葛城山・吉野・金剛山~大和から河内へ。役行者を巡る旅~

11月初めに、葛城山、吉野、金剛山を旅してきました。

来年、修験道に関する本を書くことになったので、そのプレ取材です。
何ごともその場所に行かないと始まらない、という私のクセでありまして、今回も修験道と言えば、まずは役小角さんだろうということで、歴史上の役小角さんがいたであろう地を、歩いてきたんですね。

吉野の方は、度々訪ねてますが、葛城山と金剛山は初めてです。以前から、葛城山と金剛山は歩いてみたいと思っていたんですが、関東在住の身からしたら、なかなかに遠くて……。何かのついで、というわけにはいかない場所ですからね。
しかし、今回はお仕事でも必要だし!と、思い切って歩くことができました。

今回は、小角生誕の地、吉祥草寺を皮切りに、葛城山山頂→葛城山山麓(御所市)→吉野→金剛山山頂→金剛山山麓(河内長野市)というルート。

今回も、自分で日程設定しといてこう言うのなんですけど、かなり過酷でした。
頑張りました。
精いっぱい歩きました。
でも、時間が圧倒的に足りなかった!

それなりに、と思って、四泊五日取ったんですけど、甘かった……

しかし、とはいえ。

やはり実際に歩いてみないと分からないことがたくさんありました。
行ってよかったです。
(写真:葛城山山頂からのぞむ金剛山。綺麗でした!)

なぜ、「役小角」という超人があの場所に生まれ、修行し、活躍したのか。
日本文化の基盤である「山岳宗教」の大きな流れの突端が、なぜ、あの地なのか。

そんなことを考え始めるには、もってこいの取材ができたと思います。

今のところ、俄然私の中で盛り上がっているのは、「河内国」の存在感です。
大阪って、こういう側面からももっともっと全国に知られるべきすごい場所ですよ!!ほんとに!
メディアでこの手のことをご紹介するときに、土地勘もない関東の我々は、どうしても大和国からアプローチします。それも大切なことなんですが、しかしそれだけだと、かなりな片手落ちなんだなと、痛感しました。

このあたりのことは、来年の本にがっちり書きたいと思いますが、来月からもうちょっとライト目に、WEB版BE-PALさんでも、書かせていただくことになりそうです。

どうやって書こうかなあ、とちょっと迷い中です…^^;。

(むとう)

聖武天皇にも小さな子どもにもそそがれる優しい視線。生き生きと立ち上がる人間の素晴らしさ!『語りだす奈良』/西山厚著(ウェッジ刊)

かつて担当させていただいた、『感じる・調べる・もっと近づく 仏像の本』(仏像ガール著)で、監修をしていただいた西山厚先生。

私にとっては、恐れ多くも「心の師匠」であり、名著『仏教発見』(講談社新書)以降、単独のご著書を待望する声が巷に溢れておりましたが、ようやく出版されました~!まさに待望の一冊です!!
なんとありがたいことに、先生が送ってくださったのです。本当に嬉しいです!!

20151206

『仏教発見』でも、ぽろぽろ泣いてしまいましたが(正直言うと号泣しました)、今回もまたたくさん泣いてしまいました。予想した通りでした。これは電車の中では読めません。

先生の文章は、非常に明るくわかりやすく、仏教のことをよくわかっていない私のような素人にもよくわかるように、優しく語り掛けてくださいます。そして、その優しい言葉の重なりが、激しく心を揺さぶるのです。

私は以前、少しお酒をいただいた勢いもあり、生意気にも先生にこんな風に申し上げたことがります。

「先生の文章を拝読しておりますと、聖武天皇が、光明皇后が、生きてそこから立ち上がるんです。そんな言葉を紡げるかたなんてほかにいません!」

正確にいうと、「文章」だけではありませんね、「お話」からも、というべきでした。先生は語りの名手としてもそれはもう高名でらっしゃいますから。

先生の言葉によって、歴史上の人物が、まるで今ここにいて、優しく微笑んでいるような気がしてくるんです。そんな思いを抱く「言葉」に出会うことは、私にとって初めてでした。

そして先生の言葉は、弱き者へその視線が向かったときに、さらに優しく優しくなります。幼稚園の子どもたち、小学生の子どもたち、障害のある人たち……。
そして、愛する我が子を一歳になる前に亡くしてしまい、悲しみに狂いそうになる、聖武天皇と光明皇后にも……。

歴史上の偉人にも今を生きる子どもたちにも、時空を超えて、等しく「尊いやさしさの種」のようなものを見つけられ、それをさっと取り出して見せてくださるんです。それこそが仏教にいう「仏性」なのかもしれません。

今回のご本は、毎日新聞の「奈良の風に吹かれて」という連載を一冊にまとめられたものだそうです。タイトルから連想される通り「奈良」に関するお話をベースに、仏教、歴史上の人物に関するものもあれば、先生が旅をされるというお話もあります。一篇はとてもコンパクトなエッセイでお話は全部で118篇。
随所で胸が熱くなったり、涙がにじんだりしてしまいますが、そのたびに「人間っていいなあ」「生きていくっていいなあ」という気持ちになるのではないかと思います。まさに先生のやさしさと愛に溢れた一冊です!ぜひお手に取ってみてください!!

(むとう)

あまりにもすごい白鳳仏ラインナップ。必見です!!『白鳳』展@奈良国立博物館(7/18-9/23)

「白鳳(はくほう)」と聞いて、何のこと?と思われる人もいらっしゃるかもしれません。

奈良博さんHPによりますと、「白鳳は7世紀の半ばから710年に平城京に遷都するまでの間の文化や時代を指す言葉として、美術史学を中心に用いられてきました」とあります。

国史大辞典によりますと、もともと「奈良時代の公年号『白雉』(650-654)の異称」とのことなのですが、650年から平城京に都を移すまでの間、つまり大化の改新後即位した孝徳帝、斉明帝、天智帝、天武帝、持統帝、元明帝、元正帝が遷都するまでの期間の文物全般の様式を示す時などに、好んで用いられる名称なんですね。

特に仏像好きの世界で「白鳳」といえば、「そう、あれ!!」と即座に答えが返ってくる、非常に特徴的で美しい表現の仏像が造られた時代なのです。

白鳳仏といえば、2013年に東京藝術大学美術館で開催された「仏頭展」も、それを意識した展示になっていました。関東が誇る白鳳仏・深大寺さんの「釈迦如来倚像(しゃかにょらいきぞう)」も一緒に展示されてたりしてね。

仏頭展の主役、「興福寺仏頭」も、以前は「旧山田寺仏頭」とも呼ばれていましたが、もともとは山田寺と言う蘇我氏ゆかりのお寺さんにあったお像で、天武帝の頃の造像ですから「白鳳仏」です。「白鳳仏」の代表的なお顔、と言ったらあのお顔、ってくらいのびやかで美しく、また若々しいお顔が特徴的ですね。

さてさて、また前置き長いですね。
そんな白鳳仏を一度に観られてしまうという、奈良博さんならではの展示が7月18日から開催されています!

hakuhou

出品物一覧を拝見してますと、関東からは深大寺さんはやっぱり行きますね、あ、あと千葉の龍角寺さんも!
有名どころはだいたい拝見したことがあるのですが、鳥取など遠くの県のお像は拝見したことがないものもたくさんあります。こりゃまた垂涎!
有名どころと言っても、何度拝観してもまた会いたくなるお像ばかりです。大好きな薬師寺さんの聖観音さんに、お外で会えちゃうなんてなああ。うふうふ。

それから、ちょっとマニアックかもしれませんが、個人的には川原寺裏山から出土したという塼仏(せんぶつ)が出ていることに気付き、静かにコーフン!
以前写真で拝見してすごく美しくて、ぜひ一度拝見してみたいと思っていたんです。嬉しいなあ。

そんなわけでして、これは奈良へといかなくてはなりません!
8月の奈良は、死にそうなほど暑いので、ちょっと二の足を踏みますが、どうにか時間を作っていきたいと思います!
皆さんもぜひ足を運んでくださいね~!

奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2015toku/hakuhou/hakuhou_index.html