About 武藤 郁子

神仏・聖地探訪家。編集者兼ライターとして神仏や聖地、歴史や自然をテーマに活動中。著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人)がある。2024年6月『空海と密教解剖図鑑』(エクスナレッジ)を上梓。

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第十一回「お身代わり」掲載!!

先日、大学時代の友人たちと久しぶりに会ったときのこと。

途中までは、のほほんと「いや~、みんな若いよ、変わらないね~」なんて、ちょっと余裕のある大人発言を機嫌よく繰り返しておりましたが、後半、なぜだかみんなで卒業アルバムを見始めて以降、すっかり酔いがさめました。

すっかり忘れておりましたが、私が通っていていた大学は、皆さん育ちがよく経済状況もよく、「綺羅の空間」だったんです。

そんな中で、私は「醜いアヒルの子」。きれいな人たちの中で、呆然とたたずんでいた、というかんじだったんですよね。

しかし、あまりにかけ離れると、嫉妬など浮かぶ間もなく感心してしまい、心から「すごいなあ」「育ちがいいってのはこういうことなのか」と思っていたのでした。

卒業アルバムを見ていると、そんな風だったことが一気に思い出され、自分の太ってパンパンな写真を正視できず、酔いがさめると同時に、周りの女の子たちの美人比率の高さに、改めておののいたのでした。

こんな中で過ごさなくちゃいけなかったなんて、わたしって不憫。っていうかエライ。よく頑張った!と、かつての自分に言ってあげたい気持ちになりました。

それはともかく。

当時、観察していて面白かったのは、美人であるということは必ずしもいいことだけじゃないんだな、ということでした。
誰が見ても美人という子は、ちょっと敬遠されたり、あるいは今風に言うと「トロフィーワイフ」じゃないですけど、肉食系な男のひとたちにとっての勲章みたいな、「戦利品」のようになっていたりして…。だから、自分が選ぶ前に男性チームのほうで候補者を決めていて、なんとなく押されてその人と付き合ったり。まあ、「アヒルの子」チームの人間からしたら羨ましい話なんですけど、結果的にけっこう大変な目に遭ったり、幸せになっているわけでもないのを見ていて、「美人ってのも大変だわねえ」と、これまた感心していたのでした。

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さて、前置き長くてすみません。なぜこんなことを思い出したかというと、毎月お手伝いさせていただいております連載「疾風に折れぬ花あり」の主人公、武田松姫さんは「白鳥チーム」のお嬢様だなあ、と思ったからなのです。

松姫さんのお母さんは血筋もよく甲州一の美女と呼ばれたようなひとでしたので、また本人も大変な美人だっただろうと思われます。そして、お父さんの信玄は、名族・甲州武田家の嫡流ですから、本当にもう非の打ち所のないスーパーお嬢様。

これまで通りでいれば、蝶よ花よと大切にされ苦労など知らずにそのまま生を追えたかもしれませんが、そこはなんといっても戦国の世。飛び切りのカリスマだった父・信玄公が亡くなってしまってから、武田家は一気に斜陽の道を歩み、ついに織田信長に滅ばされてしまうのです。

松姫は、兄たちから「生き延びて武田家の血を残してくれ」と、幼い姫たちを託されて、武蔵国へ命からがら逃げ延びます。そして、その武蔵国の八王子で、死んでいった武田家の人々を弔いたいと、髪を下ろすのですが…。

静かに暮らしたいと願う松姫の思いとは裏腹に、美女であり、身のこなしから間違いなく生まれもいいということで、周囲にその存在が知られてしまうのです。

まさに、衣通姫(そとおりひめ)。隠しようのないその存在感…。

今月号では、武田家ゆかりの女性を自分の側室に迎えたいと、女狩を始めた徳川家康配下に、ついに居場所をつかまれてしまいます。

ただ、救いなのは、ここにいる美女は「武田家ゆかりの人だろう」という推察だけであって、信玄の末娘・松姫さんそのひとだとはばれていないのです。

徳川家康の配下が、八王子の庵を訪ね、「武田家ゆかりの女性がここに入るだろう」と言ってきたとき、松姫さん改め、信松尼の家臣の皆さんは、どうにか守り通そうと考えますが、それはなかなか難しい。確かにここには「品があって美しい女性」が暮らしているということは、近辺でも有名なはなしだったわけですからね。

苦肉の策として、松姫さんの存在は伏せたまま、侍女として一緒に暮らしていた二人の女性の名前を上げます。「血筋」のものではないですけど、武田家に長年仕えてきた人たち、つまり「武田家関係の人」ということで、その名を挙げたのでした。

そしてそのうちの一人、お竹さんと、家康配下の人が面会します。すると、これまた大変な美女です。武田家嫡流の女性ではないけど、この美女ならいいんじゃないの?…と思ったからか、その後正式に「奥向きに迎えたい」と言ってきました。

信松尼さんは躊躇します。つまりこれは自分の「身代わり」。お竹さんを差し出すようなまねは…ということですね。

しかし、そこは戦国時代の武家の女性です。お竹さんは自分から「お身代わりになります」と言うのです……。

歴史上のことを仮定してもしょうがありませんが、もし、このお竹さんだって十人並の普通の女性だったら、たぶんこんなことにはならなかったような気がしますし、そもそも、松姫さんが野に隠れてしまうような地味な外見だったら、周囲のひとたちにもこんなに大々的にばれずに、家康にもばれずに済んだんじゃないか、と思うわけです。

いやはや……。
美人って大変ですよねえ!?

私がご紹介を書くと、なんとも品がなくなってしまいますが、本当は中村先生ならではの気品あふれるお話です。ぜひ本誌面をご覧ください!!

(むとう)

目からうろこが落ちすぎる究極の「虫食」レシピ本登場!『人生が変わる!特選昆虫料理50』/木谷美咲・内山昭一著(山と渓谷社刊)

突然ですが、少し懐かしい話です。

高校時代、考古学者になりたかった私は史学部を希望していました。進路指導の時、胸を張って「史学部を受験したいです!」と爽やかに言い切った女子高生の私に、担任の先生が「む。。。」と唸りながらじっと私を見つめると言い放ちました。

「むとう。お前は史学向きじゃない。考古学者はお前には無理だ。やめとけ」

いつもはお調子者で、ふざけたことばかり言っている先生のあまりにシリアスな表情に動揺する私。偏差値がどうだという前に「向いてない」とは何だ。そんな言い方あるかいな…とちょっとむっとして、

「…え?なんで?歴史大好きなの、先生も知ってるでしょ?遺跡掘ったりも…。私はシルクロードの研究者か、中南米の研究者になりたいんです」

「…うん。それは俺もよくわかってる。でもお前はかなり飽きっぽいし、遺跡発掘のような地味で地道なことはむいてないと思う。社会学部とか経済学部がいいと先生は思うんだ」

「いえ、そんなことはありません!好きなことはずっと変わらないし、遺跡を掘るのも大好きです!」

まったく、なんてこと言うんだ!飽きっぽいのは否定しませんが、好き嫌いが激しいだけで、好きなものへの執着度の高さは相当なものがあると自負してました。まあ、先生が何を言おうが、私は考古学をやりたいんだし、遺跡を掘りたいんだから史学部にするけどね…、と心の中でつぶやいていると、

「おれのアドバイスなんて聞く耳持たないって顔だな。わかった。じゃあもうはっきり言おう。お前、肉食べられないよな」

「……!? に、肉はいざとなったら食べられますよ。なんですか急に…」

実は今でこそ好き嫌いはありませんが、20代前半までほぼベジタリアンでした。動物性たんぱく質はほとんど食べられなかったのです。ただ、どうしても食べなくてはならないシーンでは食べられましたし、別にそんなことを急に言われても意味が分かりません。

「まあ、いい。じゃあ肉は食べられるかもしれない。でも、虫はどうだ。食べられるのか?」

えええええええ!???
虫!??なんでえ?!

「お前がいきたいと言っている中南米はジャングルが多い地域だし、お前が好きな地域は未開の地が多い。食料が少なくなったときやその土地の人がご馳走してくれた時、お前はそれをちゃんと食べられるのか?」

??!!!

そ、それは、マストスキルですか?
虫食べられなくても大丈夫じゃないの?!
だめなの??!

……当時も「めちゃくちゃなこと言うなこの先生!」と思いましたが、今思い起こしても無茶苦茶だなと思います。しかし、無茶苦茶だなと思う一方、世間知らずの私は「確かに考古学者になったら野菜ばっかり食べてるわけにもいかないのかな」と、進もうとしていた足をふと止めてしまったのです。

結局、史学部は受けましたが、どちらかというと歴史学に強い学校が受かり、最終的に入学を決めたのは全然関係ない社会学部でした。まるで先生のアドバイスが、予言のように思えたのも、無理からぬことでした……。

さて、前置き長すぎてすみません。

この私の人生のエポックメイキング、というか人生の曲がり角に登場した「虫食」、そしてそのエピソードを思い出してしまったのも、あまりにもすごい本が刊行されたからなのです。
20140718-1我が古巣、山と渓谷社からまさに本日発売!!

虫食(昆虫食)の本はここ数年結構出てますけど、こんなにお洒落で美しい、いわゆる〔レシピ本〕らしい仕上がりの本はないと思います。

著者の先生方は存じ上げませんが、担当された編集者のYさんはよく存じ上げてます。とにかくお洒落で凝った作りの本を上手に作られるんですが、その才能は昆虫食をテーマにしてさらに冴えわたっておられます。

構成もさすがです。

第一章では「見た目に優しい昆虫料理」と題打って、見た感じちょっとわからないかな?という料理を紹介。
第二章「素材を生かした昆虫料理」、
第三章「野趣を楽しむ昆虫料理」とだんだんと「昆虫色」が強まっていき、
第四章「スペシャル昆虫料理」では、お寿司やおせちなど、すっかり「お祝い料理にも堂々と昆虫使っちゃうもんね♪」とばかりに、しれっと進行させてしまいます。

す、っす、すごごご!!!!!

と、とにかくこんなすごいレシピ本、ほかにあったでしょうか、いや、ない!!!!

でも、でもね。

だからと言って、急に「虫食べたい!」と思うようになるかというとまたそれは別問題なのですけどね。しかし、この本は同業者としても目からうろこが落ちる素晴らしい本だと思いますし、物事というのはここまで極まることができるのだな、と人としての道までも何かこう、変えてくれちゃうような衝撃があるのです。

まさにそのタイトルに冠している『人生が変わる』、

…至言です。

高校時代の私にも、ぜひ見せてあげたい。しかし、(ほぼ)ベジタリアンだった私に見せても虫が食べられるようになったとは思えないんですけど、でも、なんでしょう。こういう物事へのかかわり方があるとあのころの私に教えてあげたい、とそんな風に思ってしまうのでした。

ぜひ、皆さん、手に取ってみてくださいね!!

涙腺決壊!トルコと日本、宝石のような友情の物語!!『海の翼』/秋月達郎著

いつも大変お世話になっている、PHP文芸文庫の腕っこき編集者・Yさん。

ちょっと全体通読してみて~、とお仕事振っていただいたりして、よく部分的にお手伝いさせていただいております。

今回もそんな気軽な気持ちでお預かりしたゲラ(注:校正紙)を、何の気なしに読み始めましたところ、あえなく涙腺決壊!!仕事にならず!

なんじゃ、このエエ話は~~~!!

と叫びましたよ。

それが今日ご紹介するこの『海の翼』(秋月達郎著)です!!
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トルコが大変な親日国であることは、よく知られています。明治期のエルトゥールル号事件の話も結構有名ですので、それは私も存じ上げてました。

でも、イラン・イラク戦争の時、トルコが「エルトゥールル号の時の恩返しですよ」と言って、邦人を救うために救援機を出してくれたという、すごい事実は知りませんでした。

昭和60年。イラン・イラク戦争のさなか。

イラクのフセイン大統領は、48時間以後のイラン領空において、航空機無差別攻撃を宣告しました。この時、イランには200人以上の日本人が取り残されていました。日本政府は救援機を日本から送りたかったのですが、憲法上の問題などもあり万策尽きてしまったのです。

ほかの国に助けを求めたくてもわずか48時間です。そもそも空港の離発着の数だって限界がありますし、各国はまず自国民を救うのが急務ですから、…いえ自国民さえ全員助けられるかわかりませんから、いくら助けてあげたくても、そんな余裕はありません。

日本政府から救援機を飛ばせないと宣告されてしまった、在イラン・日本大使・野本さんと大使館の皆さんは、どうにか自分たちで日本人を助けられないか走り回ります。どうにか航空券もかき集めますが、どうしても全員が乗れる枚数は揃えられません。

そして、野本大使は、最後の助けの綱、個人的にも親しくしていた在イラン・トルコ大使ビルセルさんのもとに赴き、(親しいからこそ迷惑をかけたくない、負担をかけたくないと思っていた相手なのですが)日本人を助けてほしい、と懇願します。そして、ビルセルさんは、その場で快諾。頼んだもののほとんど不可能と思っていた野本大使に、ビルセルさんは「エルトゥールル号の、恩返しですよ」と答えるのです……。

ううう。

このくだり書いてるだけで、目頭を押さえてしまいましたよ。

エルトゥールル号事件というのは、日本に表敬訪問のため訪れていたトルコ軍艦・エルトゥールル号が紀伊半島沖で難破してしまった、という事件なのですが。この時、無心にトルコ人を助けたくて、冷たくなったトルコ人の体を、それこそ裸になって温め、自分たちの食料も投げ出して救いだしたという、紀伊大島の島民のみなさんの人間愛が、100年後になってもよいことを起こし続けているのです。

うううううう。人間っていいですねええ。

いや、もうこれ以上書くとネタばらしになってしまいますので、このあたりにしておきますが、トルコのひとたちが100年もの間、ずっと覚えていてくれたことへの感動。また、100年前、明治の日本人がした、素晴らしい行為そのものへの感動。

そして、良いことはまた良いことを生むのだ、ということへの、感動。

文化・宗教がまったく違っても相手を思いやることで、理解し、愛し合うことができるのだということを、秋月先生はそのたくみな筆さばきによって描き出されています。

ぜひ、読んでみてください!
こういうことは、ぜひ語り継いでいかねば!ですよ!

(むとう)