連載『フカボリ山の文化論』第3回は「穂高岳とホタカと海の民」です!/YAMAP MAGIZINE

2019年11月から始動した「YAMAP MAGAZINE」さんにて連載中の「フカボリ山の文化論」第3回目が公開されました!

第3回「穂高岳とホタカと海の民」

海なし県である長野県は、ちょっと不思議なほど海の民との関係が深い場所が多いのですが、安曇野はその代表格。今回はそんな謎解きから、穂高岳の神さまと考えられる「穂高見命(ホタカミノミコト)」について考えてみたりしております!

今回は、専門家でもないのにいいのかなあと思いつつも、自分なりの妄想を主軸に展開させていただいております。ぜひのぞいてみてくださいね~。

それにしてもですね。改めて自分で言うのもなんですけど、今回の記事もまたやっちまってます。「穂高岳」をテーマにした記事なのに、山に全然登らないどころか、「穂高岳」本体の話をする前に、5000wを越えてしまいました。

心優しい友人で編集担当のS氏は、それでいいと言ってくれるので、まあいいという事にしよう、と思っておりますが、YAMAP MAGAZINE内での、私の浮きっぷりが気になる小心者です。

今回なんて、ほとんど弥生時代までの話しかしてないしな~。

しかし、それでも喜んでくれる、YAMAP MAGAZINE編集部の懐の深さよ…。ありがとうSさん。

穂高岳本体の話は、次回に持ち越し。穂高岳をいろいろ調べていて、本当に驚いたんですが、これだけすごい山なのに、修験の痕跡が薄いんです。第4回ではそんなお話をしてみたいと思います!

(むとう)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑪住吉神社なのに、祭神はワタツミ系の不思議

その一、鶏知の住吉神社〔明神大社比定〕

対馬島のちょうど真ん中には、入り組んだ入り江と島からなる浅茅(あそう)湾があり、その南側の入り口といった位置に「鷄知(けち)」という集落があります。住吉神社はその集落に鎮座しています。

対馬の集落は、切り立った山の下に形成されているので、かなり密集した感じなのですが、このお社がある場所も、辿りつくまでの道が細くて、慣れない車で焦りまくりました。

とはいえ、どうにかたどり着くと大きく立派な鳥居があり、参道をぐいぐい歩いて行きます。屋根のある門をくぐりますと、お社が見えてきましたが……

……あ、やっぱり、参道の正面にお社がありませんよ。
しかもすごい角度。ううむ。これは、気のせいではありませんよね。万松院と全く同じ思想を感じます。やっぱり意図的にはずしてるんだよな……


いやもう、これはわかりやすい。
なんかよくわからないけど、くいっと真ん中から外す、それが対馬の寺社の作法なのか……。

住吉さんなのに、祭神は住吉三神ではないこの不思議

謎は深まるばかりですが、さらに謎が深まるのは、こちらは明神大社の住吉神社なのに、その主祭神が、住吉三神ではないということです。
住吉神社は、日本中にありますが、中でも有名なのは大阪の住吉大社と博多の住吉神社でしょうか(この二社はいずれも明神大です)。
「住吉社」と言えば、主祭神は住吉三神こと、底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) なのですが、鶏知の住吉神社は違います。
鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、玉依毘売命(タマヨリビメノミコト)の三神です。

何だかこう神さまの名前を羅列されると、わけわからなくなるかもしれませんが、ものすごくざっくりご説明しますと

ウガヤフキアエズ→神武天皇の父
トヨタマヒメ →海神オオワタツミの娘。ウガヤフキアエズの母で、神武天皇祖母
タマヨリビメ →海神オオワタツミの娘。ウガヤフキアエズの叔母で妻。神武天皇母

となります。「海幸彦と山幸彦」のお話はご存じの方が多いと思いますが、その山幸彦が海の底に行って結ばれたお姫さまというのが、このトヨタマヒメ。そして二人の間の子が、ウガヤフキアエズなのですね。

そして、住吉三神はというと、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)から戻って穢れを清めるために、海に入ったところ生まれた神々。有名なのは、神功皇后 の三韓遠征を促し、神功皇后(第14代仲哀天皇皇后)は住吉三神の加護のおかげで三韓を平定し、無事帰還したという物語です。そのため、神功皇后も一緒にお祀りされることも多いらしく、「住吉大神」というとこの四神のことを言うこともあるようです。

しかし、こちらに祀られているのは、初代天皇である神武天皇のお父さんとお母さん、そして奥さん。神話上とはいえ13代の隔たりがあります。

また、ちょっと見方を変えますと、ウガヤフキアエズは天孫系ですが、女性二人は海人族の女性です。つまり、祭神の名前だけ見る限り、こちらは住吉神社というよりは、ワタツミ神社という内容ですよね。

ちなみに、住吉神社はもうひとつ鴨居瀬という集落にもあり、どうも最初の住吉神社はこちらのようで「元宮」と呼ばれるそうです。こちらには住吉三神が祀られているそうなので、なぜ新宮では祀られなくなってしまったんだろう、と素朴な疑問……。

(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑩対馬は神社だらけ!九州の三分の一の式内社が集中する場所

対馬島内には式内社が29社、そのうち明神大社がなんと6社もある!

私たちが知る『日本神話』とは、『古事記』や『日本書紀』の記載がベースになっているのですが、対馬に残る神社の神さまの名前や、言い伝えなどを読んでいると、ちょっとびっくりするくらい共通点があります。「共通点」というよりも、「祖型」といったほうがいいですね。よりプリミティブに感じる物語の断片が、たくさん残っているのです。

「延喜式(えんぎしき)」(平安時代に編纂された律令の施行細則、法令集みたいなもの。927年完成)には、「神名帳」が掲載されています。これは、当時の朝廷が重要視した全国の神社のリストで、このリストに名前があるものを「式内社」と呼び、社格のひとつになっています。(長い年月で消滅したものもあれば、確かなことが分からなくなったりもしているので、様々な状況証拠から「たぶんここがそう!」というとこを「比定地」としていることも多い)

つまり、「式内社」だということは、次のようなことを連想させるするわけです。
①927年の段階で、その神社があったことを史実として考えていい
②朝廷が無視できない力を持つ神社があり、氏族がそこにいたということ

そのなかに「明神大社」というのがあります。「明神大」と略されたりしますが、これは、式内社の中でも特に朝廷にとって重要だったお社ということなんですが、なんと対馬にはこの明神大のお社が、「6社」もあるのです。ちなみに式内社は29社で、九州全体(98社)の三分の一が集中しているというものすごさ。
しかも、『対馬神社ガイドブック』(対馬観光物産協会)によると、江戸時代初頭には島内に455社あったという記録があるそうです。現在はかなり減って130社だとのことですが、それにしたって多いです。

狙いは明神大社と、対馬独自の神・多久頭魂(タクズタマ)のお社

有名どころだけでもものすごい数になってしまうので、とりあえず今回は「明神大」のお社を重点的に参拝してみることにしました。対馬は、博多や釜山への航路の帰着港になっていて、ポイントになる港が南北に二つありますが、その厳原港と比田勝港の車による移動時間が、約二時間半かかります。

上の図では、オレンジの線を引いたところが「明神大」のお社。そして赤いチェックが今回参拝したい場所です。

対馬には、「タクズタマ」という神さまがいてとても重要。前述したように、対馬は『古事記』『日本書紀』に出てくる神々の祖型がみられると思われるのですが、この「タクズタマ」は記紀には出てきません。出てこないけども、タクズタマの両親とされる神さまたちは、めちゃくちゃ重要な神さまとして登場するのです。
しかも、タクズタマの両親とされる神々はタカミムスビ、カミムスビと言って日本神話だと性別がない「ヒトリガミ」とされている尊い神々なのですよ。なので、その二人の子だという説明を読んだ時、私は思わず目をむいてしまいました。
それは、ぜひとも拝観せねば、と気合を入れたのです。

そんなこんなで、厳原港でレンタカーを借りて、とにかく北へ。廻れるところからということで出発!

(続く)