【2017宗像・対馬・壱岐旅】④宗像大社辺津宮に在る「聖地」の空気感

いよいよ宗像大社へ、GO!

東郷駅近くの日本料理店「史」で、美味しいお魚を堪能した後は、バスに乗って宗像大社を目指します。

余談ですが、宗像市って「宗像駅」がないんですね。宗像大社の最寄り駅は、「東郷駅」。市役所の住所を見ても「東郷」なので、このあたりが中心地ということになるんでしょうか。
宗像市のHPを見ると、昭和の大合併(昭和29年)の時に、東郷町、赤間町などの町が合併して「宗像町」となり、その後人口が増えて「宗像市」になったんだそうなので、その気配を今に伝えている、と言ってもいいのかもしれません。

駅のある内陸部から、海の方へと向かいます。ちょっと岡みたいな地形、のどかな田園地帯を越えると左手にいよいよ現れました!

宗像大社、辺津宮です!!

さて、ここから正面を歩いて行きますと…

石橋のさきに二の鳥居が見え、その先の本殿が見えてきました。

おおお。
なんとも重厚な、厳かな本殿です。

世界文化遺産に登録が決定した矢先でしたので、ひとで溢れているかと思っていたのですが、そんなことはなく、とても静かです。

こちらが本殿・拝殿です。
こちらには、「宗像三女神」のうち、「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」が祀られています。

さっそく本殿にお詣りしご挨拶をすませると、以前友人がプレゼントしてくれた宗像大社パンフレットのマップを見てみました。(以下、パンフレットからマップを転載)

お寺さん以上に、神社は敷地が広いことが多いですよね。
しかも、思いもよらない小さなお社が実はとても重要なお社だったりします。ですので私の場合、初めて参拝するときには、社務所の方にどのような順でお参りするとよろしいでしょうか、なんて聞いてしまうこともあります。
大きなお社なんかですと、こうした地図の入ったパンフレットを配ってらしたりしますので、ぜひ社務所などをチェックしてみてくださいね!

さて、せっかくですので、このパンフレットにある通り「推奨ルート」の順に巡ってみたいと思います。

古代祭祀の姿を伝える「高宮斎場」――神籬(ひもろぎ)とは

国指定重要文化財の本殿・拝殿(安土桃山時代再建)も素晴らしいのですが、今回、実はもっとも楽しみにしていたのは、この二番目「高宮斎場」を拝観することなんです。

静かな木立の中を進んでいきますと、15分ほどしてぐんと空気が変わるエリアに到達しました。

参道を進んでいくと直角に左折、その正面〔どん詰まり〕ではなく左手に、木の柵で覆われ、平らかで玉石がひかれた広場が現れました。周囲には常緑樹が茂り、祭壇の先には「神籬」と思われる枝の別れた常緑樹が見えます。

「神籬」は神の依り代(しろ)のことです。
この高宮斎場は、宗像三女神が降臨した場所だそうで、今も古式ゆかしい神籬ならではのお祀り方をされているということだそうで…。宗像大社さんにとって、沖ノ島と同じくらい大切な場所なんだそうです。

すみません、上の写真では、実際の中の様子がよくわからないと思います。
しかし、気配に押されて写真撮るのやめちゃいました(びびり)。

私以外に人がいなかったということもありますが、この濃密な空気ときたら…。これは「お行儀良くしなければ…」と思ってしまう場所ですよ。

なんとなくぎこちない形で拝礼すると、少し緊張したまま、来た道を取って返します。先ほど左折したところ右折すると、「ほうっ」と息を吐きました。ここから、空気が軽くなるんです。

いや、こんなこと言うと「???」と思われてしまうかもしれません。単に私はびびりだからかもしれませんが、ある種の「危機察知能力」が強いんじゃないかと思うんです。
霊感、とかそう言うのともちょっと違います。もっとプリミティブな衝動というか…
動物が生存するために持っている直感のようなもの…(多分)。

ですので、けっこうこの感覚あたります。
そんな経験があるので、「わ、わわ…」と感じるところには入りませんし、入ったとしてもものすごく大人しくします。理屈じゃないこうした感情を、古来、「畏れ」と呼んできたのかもしれませんね。

「聖地」というのは、古来より聖地であることが多いと思いますが、それはどの時代の人間にとっても、何か「畏れ」を感じさせるものがその場所にあり続けている、ということなのではないでしょうか。

宗像大社の高宮にも、そんな空気を感じてしまったのでした。

(つづく)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】③祝・世界文化遺産決定!「宗像大社」――海人族ムナカタ氏に思いを馳せる

「ムナカタ」氏という海の民の壮大なストーリー

2017年7月9日。

紆余曲折あって関係者各位をやきもきさせたと思いますが、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が、一括して世界文化遺産に登録されることが決定しました。ほんとよかったですね。「一括して」というところが大切です。そこのところにこの場所の大切な「意味」、「ストーリー」があるわけですからね。

その壮大なストーリーこそ、古代海人族の雄・「ムナカタ」氏の、大いなる歴史の証なのですから。

「ムナカタ」と聞くと、大方の古代史ファンは、「おおぅ…」と言って少し溜息をつくのではないかと思います。

『古事記』の有名な「アマテラスとスサノオの誓約(うけい)」で、アマテラスがスサノオの刀を嚙み砕いて吐き出した息の中から生じたという女神、『宗像三女神』。

この『宗像三女神』は、数ある神々の中でも特別な神さまたちといえます。

アマテラスが、

「汝三神は、宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祀かれよ」
――「そなたら三神は、道中〔みちなか・朝鮮半島との航路、玄界灘のこと〕に降臨し、天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」

と、じきじきに「神勅」〔神のよる命令のこと〕をしたという、特別に重要な神々なのです。

あるいは、

『日本書紀』にある、大海人(おおしあま、おおあま)皇子の嬪(ひん)・胸形君尼子娘(あまこのいらつめ)――大海人皇子の長男で、太政大臣にもなった高市(たけちの)皇子のお母さんの名前に、その名があることをふっと思い浮かべるのではないでしょうか。

大海人皇子とは、のちの天武天皇ですが、この人がまた「海」の気配の強い人です。

その名の「大海人」は、皇子を養育したとおもわれる氏族「凡海(おおしあま、おおあま)氏」からきているようなのですが、この凡海氏は、安曇氏と同族とされる人たちなんだそうです。宗像氏と同様、海人族のひとつなんですよね。
その大海人皇子の、最も早い時期の奥さんの一人に、胸形君徳善の娘がいるということは、なんか無関係じゃないような気もします。

海の民と、天孫族(大王〔天皇〕家)が交錯するお話の数々。

ロマンですな~。いや~。

 

いよいよ、通史上最も苛烈な海域のほとりに立つ!

血沸き肉躍る………

この海域を眺めると、そんな思いにとらわれるのは私だけではないはずです。


今回まず訪ねた「宗像大社」は、正確にいうと「宗像大社辺津宮(へつぐう)」のこと。宗像大社は三つのお宮があり、それぞれに女神が祀られているのです。

辺津宮は、福岡の博多駅から電車で約40分、東郷駅下車。バスで20分ほどのところにあります。

上の図をごらんいただけるとわかりやすいかと思いますが、朝鮮半島へ向かう航路の重要なポイントに、大島、沖ノ島と、それぞれのお宮があったであろうことがわかります。

そして、話題の沖ノ島は、玄界灘のちょうど中央にポツンとある孤島であり、対馬と大島のちょうど半分あたりに在ることが分かります。
なるほど、ここで航海の無事を祈ったりするのは、心境としてもとてもよくわかる気がしますよね。ここから先に見えるのは、しばらく海原ばかり。熟練した海人族といえど、神の加護を祈りたくなるポイントなのではないでしょうか。

…さて、そんな気持ちで東郷駅に降り立った私は、決然と日本料理屋さん「史」へと向かいました。

まずは腹ごしらえですよ。

大事ですよ!
その土地のものを食べるということは!

私は旅をする時、できるだけ速やかに、その土地に身を馴染ませる必要がある、と感じるのです。
チューニングするって言うか。
そのためには、いかにもその土地らしいものを食べるのが一番です。

…というわけで、お刺身とてんぷらの定食をいただきました!
ご飯は「蒸し寿司」だそうですよ。あったかい少し酸味のあるご飯です。美味しい!

それにしても、玄界灘のお魚ってなんだってこんなに美味しいんでしょう。
豊かな海ですよね。ほんと。

(続く)