歴史を見てみると、歴史上に名を残すような天才が、どうしてこんなに集中して登場したの?と驚く時代や場所があることに気付きます。
どうしてなのかわかりませんが、天才が生まれやすい時代や場所というのはあるのかもしれません。革新的な流れが、全体に渦巻いているからなんでしょうか。
さて、そんな時代と場所で、今の日本文化を屋台骨を形成した場所の最も重要な場所が、金剛山地ではないかと、私は思っています。そんな思いもあり、私にとって金剛山地は憧れの地ですし、特別な場所なのです。
そんな思いを込めまして、『フカボリ山の日本論』の第7回目は金剛山について書かせていただきました。
金剛山には、定住する様式を持つ人々ではなく、動く前提で暮らす人々の聖地だったのではないか、と思ってるんですね。
修験道の祖とされる役小角。
日本仏教黎明期の傑僧・行基。
大乗仏教の到達点である密教の伝承者・空海。
日本史上最大の軍事的天才・楠木正成。
………わあああ、いかがですか、この綺羅星のようなラインナップ。
こんなすごいビッグネームが、すべて金剛山で修行してるんですよ。これは偶然ではないと思います。そして彼らには、共通点があると思うのですね。それは、自由を愛する気風、清濁併せのむようなスケールの大きさ、理想を貫く心の強さ。私はそんな共通点を、「金剛山魂」と名付けてしまいました。
そんな思いを込めて、本編の方を書いてみました。今回の金剛山は、大阪府サイドの金剛山、という感じですね。実は、奈良県サイドの金剛山地と、大阪府サイドの金剛山は、全然雰囲気が違うんです。そのあたりももうちょっと書きたかったな~。いずれそのへんのお話も、いずれかで書いてみたいと思います。
金剛山というと、低山ハイクのイメージが強い方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜひこんな角度でも楽しんでいただけたらと思います。あの場所の凄さをもっと多くの人に気付いていただけたらなと切に願っております。
(むとう)