日本人の根源、”始まりの場所”を探して…『異界神社ーニッポンの奥宮ー』本田不二雄著(駒草出版)

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異界神社……この世じゃない場所

”神仏探偵”こと、我が兄貴分・本田不二雄さんが新刊を出されました。その名も『異界神社』。さすが本田さんとしか言いようがないセレクション。すごい神社がなんと47社も目白押し!有名な神社も登場しますが、知る人ぞ知る神社もたくさん掲載されています。写真もたくさん掲載されていてオールカラーですよ。毎度ながら本当にすごいです!

さて、今回本田さんが名付けられた「異界神社」、この”異界”、どんな意味か辞書で改めて調べてみました。すると、「日常生活の場所と時間の外側にある世界。また、ある社会の外にある世界」とあります(『日本国語大辞典』)。日常生活…つまり私たちが生きるこの世界とは違う、外の世界のこと。本田さん流に表現すればそれが「この世じゃない場所」。

この世じゃない場所が現実にあるなんて、不思議ですよね。しかし、まさにそうとしか言いようのないほど、不思議で魅力的な場所がある……それが”異界神社”なのです。『異界神社』は、長年神仏の現場を取材してきた本田さんが出合ってきた、そんなすごい場所をまとめた特別な一冊というわけです。

怖いような、しかし心惹かれるのは…

神社に行くと、実はいくつも建物があることに気付きますよね。主祭神を祀る本殿(本宮とも)があり、その周辺に小さなお社が点在しています。これらのお社にはそれぞれ違う神様が祀られているのですが、このようなお社を「摂社」と呼びます。そのような摂社の一つ、とも言えますが、特別な存在として「奥宮」と呼ばれるお社があります。同じ境内にある場合もありますが、少し離れた場所にあることが多いのですが、「奥宮」はその神社の根源的な場所に鎮座しているのです。

本田さんは、異界神社とは「日本の”奥宮”である」――とおっしゃいます。
「神社の多くは、人間の生活圏のなかに存在しているが、古い由緒を持つ神社のなかに、そこに至る以前の根源を記憶し、忘れないでいるために大切に保たれた特別の場所がある。それが奥宮である」(まえがきより引用)

確かに、本田さんがご紹介されている神社の写真を見ていると、まさしくこの世と思えないような情景です。なのに、何か妙に心惹かれます。それはひょっとしたら、私自身気付けないままでいる古い記憶が、その古い記憶を保存している場所に出会って、共振しているということなのかもしれません。

(特に私が心惹かれたのは「洞窟」の異界神社)

深層に横たわる変わらぬもの

『異界神社』に紹介されている神社は、山頂、幽谷、半島、海辺…と実に多様です。ぜひお手に取ってご覧いただきたいのですが、中でも私が特に心惹かれたのは、「洞窟」。九州の奥豊後(大分県竹田市周辺)には、洞窟にまつわる神社がたくさんあるそうなんです。

私もこのエリアは大好きで、何度も足を運んでいます。仏教文化の宝庫である国東半島、そして宇佐八幡、臼杵の大仏…と、歴史好き・仏教美術好きにはたまらないスポットなのですが、確かにこのエリアはやけに「石(岩)」に関わりをもつ寺社が多いなあと感じていました。

(熊野磨崖仏〔うち不動明王像〕(豊後高田市、国指定重要文化財)。国東や奥豊後ではこのように石と聖なるものが、特に密接な関係を持つ)

「奥豊後の地で出会う驚きや感動の多くは、ことごとく岩(石)に関係していた。中でも私の関心は、この地の洞窟にフォーカスされていった。というより、気になるスポットを探索していくと、いつも”そこ”に突き当たってしまうのだ。」(p168より引用)

この一節を読んで、「わかる~~!」と叫んじゃいましたね。そして、その究極形として「洞窟」がある、と。

それから、自然の洞窟もありますが、人の手によって整えられた洞窟に安置された神社も多いようなんですね。そしてさらには、キリシタンの作った礼拝堂も人工洞窟に鎮座しているんだそうです。自然洞窟に礼拝堂が作られるということは全国的に見たら、けっこうあるらしいのですが、人工にというのは珍しいそうです。

つまりこの地では、「洞窟」に「聖なるもの」を安置したい、という無意識の文化的文脈があったのではないか…、ということなんですね。ない場合は作んなきゃ、洞窟がないと(あるいは石の側でないと)お祈りの場所にならないじゃん…みたいな感じですね。

なぜ今「神社」なのか

時代や歴史、そのときの環境によって、宗教も文化も変わります。しかし、そのように変化する側面だけでなく、変化しない側面もしっかりとあるんじゃないかと思うんです。

本田さんはその変わらない部分を「日本人の根源」と呼び、「異界神社」の中に保存されている何かだとお考えなのではないかと想像します。このあたりは、私が『縄文神社』で追い求めているものと、共通しているんじゃないかなあと思います。

同じものを追い求めているのに、これだけアプローチが違う本になるのって、面白いですよね。そして、そういうものを追い求めている二人が、狙ったわけじゃないのに、同じタイミングで「神社」を主題にした本を出した、ということに、深い意味があるんじゃないかと思います。

なぜ今神社なのか。

本田さんも私も、「神社」、そしてその場所自体に、不変な何か、日本文化の根源につながる何かがあると感じたから、このような本を書いたのではないか…と思います。ぜひ皆さんにも『異界神社』、そして拙著『縄文神社』の両方をお読みいただけたらと思っております。

ぜひ一緒にお手元に~!

縄文遺跡と神社が重なっている場所:縄文神社の入門書/『縄文神社~首都圏篇~』武藤郁子著(飛鳥新社)

書籍の編集者としてお仕事を初めてはや20年以上‥‥。そんなことからして「編集者である」という自己認識が強い私ですが、6年ほど前から執筆のお仕事もやらせていただくようになりました。

2019年には兄貴分の神仏探偵・本田不二雄氏のお導きで『今を生きるための密教』を共著で刊行させていただくことができ、そしてこのたび、自分の単独著書を出版することができました!!

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ちゃんと上梓できてとてもうれしいのですが、同時に、これまで以上に責任も感じています。本書を出せたことはスタートです。本書に書いたことについて、これからもっと心を込めて掘り下げるべく、しっかりと取り組んでいきたいと思っています。

ところで、この《縄文神社》。聞いたことないけど、いったい何なの?と、怪訝に思われた人も多いだろうと思います。それもそのはず。この《縄文神社》は、私が勝手に呼び始めた言葉で、「縄文遺跡と、神社が重なっている場所」を指します。

縄文時代は、1万6千年前くらいからいたい1万3千年ほど続いた時代です。それほど昔の時代にも、人々が祈りを捧げていた場所がありました。そして同じ場所に、今も祈りの場所である「神社」がある場合がある、と気づいたんです。それほど長く、祈りの場所であり続けている場所というのは、世界的に見てもとても珍しい、貴重なことだと思い、そんな神社を敬意を込めて《縄文神社》と呼ぶことにしたんです。

縄文文化や歴史、神社を愛する人、関心がある方は、たくさんいらっしゃると思います。そんな皆さんには「縄文神社」という視点で、改めて大好きな縄文と、神社を体験してほしいと思っています。そして同時に、普段はあまり歴史や神社に関心がない、という方にも、本書を手に取っていただき、神社や縄文、ひいては日本の歴史や文化に、興味を持っていただけたらと願っています。

本書について、また《縄文神社》というコンセプトについては、3月からスタートした新サイト「縄文神社.jp」の方で詳しくご紹介しておりますので、そちらの方もぜひのぞいてみてくださいね~!!

(むとう)