限り、「言葉」を使わないわけにはいきません。

「人間」ということばが示す通り、「人」という生物は、人と人がつながって社会を構成し生きて死ぬ、という戦略をとって繁栄してきた種です。

たくさん言葉を発する必要があるかないか、そういう違いはありますが、最も必要で重要な「道具」だといえるでしょう。

私は、「読むこと」、「本」が大好きなので、編集のお仕事をしています。このお仕事は言葉という道具を使い倒すお仕事の一つだと思います。言葉を精査する、かっこいい言い方をすれば「研ぎ澄ます」という作業を繰り返し行っています。

しかし繰り返し行っているからこそ、ついつい簡単に、小手先でどうにかしようとしてくるのもまた人のサガ…^^;。そのことには気づいていても、これまた時間がないので、反射神経でえいやっ切り抜けてしまっている、そんな毎日です。いかんなあと思いつつ…。

そんな折、大好きなライターであり、編集者でもある堀香織さんがブックライターとして関わられている本『「そのひと言」の見つけ方』を拝読しました。

20141002本書は、電通の現役コピーライターの渡邉洋介さんが、「言葉を磨く」コツを50にまとめて教えてくださる、という内容です。あ、副題の通りだった。すみません^^;。

「書くコツ」「選ぶコツ」「練るコツ」「粘るコツ」「語るコツ」の5つのパートに分かれてそれぞれが10ずつで完結していてとても読みやすい。

そして何より、本書は、「基本」を思い出させてくれます。一つ一つは、「言われてみたらその通り」と思うことがほとんどです。

シンプルですがとても大事なこと。でもやってみようとするとなかなかできないこと。

実際、自分でもコピーを考えるとき、こんな風にやってるなあ、と思う箇所が多かったです。でもその量が違う。深度が違う。

たとえばコピーを考えるのに、少なくとも100考える、とあります。私はせいぜい50くらいだなあ、とか。

それも、最近では5くらいしか考えないなあ、とか。

これは、同じようなことをやっているようで、精度が全く違うと思います。自分で言うのもなんですけど、50考えて一つ選ぶのと、5考えて一つ選ぶのでは、もし結論が同じになったとしても深度がちがうなあ、と。それが100にもなればさらに違うだろうと思うんですね。

それから、電通のコピーライターというと、やっぱりすごい人と思うので、もっとひらめきのようなもの、つまり「才能」でぱっと言葉をつかみ取っているのかな、と思っていたのが、いい意味で裏切られます。

『言葉は「ひらめく」わけではなく「探しにいく」』
(「はじめに」より引用)

地道な努力の先に、その「言葉」はあるのだということを、繰り返し言っておられます。

そ、そうなんですね。なんかホッとするなあ。

もちろん、この地道な努力をし続けることができる、というのも「才能」だと思います。
人間のサガと言いましょうか、めんどくさくなったり、年とって多少経験ができてくると、力技でどうにか早く済ませようとしたりしてしまいますもの。それはやっぱり駄目ですよね。

そのほかにも、私的にはぐっと来た項目をいくつか挙げてみますと……、

『書く時間と同じくらい、選ぶ時間をとる。』

『3日間考えて、5秒で説明する。』

『自分の失敗文章を残しておく。』

うううむ、なるほどなるほど。
シンプルな言葉のようで、これは深いですよ!

いきなりたくさんはできませんから、私はまずこの三つを念頭に置いて実践してみたいと思います。

本書を読むと、それぞれに、または読むタイミングによってぐっとくる項目が違うんじゃないかと思います。その項目をそのたびに実践してみる、そんな感じでもいいのかもしれません。

とても読みやすい文体で、わかりやすく構成されていますので、職種に関係なく、ぜひお勧めしたい一冊です。

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第13回「陣馬街道」掲載!!

中村彰彦先生の本連載も、13回目。まるまる一年を超え二年目に突入しました。

先生の連載をお手伝いさせていただくようになり、慌てて八王子に取材に行ってみたり、遅れて山梨県や長野県を訪れたり…。遅ればせながら、武田家ゆかりの場所を訪ねてみたりしているわけですが。

実は、私の生まれた家「武藤」も、武田家と少々縁がございます。

うちは分家もいいところで、よくわからなくなってるんですけど、真田昌幸(幸村のお父さん)が一時養子に行った武藤の家に関わりがあるんだと聞いてます。

中村先生にそのことをお話すると、優しい先生は面白がってくださいました。先生は2012年に『真田三代風雲録』を上梓されてますので、そんな小さなつながりも良としてくださったのでしょう。

さて、前置き長くてすみません。本題に入ります。

武田信玄の末娘、松姫こと信松尼(しんしょうに)さんの生涯を描く「疾風に折れぬ花あり」も、いよいよ秀吉による天下統一仕上げの時期に入ってまいりました。

そうです。「小田原征伐」です。
20141001

「小田原征伐」という戦いは、「小田原評定」ということばで有名ですね。

当時、小田原城は、後北条家5代当主北条氏直(うじなお)が治めていました。天下の名城と言われた小田原城は難攻不落と言われ、伊豆・相模の雄として君臨し、関東八州にまで支配を広げていた北条家の象徴ともいうべき場所です。

また、北条家と武田家は、縁戚関係にもありました。

氏直さんのお母さんは武田信玄の娘、黄梅院という人なので、信松尼さんから見たら甥っ子にあたります。

また、信松尼さんのお兄さん、武田家最後の当主となった勝頼さんの後妻・北条夫人は氏直さんの叔母さんにあたります。

そんな濃い縁戚関係だったんですね。
当時の戦国大名は、同盟の証として婚姻関係を結んだりしますから、とても複雑です。

さて、この「小田原征伐」、我らが信松尼さんにも無関係ではないのです。

というのも、信松尼さんが住んでいる地域にあるお城は八王子城というのですが、このお城が、北条家にとって大切なお城なのです。

八王子城の城主は北条氏照(うじてる)という人で、氏直の叔父さんにあたります。たいへん優れた武将で、北条家を代表する人でした。

信松尼にとっても、勝頼の継室であった北条夫人の兄なので、氏照さんは義理の兄弟にもあたります。信松尼の存在を知ってからは生活を援助してくれ、頼れる人だったのですが…

いやはや…。

せっかく頼れる兄貴が出てきてくれた!とほっとしたのも束の間。

信松尼さんはどこまで行っても苦労しなくちゃいけない人なのです…。

詳しくは、ぜひ本編をご覧ください~!

(むとう)