「あなたはあなたのままでいい」。存在を全肯定する珠玉の言葉集、ついに登場!『ただ生きていく、それだけで素晴らしい』/五木寛之著(PHP研究所)

ようやく、皆様のお手元にお届けできることができます!

お手伝いさせていただきました五木先生の新刊、『ただ生きていく、それだけで素晴らしい』、刊行されました!!
20161022

お手伝いさせていただくのは『私訳歎異抄』『自分という奇蹟』に続きまして今回で三冊目なのですが、実は、先生が本当にお忙しいので、企画が立ち上がってからこの刊行まで約3年ほどかかってしまいました。ですので、なんと言うかもう、感無量。
とはいえ、大好きな五木先生にお目にかかるという名目があり続ける、というのはこの上ない幸せで、この三年間、個人的には至福の時でした。

そうなんです。
大変私的な告白で恐縮ですが、私は五木寛之先生が大好きなのです。

子供のころからご著書を拝読して、その見識の深さに憧れ、特に仏教に関して、日本人の心性についての先生のご本には、たいへん影響を受けています。
ですので、はじめてお目にかかった時には緊張して、ただ上ずったようなお返事をするので精いっぱいでした。本当は、申し上げたい言葉が胸いっぱいに詰まっているというのに、何も言えず、編集長の影でひたすらメモをとり続けるしかない私。そんな挙動不審な私に、先生は優しく微笑みかけ、「ムトウさんは今までどんな仕事をしてきたの?」と聞いてくださいました。
私は、アワアワしながらこれまでの仕事をのことなどざっくり申し上げますと、また柔らかに微笑んで、「そう、…ちゃんとがんばってきたんだね」と言って下さったのです。

こんな風に書くと、あまりにも普通のやりとりに思われるかもしれません。
しかし、先生がこの優しい言葉を、絶妙な間でおっしゃるともう、ものすごく特別な丸みを帯びて、こころにスルッと染み入るような言葉になってしまうのです。

本当に、本当に、すごいんです、ほんとに!
正直言ってこの時、思わずこみ上げるものがありました。
ああ、頑張ってきて本当によかったなあ、なんてありがたいんだろう、そんな感動で鼻の奥がツウンとしてしまい…。先生に受け止めていただけたような、私という存在を肯定していただいたような、そんな思いで胸がいっぱいになってしまったのでした。

本書の中でも、「面授」という言葉が出てきます。元は仏教の言葉で、師が弟子に面と向かって仏の教えを伝えるといった意味なのですが、先生はその言葉から、人と会うことの貴重さを説いておられます。私は本書を通じて、まさに五木先生という偉大なる師の面授をいただいた、と僭越ながら感じました。

『蒼ざめた馬を見よ』、『風の王国』、『生きるヒント』、『大河の一滴』、『親鸞』などなど、先生が描かれてきた作品のテーマは多岐にわたりますが、実は、その中心には、ずっと変わらない大きなテーマが流れている、と思います。それは――こころ、いのち、人生、生と死、――ではないか、と思うのです。
先生がずっと対峙してこられたこれらのテーマは、すべての人にとっても大切なテーマではないでしょうか。本書は、そのテーマを改めて分かりやすくまとめてくださった、そんな一冊になっているように思います。

そして、先生が「ここのところ、特に皆さんに言いたいことだよ」、と言っていた言葉がそのままタイトルになっています。

『ただ生きていく、それだけで素晴らしい』

何かを成し遂げなくても、誰かに評価されなくても、「生きている」それだけでもう十分。いのちとはあり得ないような奇蹟的なバランスでこの世にある、そのことをもっと気付いてほしい。
先生は、このことを何度も何度も、繰り返しおっしゃられていました。

その言葉を伺っていて、担当編集のNさんも私も、そしてPHPさんの営業の皆さんも、タイトルはそれしかない、とそう思ったのです。そして先生も「僕もそう思うよ」と言って下さいました。

今必要なのは、悲しみや涙をも内包しつつ、それでも、だからこそいのちを肯定していくそんな言葉なのではないか、そんな風に強く感じています。

本書を通じて、皆さんも、私が先生の言葉に肯定していただいて泣きそうな気持ちになった、そんな言葉を見つけていただけたらいいな、と思います。

ぜひ、お手に取ってみてくださいまし!

そして最後になりますが、本書のお仕事を振ってくださったN編集長さま、そして担当してくださったN副編集長さま、本当にどうもありがとうございました!!

(むとう)

「生きている、それだけで奇蹟」。――命・心・魂の問題を問い続けてきた著者、渾身の講演集!『自分という奇蹟』/五木寛之著

五木寛之先生の新刊をお手伝いさせていただきました!!N編集長、いつもありがとうございます~!

五木先生のご本は、『私訳 歎異鈔』を文庫化するときに一部お手伝いさせていただいたことがあるのですが、書下ろし〔語りおろし〕で初出で…という形のご本を担当させていただいたのは、今回が初めてです。

20150902

今回のご本は贅沢にも「いきなり文庫」にて登場!

通常、単行本にしてから文庫に、ということが多い中で、いきなり文庫での刊行は、五木先生とN編集長の御英断の賜物でしょう。
文庫は、単行本と比べて価格も半分以下。読者にとってはとても手に入れやすい形態ですから。お値段もお手頃にして、ぜひとも多くの方に手にとっていただきたい、そんな思いがこもっていると思います。

本書は、講演で語られたことを文章に起こして、さらに再編集したものですので、先生の柔らかい語り口を感じながら読んでいただくことができ、かなり読みやすいかと思います。

先生は、講演の名手としても知られますが、本書には「なるほど」とうなづいてしまうような言葉やエピソードの数々がちりばめられています。
特に本書で重ねておっしゃっているのが、「光と影のうちの『影』の部分~悲しみや不安、絶望、涙~を、人として、もっと自然に取り戻してもいいのではないか」といったこと。
「日本人は古来、よく泣く民族だった」というエピソードや、昭和初期まで文豪たちが好んで使っていた「暗愁(あんしゅう)」という言葉を例にあげながら優しく説いておられます。

そして、さすが、そこからがまた五木先生ならではなのですが、

「平凡に生きる人も、失敗を重ねて生きている人も、世間の偏見に包まれて生きる人も、生きていることにまず価値があり、どのように生きていたかなどは二番目三番目に考えていいことなのではないでしょうか」

と、存在を全肯定する言葉を紡がれます。
これまでの先生の波乱万丈な人生を想像するに、この結論に至った先生のご心境と言うのは、計り知れない奥深さがある、と思うのです。

もし、生きていることに漠然とした不安を感じている、自分は価値のある人間なのだろうか……そんなことを少しでも思うことがあったなら、本書を手に取ってみていただきたいと思います。

先生は、ひとつに決めつけるようなことは決してされません。
ですから柔らかく、包み込むように(……時にその優しい言葉が、グサッと鋭く胸に刺さって取れないような気がしてくることもありますが)、読み手の存在をそのまま受け止めてくれるような、そんな大きな一冊になっているのではないかと思います。

ぜひ、お手に取ってみてください!!
(むとう)

ベストセラー、待望の文庫化!『私訳 歎異抄』/五木寛之著

日本仏教界の偉人としてあまりにも有名な、親鸞(しんらん)さん。その親鸞さんの生前の言動を弟子・唯円が書き残したというのが『歎異抄(たんにしょう)』です。
20140405
その歎異抄を、まさに現代のレジェンドともいうべき、五木寛之先生が『私訳』されたのが本書。ご存じのように五木先生は、博覧強記でらして、特に仏教(さらに言えば浄土真宗)に造詣が深くてらっしゃいます。休筆して龍谷大学に聴講生として通っておられたことでも有名ですね。

本書はそんな五木先生だからこその名訳で、単行本として出版された時にはベストセラーになりました。

そんな名著の文庫化を一部お手伝いさせていただくことになろうとは!!

ものすごく緊張しましたが、今回もたくさん勉強させていただきました。
じつは、『歎異抄』を読むのは、今回が初めて。仏教美術には昔から関心があって多少は勉強しているのですが、そういった造形以外のものにはとても疎いのです。ですので、このような機会をいただいて、五木先生の文章とともに原文も読むことができたのは本当にラッキーだったように思います。
#ちなみに、本書の構成は、前半が『私訳』、後半が『原本』、そして、解説を日本中世史の泰斗・五味文彦先生が執筆されており、まさに【最強の布陣】です。

さて、皆さんご存じと思いますが、親鸞さんは鎌倉時代(12~13世紀)を生きたお坊さまです。現在もたくさんの信者さんがいる「浄土真宗」の宗祖とされる人。知らない人ははいないだろう、というような巨人と思いますが、実は明治時代には「親鸞は実在しなかったのではないか」という説が出たほど(現在は実在したことがわかっています)、史料の少ない人なのです。

その少ない史料の中で(本人が書いた本ではありませんが)、その人となりと思想を最もわかりやすく伝えてくれるのがこの『歎異抄』で、五木先生も「親鸞という人の思想と信仰は、一般的にはこの一冊によって伝えられ、理解されたといってよい」とまえがきで書かれています。つまり親鸞さんが言っていることをまず知るには、歎異抄をまず読んでみるとよろしい、ということだと思うのです。

そういう意味でも、私は幸運でした。お仕事とはいえ、まず本書を読むことができ、五木先生の訳でとても近しく、その世界を感じることができたのですから。

「他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生き延びてきた自分。敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きてきた。その暗い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ」(「まえがき」より引用)

そして先生のこの一節。

先生にとって「光」であった、歎異抄との出会い。先生の著作と出会って同じような気持ちになってきた読者はたくさんいらっしゃると思います。
ぜひ、そんな皆さんにも手に取ってほしい一冊と思います。13世紀に書かれた宗教書…としり込みされる方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、そこはなんといっても五木先生です。たくみな筆さばきでもって、土に水がすっとしみ込むように分かりやすい言葉でその世界が表現されています。

生きていくというのは本当に大変です。もちろん大変なことだけではなくていいこともあります。でも、疲れてしまうときもありますよね。そんな皆さんにできるだけ幅広く手に取っていただきたいと、オビの文言もちょっと仏教書らしくない文言を使っていただいてます。「生きるのがこわい。死ぬのがこわい。―そんなあなたへ」。

ぜひお手に取ってみてください!

(むとう)