栖鳳さんは「鳥と猫派」だという確信〔竹内栖鳳展〕

あまりにもすごすぎてその全貌がよくわからないと思っていた絵の巨人・竹内栖鳳さん。
大規模な回顧展が国立近代美術館で開催されています。
20130923-1
ふっと時間ができたので、今日行ってみました。
図らずとも、前期の最終日だったためか、三連休の最終日だったためか、かなりの盛況ぶり。栖鳳さんといえば、重要文化財にも指定されている「斑猫(はんびょう)」があまりにも有名ですね。
20130923-2このチラシの、猫ちゃんです。美人ですねえ。一度はぜひ見てみたい絵の一つです。私は勝手に「美人画」だと思ってます。これ。

ところが、ちょっと血の気が引きましたが、この「斑猫」は、前期では出品されていないということを、現地で知ったのです!!ああああ、やっぱり、ちゃんと出品リスト見ておけばよかったあああ。

でもまあ、ポスターにもなっている「金獅(きんじし)」等はありますし、今後きっちりこれるかどうかわからないし…ということで、えいやと入館。

それにしてもすごい人出でした!

フリー稼業の気安さで、ここ最近平日の昼間にいったりしてるので、こういう人では久しぶり。

あまりにも膨大ですし、さまざまな手法・画材のものがありますので、なかなかお伝えしにくいのですが、私は動物が好きなので、動物に絞ってあえていうならば、

「栖鳳さんは、鳥と猫類が好きだと思う」

ということ。

彼が描くものを見ていると、鳥類と獅子や虎、猫などの猫類は、本当にかっこいいし、美しいんですけど、それにたいして、ちょっとびっくりするくらいほかの動物、かわいくないんですよね。
#すみません、これは私見ですよ、あくまでも。

例えばウサギ。何点かありましたけど、すっごく上手ですけど、かわいくないんですよ。不思議なくらい。

それから犬。犬もすっごく上手なんですけど、かわいないんですよ、これまた。子犬もいましたけど、かわいくないの!すっごい上手だけど!

しかし、それに対して、本当にライオン、虎は美しい!!
そして、スズメもかなり何度も登場しましたが、実物以上に少々荒々しく、同時に可愛いのです。(砂浴びした後、羽を振り立ててるみたいな「羽バッサ~」なスズメが多数登場)
ニワトリやアヒルも、いい。荒々しさ+可愛さ。そんな塩梅。

ほんと面白いですよね。

2歳年下で、京都生まれの、とってもよく似た背景を持つ神坂雪佳なんて、もう、どの動物描いても丸っとしてかわいらしさがにじんじゃうんですけどね。特に雪佳の犬なんて、めちゃくちゃかわいいですけど。…いや、もちろん方向性違いますからね、比べるのはあれかもしれませんけど、改めて面白いなあ、と。

それにしても大規模な展覧会ですので、風景画も素晴らしいものがたくさん出てましたし、人物画も出てました。見る人によってかなり印象が違うんじゃないかと思います。

ぜひ、観に行ってみてくださいね!

竹内栖鳳展
会期:2013年9月3日(火)~10月14日(月)
http://seiho2013.jp/

【朗報】清水寺奥ノ院の観音さまと新潟で、ご本尊と沖縄で会えちゃいますよ!!

仏像好きの皆さんはもうとっくにチェックされてましたか?
私、すっかり後ノリになっております。情けなや…

なんと、京都清水寺奥ノ院の秘仏・「三面千手観世音菩薩像」が新潟万代島美術館にて。
また、秘仏は展示されませんが、そのほかの貴重な仏像や曼荼羅図などが沖縄県立博物館・美術館にて公開されるというではありませんか!!!

なぜ、新潟と沖縄…。何かご縁がおありなんでしょうか?

沖縄は私にとっても第二の故郷のような場所ですので、こちらにもいきたい気持ちでいっぱいですが、なんと言いましても、奥の院の秘仏「三面千手観世音菩薩像」は、2000年も2009年も見逃してしまっているが故に、思わず指が震えるほどに衝撃を受けました。

いや、だって33年に一度のご開帳が本来ですから、ね。もう、生きてるうちに一度でも拝観できたらいいか…とほほ……。と落ち込んでいたところ、まさかのこの特別開帳ですもの。いやもう、なんかご褒美もらったような嬉しさですよ!

これはいかねばなりますまい!

新潟は10月14日まで。
沖縄は11月2日~12月8日!!

(詳しくは清水寺のHPにて ↓)
http://www.kiyomizudera.or.jp/news/2013/08/post-3.html
20130909

イシブカツvol.9 東京真ん中編④山縣さんちの石もの〔前篇〕(椿山荘)

イシブカツ
山縣有朋さんという人
大倉集古館から来た道を戻り、溜池山王駅から地下鉄で江戸川橋駅へ。

江戸川橋からは徒歩で椿山荘へ向かいます。
椿山荘は武蔵野台地の東縁上にあります。そして東京のど真ん中とは思えないような自然が今に残されている場所なんです。

古くからこの辺りには椿が群生していて、南北朝時代ごろまでは「つばきやま」と呼ばれていたそうです。1878年に明治の元勲・山縣有朋公爵がこの場所を購入し、自邸として「椿山荘」と名付け、その後藤田平八郎男爵に譲渡され、ホテルとして開業するに至りました。

山縣さんは、政治家で軍人。イメージとしては「妖怪」「フィクサー」という感じですけど、文化面ではお茶人としても高名です。
大変な趣味人で、特に作庭を好みました。京都の作庭家・植治(7代目小川治兵衛)さんと作り上げた明治の名庭「無鄰菴庭園」(京都)をはじめ、「古稀庵庭園」(小田原)と、今回ご紹介する「椿山荘庭園」の三つを「山縣三庭園」と呼ぶくらい、多くの庭を作っています。

近代主義的で自然主義的な、新時代の日本庭園
山縣さんの好みは「近代主義的で自然主義的な」庭園であったと言います。それまでの主流であった、抽象的な「わびさび」な世界ではなく、自然を自然としてあるがままに、写実主義的に心地よい空間を作りたい、というのが山縣さんの考えでした。

無鄰菴の造園について後年山縣さん自身が語った言葉というのが残されています。(以下『植治~7代目小川治兵衛』白幡洋三郎監修・京都通信社 から要約を抜粋)

「この庭園の主山は東山であり山麓にあるこの庭園では、滝も水も東山から出てきたようにデザインする必要があり、石の配置樹木の配植もおのずと決まってくる」

ほほ~~。すごい。コンセプトに揺るぎがないですよ。まさに写実主義です。
それにしても本職・軍事&政治家の彼が、こんなにも明確にデザインの意図を持っていたなんて、驚きます。相当な才能です。そして本当に造園が好きだったんでしょうね。
好きだからこそでしょうか、細かい具体的な部分にも考えをめぐらしています。

「滝の岩の間にシダを植え、ツツジを岩に付着するように植える。地被としては苔でなく芝を用いるとともに、樅・楓・葉桜を植栽の中心とする」

植栽にまで指示を出しています。すごいなあ。

以上の抜粋は無鄰菴についてのものですが、椿山荘も同じように山縣さんは取り組んだはず。椿山荘は小石川在住の作庭家・岩本勝五郎さんという人と一緒に作ったらしいのですが、この岩本さんに関する情報はちょっと見つけられませんでした。でも、仕上がりを見ると相当力のある、当時は有名な方だったことは間違いありません。

椿山荘も、山縣さん好みの、自然をダイレクトに取り入れた美しい庭園です。

石造美術のクオリティは東京ナンバーワン!
さて、そんな山縣さんのお庭です。石ものも素晴らしいものがたくさんあって突っ込みどころ満載。とてもじゃないけどあれですので、今回はご紹介するものを限らせていただいちゃいます。
織田有楽斎の層塔まずはこちら!
この十三層塔は、お茶人として高名な織田有楽斎(おだゆうらくさい)ゆかりの層塔です。
織田有楽斎さんは、織田信長の弟で、千利休のお弟子だった人(利休十哲の一人)。身近なところですと、東京の有楽町は、昔あのあたり有楽斎の屋敷があったので名づけられたんだそうですよ。
層塔そ、それにしても遠い~~
ちょっと前までは、丘の上にあり、ものすごい近くまで近づくことができたんですけど、最近庭園全体を修復したみたいで、なんだかえらい遠くに行ってしまいました。なので写真がうまく撮れません^^;。残念。

こちらの層塔は、一部寄せてあるみたい(パーツごとに時代が異なる)で、古い部分は鎌倉時代のものだそうです。
全体的に姿がよくて、品がありますね。
青面金剛像そして、こちら。「庚申塔」です。庚申塔は道教由来の「庚申待ち」が基になってたてられているものです。『日本石造美術辞典』(川勝政太郎著)を見てみましょう。

「庚申待・・・・・・庚申の日に夜寝ると、人間の体内にいる「三巳虫(さんしちゅう)」が抜けだして、帝釈天にその人の悪事を告げるというので、本尊を祀り寝ないで庚申待ちをするという民間信仰をいう」

そんなわけで、この日は村中みんな寝ないで勤行をしたり、お酒を飲んだりして過ごしたんだそうですよ。結構楽しそうですよね。

青面金剛
さて、こちらの方、名前を「青面金剛(しょうめんこんごう)」という仏教の神さまです。
庚申待ちではこちらをご本尊としたことが多かったみたい。

青面金剛さんは、もともと人の生気を吸い、血肉を食べ、病をはやらす悪神でしたが、太元明王に降伏してからは善神になり、逆にそういったことから人を守るようになったそうです。
それがいつの間にか、道教系の庚申待ちのご本尊になって民間で信仰されたわけですね。

こちらの青面さん、かなり好きです。
よく見ますと、手に蛇持ってたりして強面ですけど、全体の線がかわいいですよね。そしてきれいです。青みがかった石と相まってなんだかとってもいい感じ。関東っぽい。
こちらの庚申塔は、江戸時代初期ぐらいのもので、椿山荘が立つ前からこの場所に立っていたと考えられるんだそうです。まさにこの土地の守り神。そういう存在をちゃんとこの場所に残されてるのは、さすが山縣さん、わかってるなあ。

(続く)