【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑧宗氏はどうして「宗」なんでしょう?(…大胆にも妄想仮説)

惟宗(これむね)氏のルーツ〈秦氏〉を考えてみる

対馬を長らく統治した「宗氏」をさかのぼると、惟宗(これむね)氏に行きあたります。この「惟宗」と言う氏族は、秦(はた)氏系の氏族である、と辞書などに書いてあります。

そこで、「出た!秦氏!」と思わず浮足立ってしまうのは、歴史ファンとして仕方ないですよね。
秦氏と言えば、京都太秦(うずまさ)の…と思い浮かべる人も多いかと思います。『新撰姓氏録』などによれば、「秦の始皇帝の末裔で、百済からやってきた」とということですが、様々な説があるようです。でも私は、新羅系だろうな、と思っています。

――なぜならば。
秦氏の氏寺・太秦寺の仏像が、〈新羅系〉のお顔をしてるからです!(単純!)

数年前、韓国の仏像や仏塔を見て廻ったことがあるんですけども、その時に、慶州を訪ねて、仏国寺、石窟庵で8世紀の仏像のお顔を拝見した瞬間、「あっ」と腑に落ちちゃいました。ああ、秦氏は新羅系だわ、と。

それまでは、秦氏というのは百済系だというけれども、なんかちょっと違うよなあ、やっぱり朝鮮半島に移住した中国系氏族だからなのかしら…、なんて思っていたんですが、あ、やっぱ新羅系、と確信してしまったのです。

(写真:仏国寺大雄殿。文章と関係ないですけども、この石燈籠の素晴らしさと言ったらもう!見てるだけで興奮してしまうレベル)

(仏国寺でとにかく見るべきなのは、この多宝塔と…)

(写真:そして釈迦塔。この塔二基と石灯籠、および石造の構造物は774年創建当時のものですよ。新羅仏教美術最盛期のものですよ。そりゃもう、素晴らしすぎて石造美術ファンなら鼻血出ちゃいますよ)

 

何をもって美とするかは、固有の美意識そのもの

美しさに対する好みというのは、時代の趨勢・流行もありますが、本質的にその氏族(今風に言えば民族)の特徴が出やすいと思います。
特に仏像のお顔には、その美意識のすべてが注力されますから、明確に出るように思うのです。

石窟庵のお像・釈迦如来のお顔は、紛れもなく、太秦広隆寺 (こうりゅうじ)の有名な「弥勒菩薩半跏思唯像」のお顔の方向性だったんです。
写真では何度も見ていましたけど、そんな感覚は全くなかった。仏像を見るときに、こうしたことはよく起こります。写真ではなかなかこの「美の空気感」みたいなものは、感じられないんです。
やはり実際に拝観しないと分からないものなのかもしれません。

有名な秦河勝(かわかつ)が新羅仏教の信奉者であったことは、有名な話ですが、それからしても、やはり新羅系ですよね。信教のチョイスと美意識は、ルーツと密接に関係しているだろうと思うからです。

「海」を表わす言葉「ハタ」、「アマ」、「ウミ」

さて、この「秦」氏の「ハタ」。これはやっぱり、「海」のことを指してるんじゃないでしょうか。
古い日本語では、海を「ワタ」と言いました。海神の名のひとつに「ワタツミノカミ」があるように、「ワタ」は海のこと。朝鮮語の「パダ」とほぼ一緒ですね。

ちなみに、海を表わす古い言葉に「アマ」があります。「天」も「アマ」といいますが、ある瞬間に天と海の境が無くなるような体験をする海洋民族ならではの言葉遣いな気がしますね。
(写真:対馬の北部、千俵蒔山近くから臨む海。「天(アマ)」と「海(アマ)」の境目のあわいが美しい)

そういえば、今最も一般的な「海(ウミ)」はどうなんでしょう。いつから使われていたんでしょうか。

『国語大辞典』の用例を見てみますと、「宇美(ウミ)」として、古事記に登場しています。こちらも、「アマ」「ワタ」と同じくらい古い言葉のようですね。

しかし、アマとワタと決定的に違うと思われるのは、淡水も「ウミ」というところ。
『全文全訳古語辞典』には、「広く水をたたえている所。海洋のほか、湖・沼、大きな池などをもいう」とあります。
語源も、何だか果てしなくあるんですが、その中のひとつに「大水の意」というのがあります。なんとなくこのあたりが妥当なのかな、という感じですね。つまり、「ウミ」は、「水がたくさんある場所」のことを表現した言葉のような感じですね。
そう言えば、神さまの名前で「ウミ」とつく神さまはいましたっけ??
思いつかないですね……。

「惟宗」が、どうして「宗」氏になったのか

さて、その秦氏の一族である「惟宗」氏は、もともとは讃岐国に住む、法律に明るい一族だったそうです。
その惟宗氏が、鎌倉時代になって、九州の守護・少弐氏に使えるようになったのはなぜかはわかりませんが、いずれにせよ、「海」を通じて何か繋がっていくものがあったのかもしれません。

そこで、ですよ。

その「惟宗」氏が、文永の役には、「宗」氏と名乗っているのですが、なぜなんでしょう。一字の名字にしたのは、中国・朝鮮との外交上の利便性もあるのかな、と思いますけど、しかしなぜ「惟(これ)」氏じゃないのかな、……という素朴な疑問なのです。

例えば、藤原氏なら、中国風に名乗るときは「藤(とう)」氏ですもの。「原(げん)」でもいけますけど、あえて後ろの漢字はとらないんじゃないかな、と。

だのに、なぜ「惟」ではなく、後ろの漢字「宗」を採用したんでしょうか。

そもそも、もし本当の「惟宗」氏であれば、本姓は「秦」なんですから、そう名乗ればいいわけです。

#もっとも、その後、宗氏は「平」氏の末裔であると自称しますので、本姓の名乗りは「平」になっていきますけども……

そこで、ふと思っちゃうわけです。

この「宗」って、やっぱり「ムナカタ」氏の「ムネ」ってことなんじゃないのかな、って。

前回もお話ししましたが、1408年まで、宗氏の本拠地は宗像郡にありました。素直に考えて、やっぱり、宗氏は宗像氏の一族ですよね。

そうなると、本姓が秦氏である「惟宗」氏の名乗りもなんか怪しいな。
意味的にうまくはまるし、秦氏と宗像氏は関係も深いしって感じで名乗っちゃったのかもしれませんよね(中世ならではのあれ)。

ちなみに惟宗の「惟」の意味を調べてみますと

「……隹は鳥占(とりうら)。その神意を示すことを唯といい、神意をはかることを惟といい……」

とあります。そんな意味の言葉を「宗」の前にくっつけてると、なんだかやけに意味深で、ちょうどよすぎる感じになります。「ムナカタの神の神意をはかる」、そんな意味からしても、いい名乗りです。

妄想全開ですが、この仮説、けっこう面白い線ではないでしょうか。

(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】③祝・世界文化遺産決定!「宗像大社」――海人族ムナカタ氏に思いを馳せる

「ムナカタ」氏という海の民の壮大なストーリー

2017年7月9日。

紆余曲折あって関係者各位をやきもきさせたと思いますが、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が、一括して世界文化遺産に登録されることが決定しました。ほんとよかったですね。「一括して」というところが大切です。そこのところにこの場所の大切な「意味」、「ストーリー」があるわけですからね。

その壮大なストーリーこそ、古代海人族の雄・「ムナカタ」氏の、大いなる歴史の証なのですから。

「ムナカタ」と聞くと、大方の古代史ファンは、「おおぅ…」と言って少し溜息をつくのではないかと思います。

『古事記』の有名な「アマテラスとスサノオの誓約(うけい)」で、アマテラスがスサノオの刀を嚙み砕いて吐き出した息の中から生じたという女神、『宗像三女神』。

この『宗像三女神』は、数ある神々の中でも特別な神さまたちといえます。

アマテラスが、

「汝三神は、宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祀かれよ」
――「そなたら三神は、道中〔みちなか・朝鮮半島との航路、玄界灘のこと〕に降臨し、天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」

と、じきじきに「神勅」〔神のよる命令のこと〕をしたという、特別に重要な神々なのです。

あるいは、

『日本書紀』にある、大海人(おおしあま、おおあま)皇子の嬪(ひん)・胸形君尼子娘(あまこのいらつめ)――大海人皇子の長男で、太政大臣にもなった高市(たけちの)皇子のお母さんの名前に、その名があることをふっと思い浮かべるのではないでしょうか。

大海人皇子とは、のちの天武天皇ですが、この人がまた「海」の気配の強い人です。

その名の「大海人」は、皇子を養育したとおもわれる氏族「凡海(おおしあま、おおあま)氏」からきているようなのですが、この凡海氏は、安曇氏と同族とされる人たちなんだそうです。宗像氏と同様、海人族のひとつなんですよね。
その大海人皇子の、最も早い時期の奥さんの一人に、胸形君徳善の娘がいるということは、なんか無関係じゃないような気もします。

海の民と、天孫族(大王〔天皇〕家)が交錯するお話の数々。

ロマンですな~。いや~。

 

いよいよ、通史上最も苛烈な海域のほとりに立つ!

血沸き肉躍る………

この海域を眺めると、そんな思いにとらわれるのは私だけではないはずです。


今回まず訪ねた「宗像大社」は、正確にいうと「宗像大社辺津宮(へつぐう)」のこと。宗像大社は三つのお宮があり、それぞれに女神が祀られているのです。

辺津宮は、福岡の博多駅から電車で約40分、東郷駅下車。バスで20分ほどのところにあります。

上の図をごらんいただけるとわかりやすいかと思いますが、朝鮮半島へ向かう航路の重要なポイントに、大島、沖ノ島と、それぞれのお宮があったであろうことがわかります。

そして、話題の沖ノ島は、玄界灘のちょうど中央にポツンとある孤島であり、対馬と大島のちょうど半分あたりに在ることが分かります。
なるほど、ここで航海の無事を祈ったりするのは、心境としてもとてもよくわかる気がしますよね。ここから先に見えるのは、しばらく海原ばかり。熟練した海人族といえど、神の加護を祈りたくなるポイントなのではないでしょうか。

…さて、そんな気持ちで東郷駅に降り立った私は、決然と日本料理屋さん「史」へと向かいました。

まずは腹ごしらえですよ。

大事ですよ!
その土地のものを食べるということは!

私は旅をする時、できるだけ速やかに、その土地に身を馴染ませる必要がある、と感じるのです。
チューニングするって言うか。
そのためには、いかにもその土地らしいものを食べるのが一番です。

…というわけで、お刺身とてんぷらの定食をいただきました!
ご飯は「蒸し寿司」だそうですよ。あったかい少し酸味のあるご飯です。美味しい!

それにしても、玄界灘のお魚ってなんだってこんなに美味しいんでしょう。
豊かな海ですよね。ほんと。

(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】①「海の国・日本」の大切なルーツをたどりたい

「日本文化」のおおもとを感じたい

40年余りの人生を振り返ってみますと、どうも私は、自分自身が生まれ育ったこの「日本」という国のおおもとを感じたい、という欲求に突き動かされ、動き回っているような気がします。

きっかけはひょっとしたら、子どもの頃に、縄文土器を見つけたことかもしれません。私が生まれた家は、縄文時代の住居跡の上にあり、発掘調査は済んでましたが、それでもちょっと掘れば土器の破片が出てくる場所でした。

その縄文土器はおそらく後期ぐらいのものだったんでしょうね。かなりデコラティブな文様のものもあって、そりゃもうかっこよかった。
と同時に、弥生時代と思われる薄い土器や、もっと下った時代と思われる土師器も一緒に出てきました。実際には重層的に積み重なっていたんでしょうけど、子どもが穴を掘るので、結局混ざって出てきているような感じになるわけですね。

私が暮らすこの土地には、信じられないほど長い時間、誰かが暮らしていた――。

そう考えると、何とも言えない豊かな気持ちになるんです。
私もいつか、その大きな流れの流れに帰っていくんだ、そんなふうに思うと、私は孤独ではない、そう感じられてホッとしたものでした。

そんな経験があったからでしょうか。

そうした気持ちを感じられる場所が、私の大好きな場所になりました。そんな場所はつまり、「太古から繋がる何かとアクセスしやすい場所」ということになるのです。

それは不思議と縄文時代の遺跡や、古墳、お寺や神社がある場所と重なります。
どんな時代でも、「ここは…?!」と、人間が感じる場所はそうそう変わらないということでしょう。なんとなく気持ちがいい、畏れ多い、感謝したい、そんな気がふと起こってしまう場所というのは、いつの時代でも共通なのではないでしょうか。

(写真:飛行機から見た富士山。富士山もまさにそんな場所ですね!)


古代日本を動かしていた海人族、安曇(あずみ)氏と宗像(むなかた)氏

さて、私たちが暮らす「日本」の最大の特徴は、「島国」だということでしょう。
島国ということは、四方を海に囲まれていますから、海を自由に行き来できる技術を持った人たち「海人族」が力を持つようになる、ということは自然な流れです。

そんな海人族の中でも、特に有名なのは、安曇(あずみ)氏、そして宗像(むなかた)氏です。
「安曇」と聞くと、信州の安曇野を思い浮かべる人も多いかと思いますが、それ、正解です。安曇野は山間部にありますが、安曇氏は日本中に散らばって今も地名や神社などにその姿を残しています。

そして「宗像」氏。――「むなかた」。
最近耳にしたことがあるという人は多いのではないかと思います。
つい数週間前に、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界遺産に登録されることが決定しましたね。

この「沖ノ島」は、祭祀が行われていたその姿をそのまま今に伝えている大変貴重な場所ですが、そもそも「宗像大社」の「沖津宮」です。

(写真:宗像大社・辺津宮正面。一般的には宗像大社といったらここを想像するかもしれませんが、宗像大社そのうちのひとつ、ということなんですね)
私は、かねてよりこの「安曇氏」と「宗像氏」などの海の民の本拠地であるこの地域に興味津々でした。奇しくも、というか必然なのかもしれませんが、この海人族は両方とも北九州で発生した氏族なのです。
安曇氏の発祥地は「筑前国糟屋郡阿曇郷(福岡県粕屋郡新宮町)」とされていて、宗像大社から20キロしか離れていない場所にあります。ほんとに近いですよね。
この至近距離から、これだけの勢力を持つに至った氏族が二つ出ているというのは、偶然ではないのでしょう。それだけ、この海域が重要な場所だったということを想像させます。

安曇氏も、宗像氏も今の日本の礎となるような、重要な存在です。
…ううう。
これは、やっぱり実際にその場に行ってみたい。その場に立ってみたいですね。

(続く)