「金沢文庫」とは??
二年に一度くらいでしょうか。埼玉から遠路はるばる、京急「金沢文庫」駅に降り立ちます。私のすんでいるエリアの駅からは、2時間10分ほどかかります。こうなるとちょっとした旅ですよね。
ところで、みなさん。「金沢文庫」ってどう読みます?
「かなざわぶんこ」が一般的ですよね。
でも、もともとは「かねざわぶんこ」と読むのが正しいようです。というのも、この金沢文庫は、鎌倉時代に金沢(かねざわ)流北条氏(金沢氏)二代目、北条実時が建てたものだからなんですね。
そう。形は変われども「金沢文庫」とは、鎌倉時代からずーっと存在しているものなのです!この事実をご存じない方も結構多いかもしれないと思います。
さて、この、創設者の実時という人ですが。
鎌倉幕府三代目執権・泰時の甥であり、幕府の要職を務めた名流です。同時にたいへん好学の人で、和漢の書物を収集し、のみならず自ら書写点校にもつとめました。そのために、鎌倉の自宅には貴重な書物が収蔵されていたらしいのですが、何度か火事で類焼してしまった。それに懲りた実時さんは、金沢の地に別荘を建て、そこに書物を移したそうなんです。
――そのことを称して、いつの間にか世に「金沢の北条の殿の御文庫」と言われるようになったのであろう。(『国史大辞典』より)
学問好きの殿さまが、立派な書庫をお持ちだ、と評判だったんでしょうね。この界隈の人はこのあたりを「文庫ヶ谷(ぶんこがやつ)」なんて読んだりしてたんだそうです。
実時さんは、のちに別荘を中心に寺院を建立しました。「称名寺(しょうみょうじ)」という真言律のお寺で、代々高僧が住職を務め、日本中から学僧たちが仏教を学ぶために集まるような、大寺院だったそうです。しかし、鎌倉幕府が滅び、北条氏が滅んでからは衰微の一途をたどり、江戸時代には創建当時の堂塔のほとんどが無くなってしまいました。
上の写真は、現在の様子です。浄土式庭園が美しいステキな境内ですが、1778年に『称名寺絵図』をもとに復元されたものなんだそうです。
金沢文庫の収蔵典籍約二万点あまりが一括して「国宝」に
そして、現在の「金沢文庫」は、この称名寺の西側に新しく建てられた中世史専門の歴史博物館です。称名寺や称名寺が管理していた金沢文庫の貴重な資料が主な収蔵品になるわけなんですが、それがとうとう昨年、その2万点余りにおよぶ称名寺聖教(しょうぎょう。経典のこと)および金沢文庫文書が一括して国宝に指定されました。
(こちらが金沢文庫。称名寺境内から抜けていくとこんな感じです)
いや~、すごいことですよね~!
一括で国宝指定だなんて、素人の私でもこれらの典籍がいかに貴重なものであるかがわかります。
しかし、その貴重さの本当のところを、私はよくわかっていなかった。
この典籍類とは、日本どころか東アジア全体の、ひいてはアジア文化史にとって貴重な、本当に奇蹟のような宝物なんです。今回、講座を聴講したことでちょっとだけ身に迫って理解できたような気がします。
現在こちらで公開中の特別展『アンニョンハセヨ!元暁法師』展では、連動して「韓国仏教入門」(全三回)という講座を開講しておられます。
実は、ここのところの日韓の関係に、ひとり静かに心を痛めていました。歴史的に難しい事柄はたくさんあれど、そうはいってもやはり韓国も北朝鮮も、本来とても近しい存在ですし、兄弟のように共有している文化背景もたくさんある。なのに、ネガティブな側面ばかりが目についてしまい、ポジティブな側面が見えにくくなっているような気がしてならないのです。
最近、そんなことを思い、改めて朝鮮(韓)半島の文化、境界地域の文化、日本の文化について自分なりに、学び直そうと思っていたので、この特別講座にはまさにドンピシャ!です。
(つづく)