御神木について熱く語る(バーチャル)トークセッション開催します!【『神木探偵』by本田不二雄氏応援企画】

4月10日に発売になりました本田大兄の新刊『神木探偵』ですが、リアル書店さんの店頭で見ていただけないことを危惧し、自称妹分としては、これは何かせねば!と一念発起。バーチャルなトークセッションを開催することに致しました。

場所はFacebook上。zoomと連携させての開催です。実はすでに第1回目は「今なぜ御神木なのか」と題しまして15日に敢行、慣れない中不手際も多かったのですが、温かい皆様の支えで、どうにか進行できました。

今回のセッションは、とりあえず3回を予定してまして、第2回目は来週水曜日、4/22の夜9時より、ライブ公開しようと思っています。テーマは「御神木の凄さの理由」。ぜひ見に来ていただけたらと思います。

Facebookページ『神木探偵』トークセッション
https://www.facebook.com/shinbokutantei/

(むとう)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑩対馬は神社だらけ!九州の三分の一の式内社が集中する場所

対馬島内には式内社が29社、そのうち明神大社がなんと6社もある!

私たちが知る『日本神話』とは、『古事記』や『日本書紀』の記載がベースになっているのですが、対馬に残る神社の神さまの名前や、言い伝えなどを読んでいると、ちょっとびっくりするくらい共通点があります。「共通点」というよりも、「祖型」といったほうがいいですね。よりプリミティブに感じる物語の断片が、たくさん残っているのです。

「延喜式(えんぎしき)」(平安時代に編纂された律令の施行細則、法令集みたいなもの。927年完成)には、「神名帳」が掲載されています。これは、当時の朝廷が重要視した全国の神社のリストで、このリストに名前があるものを「式内社」と呼び、社格のひとつになっています。(長い年月で消滅したものもあれば、確かなことが分からなくなったりもしているので、様々な状況証拠から「たぶんここがそう!」というとこを「比定地」としていることも多い)

つまり、「式内社」だということは、次のようなことを連想させるするわけです。
①927年の段階で、その神社があったことを史実として考えていい
②朝廷が無視できない力を持つ神社があり、氏族がそこにいたということ

そのなかに「明神大社」というのがあります。「明神大」と略されたりしますが、これは、式内社の中でも特に朝廷にとって重要だったお社ということなんですが、なんと対馬にはこの明神大のお社が、「6社」もあるのです。ちなみに式内社は29社で、九州全体(98社)の三分の一が集中しているというものすごさ。
しかも、『対馬神社ガイドブック』(対馬観光物産協会)によると、江戸時代初頭には島内に455社あったという記録があるそうです。現在はかなり減って130社だとのことですが、それにしたって多いです。

狙いは明神大社と、対馬独自の神・多久頭魂(タクズタマ)のお社

有名どころだけでもものすごい数になってしまうので、とりあえず今回は「明神大」のお社を重点的に参拝してみることにしました。対馬は、博多や釜山への航路の帰着港になっていて、ポイントになる港が南北に二つありますが、その厳原港と比田勝港の車による移動時間が、約二時間半かかります。

上の図では、オレンジの線を引いたところが「明神大」のお社。そして赤いチェックが今回参拝したい場所です。

対馬には、「タクズタマ」という神さまがいてとても重要。前述したように、対馬は『古事記』『日本書紀』に出てくる神々の祖型がみられると思われるのですが、この「タクズタマ」は記紀には出てきません。出てこないけども、タクズタマの両親とされる神さまたちは、めちゃくちゃ重要な神さまとして登場するのです。
しかも、タクズタマの両親とされる神々はタカミムスビ、カミムスビと言って日本神話だと性別がない「ヒトリガミ」とされている尊い神々なのですよ。なので、その二人の子だという説明を読んだ時、私は思わず目をむいてしまいました。
それは、ぜひとも拝観せねば、と気合を入れたのです。

そんなこんなで、厳原港でレンタカーを借りて、とにかく北へ。廻れるところからということで出発!

(続く)