『将軍の切り花 ~帳合屋音次郎 取引始末』/藤村与一郎著

さて、一月中二冊目の刊行のご報告です!

今回も、中面の編集を担当させていただきました。実は、時代小説書下ろしを担当させていただくの初めてだったのですが、ふってくださったN編集長様の心強い励ましと、藤村先生のやさしいお気づかいにより、どうにかこうにか進行させることができました。ありがとうございました!

さて。今回の物語の胆は何といっても『帳合屋(ちょうあいや)』というお仕事。実はこれ、藤村先生の創作とのことなのですが、創作とは思えないほど、江戸の商取引の世界にしっくりと展開しております。
帳合屋は、「A社がB社と、新しく取引をしたい、と考えたときに、間に入って取引できるように取り持つ」というお仕事。なんだか、現在でもこういうお仕事ってありますよね。

本書では、帳合屋のお仕事や人間模様を通して、江戸時代のいろんな商取引の世界を見ることができます。表題作『将軍の切り花』では、江戸時代の「花」と「米」業界の話。また、二作目では、「酒」業界、三作目では「砂糖」業界が舞台になっているんですが、へえええ!そうだったんだ!?と思うことばかりです。こういう角度の時代小説はなかなかないんじゃないでしょうか。

とはいえ、物語巧者の新鋭・藤村先生は、恋物語などの人間模様にも抜かりはありません。
つまり、経済小説がお好きな方にも、時代小説の世話物がお好きな方にも、きっとお喜びいただけるストーリーになっております。
シリーズ一作目ということで、様々な伏線がお披露目されたという感じの今回の一冊。ぜひ皆さんもお手に取ってみてくださいまし!(むとう)

 

 

「木」ともう一度出会いたい⑥幸せの定義

危機回避能力と、「居心地」

木を保管しているWOODBANKは、まるでパワースポットだった…。 こんなふうにパワースポット、なんていうと、え?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、体験的にそういうのって、本当にあるんじゃないか、と私は思っています。

霊感とか全然ないですが、「動物的勘」みたいなものは、結構あるほうなんですけど、「あ、ここは危険だ」とか「ここは安全だから気を抜いていい」とか、そういうことを良く感じるんですよね。 単なるビビりとも言えますけど、人間も動物ですから、ね。 そういう「生存危機回避能力」みたいなものは、あるのは当然とも思うわけです。

それを、普段の状況に移し替えて表現すれば「居心地(いごこち)」と言えます。自分が元気でいられる場所。楽しくなれる場所。ホッとできる場所、エネルギーチャージできる場所…。そういう場所は「居心地のいい」場所ですよね。 WOODBANKは、私にとってそういう意味で「居心地のいい」場所だったんです。

woodbankとえーいちシャチョー。そういえば、西洋に木の細工物を作る妖精がいましたね…

woodbankとえーいちシャチョー。そういえば、西洋に木の細工物を作る妖精がいましたね…

「じぶんちをパワースポットにする」計画
私は、これまで、その「居心地の良い」場所を求めて、旅をしてきたんですけど、よく考えたら自分の住んでる部屋でもっとそういうことを考えてみてもいいんじゃないの?と気付きました(今さらですけども^^;)。

私のオフィス兼個人部屋は、結構気に入ってます。でも、家具はすべて20年前に買ったお値段重視(つまりとても安い)な家具。それなりに気に入って買ったものですけど、これからのあと20年を背負う家具としては、ちょっと弱いかな、と思います。 このあたりを見直してみたい、という気がしてきました。 自分が好きな木で、自分の椅子や、机を作ってもらえたらめちゃくちゃ居心地のいい場所になりますよね!

私はこれまで、旅に出るためや、知識を得るため、という「ソフト」の方向に対してお金を使ってきました。あまり所有欲もないですし、また伝統工芸士の取材を続けていたこともあって、自分で「いいなあ」と思うものが度外れて値段が高かったりするもんで、所有することはあきらめていたのです。

でも、これから家具を買う時にはちょっとお金をためて、好きな木を選んで好きなデザインをしてもらって作ってもらう…ということをしてみたいと思いました。 いきなり全部は無理だけど、ちょっとずつちょっとずつ…。

南会津はご飯もお湯もサイコー!

本日のお宿・湯ノ花温泉 「本家亀屋」さん。

本日のお宿・湯ノ花温泉 「本家亀屋」さん。

さて、在庫確認などを一段落させてから、お待ちかね、本日のお宿へ! 南会津にはお湯どころも数か所あるらしく、お湯の里なのですね。今回のお宿「本家亀屋」さんは、もともとこの集落の庄屋さんだったお宅だそうで、古民家の中で美味しいご飯をたんまり頂き、お湯を楽しむことのできるお宿。えーいちさんたちがこちらに来ると必ず宿泊しているとのこと。

湯の花温泉には、小さな共同浴場が点在しており、たくさんのお湯を楽しむことができます。 食事まであまり時間がなかったので、私が入ったのはこの「弘法の湯」一か所。時間があったらハシゴしたかったんですけどね。

弘法の湯

弘法の湯

宿から歩いて5分。私が入った時には、ほかにおばあちゃんが一人だけ。とにかく余分なものは何もない、お湯を楽しむ浴場です。寒さでかじかんだ手足が伸びる伸びる! おばあちゃんとちょっとお話したら、毎日こちらに入りに来るんですって。贅沢ですよね~~~!うらやましすぎる!お肌ぴかぴかでしたよ。

さて、お待ちかねの夕ご飯です。こちらの夕ご飯は種類も豊富で量もすごい、味はもちろんサイコー!と聞いてましたが、ほんっとにその通りでした!

囲炉裏とイワナ。丁寧に丁寧に焼いていきます。

囲炉裏とイワナ。丁寧に丁寧に焼いていきます。

野菜・山菜や、地の魚が次から次へと登場します。 写真のイワナは、長い時間をかけてじっくり焼いてくれるので、骨までホロホロになって食べられるんです! そして、写真撮るの忘れてしまいましたが、赤カブの漬物が絶品でした!はしやすめとしたらちょっと多いかな、という量を盛ってくださってましたが、美味しいのであっというまに完食ですよ。

そしてそして、もうおなかいっぱい~何も入らない~~!と叫んでいるところに、これまた名物の手打ちそばが登場!
手打ちそばうわあああ、た、食べます食べます! おなかはもうはちきれんばかりでしたが、このツヤと香りはスルーできません!

自分にとっての「幸せ」とは
それにしても、すべてがじっくり、しっかり美味しゅうございました。派手な食材があるわけじゃないですが、すべてがきっちりと深い味でね。 幸せとはこういうことを言うだな~と思いました。

そう考えたら、お金ってちょっとあったらいいんですよね。 ないと困っちゃうからちょっとはないとあれですけども^^;。
しっかりとした地のものをちゃんと料理していただく。気の合う人たちと馬鹿な話をして笑う…。私は、そういうことがあればもう充分なんだなあ、と改めて実感しました。こういうことはそんなにお金はかからないです。もっと違う豊かさがありますね。私の幸せにはあんまり現金は必要ないのだなあ。

今回、この旅に誘ってくれたえーいちシャチョーには、とにかく感謝!
彼が実現させようと思っている「豊かな世界」を垣間見られたような気がしましたし、私自身も自分がなにをもって「幸せ」と感じるかを再確認することができました。

幸せな時間を体感させてくれた、できる男・えーいちさん酔っ払ってご就寝@こたつ。この後、インフルエンザが悪化して大変なことになることは、知る由もなかった…。

幸せな時間を体感させてくれた、できる男・えーいちさん酔っ払ってご就寝@こたつ。この後、インフルエンザが悪化して大変なことになることは、知る由もなかった…。

(終わり)

【仏勉】②シッダッタさんの生きた時代

さてさて、そんなわけで、シッダッタさんは世界三大宗教のうちの一つとされる仏教を開いたわけですが、シッダッタさんの生きた時代はどんな時代だったんでしょうか。

彼が生きていた前6世紀ごろのインドは(このあたりがインドのすごいところですけど^^;)、すでに文明の爛熟期のひと山ふた山を越えたかんじで、爛熟を超えて退廃的な雰囲気が色濃い状況でした。
ガンジス川流域の中部とインド東部には、都市を中心とした小国家が林立し、多くは王制でしたが、そのいくつかの国では共和制を布くほど。
商工業が盛んになって、物質生活も豊かになってきていたので、王族や商業階層が台頭し、バラモンを頂点としたカースト制も、以前よりは絶対的なものではなくなっていました。

仏陀と仏弟子像(プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム)

仏陀と仏弟子像(プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム:タイ)

…この流れ、なんだか18世紀ごろのヨーロッパみたいですよね。工業化により、それまでの支配者階級(貴族=地主)を押しのけるように、ブルジョアジーが台頭して、市民革命を起こす…みたいなながれですよ。

ですので、インドでも、自由思想家がたくさん現れました。当時の伝統宗教・バラモン教を批判し、新しい思想や宗教を起こした人は、シッダッタ以外にもたくさん存在していました。

シッダッタさんが登場した時代は、それほど、古い時代の権威を否定するような、改革のムードに満ち溢れた時代だったのです。

そんな空気の中で、シッダッタさんは思い悩み、またその深い悩みから修行に入り、ついには悟りを得たわけですね。まさに時代の要請だったともいえるでしょう。
(続く)