About 武藤 郁子

神仏・聖地探訪家。編集者兼ライターとして神仏や聖地、歴史や自然をテーマに活動中。著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人)がある。2024年6月『空海と密教解剖図鑑』(エクスナレッジ)を上梓。

決然と生きられない自分。しかし「幸せ」は、その迷いの中にこそあるのかもしれない/『迷いながら生きていく』五木寛之著(PHP研究所)

「迷い」はあっていい

ご紹介が遅くなってしまいましたが、五木寛之先生の新刊『迷いながら生きていく』が出版されました!

私ごとではありますが、悩むことがあり、自信を失って途方に暮れた思いにとらわれていました。まるで人生の迷子になったような気分。まさに迷いの最中に在ったのです。こんなふうに立ち止まる自分も嫌でしたし、モヤモヤして落着かない日々を過ごしていましたが、ある日、校正紙を拝読していて、

「私は今日も迷いながら生きています。私も皆さんと同じ。すべてが初めてのことで、わからないことだらけなのです」

という一節にくぎ付けになりました。何度も目にしてきたはずなのに、この飾らない優しい言葉が、まるで立ち上がってくるように、胸を打ちました。

……先生ほどの凄い人でも、迷ったりするし、分からないことがあるんですよ!!

見知らぬ地を旅するように「新しい世界」を生きる

何を当然のことを…とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は目から鱗が落ちたような気がしました。

私たちは、生きている限り、ずっとこういう心境を繰り返していくんですよね。それが人間ってものなんだと。そしてそんな迷いの最中にいる自分を、もっと認めていいんだと、思えたのです。

先生は「見知らぬ土地を旅するように生きたらいい」とおっしゃいます。「わからない」ということは、不安感を招くかもしれませんが、一方で「新しいことに出会えるワクワク感」も招きます。旅はまさにそんな経験の連続ですよね。

私は「わからない」のマイナス面ばかり見て、落ち込んでいたのでした。しかし、先生のお言葉で、はっと我に返ったのでした。

いやあ、またしても先生に救っていただきました。こんな気持ちになるのは、きっと私だけではないでしょう。今回の一冊にもそんな言葉が随所に在ります!!皆さんにも、ぜひ、お手に取っていただけたらと思います。

 

オロオロして弱々しいですが、よく考えたら、私は幸運!?

それにしても、ここ数カ月の私は、相当にオロオロしておりました。そして自分の弱さを嘆いたりしていたのですが、でもよく考えたら、私ったらけっこう幸せなんじゃないの?と、ふと思いつきました。

と言うか、むしろ、かなり運を持ってます。幸運者と言っていい気がします。

そうでもなければ、一介のフリー編集が、伝説的な作家である五木寛之先生とこんなにも長くお仕事できません!!

五木先生のご本をお手伝いさせていただいて、今回でなんと7冊目。書下ろし単行本としては、5冊目になりました。先生とお会いできるというだけでもラッキーですのに、こんなにお仕事ご一緒させていただくことになろうとは……。

そう考えると、じーんとあたたかい気持ちでいっぱいになります。

改めて、いつも優しく微笑んでくださる五木寛之先生、そして困難も楽しいことに変えてくださるN編集長に、心から御礼申し上げます。次のご本も、ぜひよろしくお願い申し上げます!

(むとう)

故宮博物院@台湾に行ってきました!④勝手にランキング!可愛すぎる青銅器ベスト4!

今回は理屈じゃなく、可愛さで迫りたい

古代中国では、半人半獣の姿をした神々がたくさんいますし、神と考えられる動物がたくさんいました。そのため動物の姿が青銅器の中にもたくさん表現されています。私は動物が大好きなので、そう言う意味でも青銅器はたまらないのです。ほんとかわいいんですよね。

さてここで、難しい話は抜きに、故宮博物院の可愛すぎる青銅器をベスト4でご紹介します!!(数字的にきりが悪いですが、そこはご愛嬌と言うことで)

まずはこちら!

第4位・口元がキュートな虎型青銅器


四脚に、蓋ありの青銅器。正式名称はメモって来るの忘れちゃいましたけど(すみません)、多分商晩期から西周初期の時代のもの。おそらくは盛食器の一種でしょう。

この虎ちゃんのかわゆいところは、この棒みたいな脚の角度と、半開きの口でしょうか。ちょっと笑っちゃってますね。カワユイ。

第3位・くるっととぐろを巻いている牛形蓆鎮(春秋晩期)

水牛がとぐろを巻いてるようにキュッとなっているところがなんともカワユイですね!

春秋晩期ですので、紀元前5世紀ごろ。これはもう神器としてと言うよりも、生活の中に用いられた青銅器と言ったほうがいいのかもしれません。「蓆鎮」とは、室内の敷物や帷帳などが風にあおられてしまわないように置いたりする重石のことです。

第2位・獣面の蓋が可愛い亜醜父丙爵(商後期)

解説がよくわからなかったんですが、山東地方に「亜醜」という青銅器製作に長けた一族がいたんだそうですが、彼らが作った「爵」ということみたいですね。「爵」とは、最も早い時代から出現した礼器で、三本足に取っ手のある酒器です。

この爵は蓋があって、その蓋に動物の顔がついてて可愛いですね。

キノコ型の角がある羊のような動物です。

 

キノコ型の角があるものは「龍」である、とする場合があるので、これは龍なのかもしれないですが、龍ってこういう顔だっけ?と思うのは日本人だからでしょうか。
いずれにしても、このマズルのあたりのホンワリ感からの、耳のつき方なんかが羊のサフォーク種みたいでめちゃ可愛い。

第1位!脚は人で持ち手は動物。二重に可愛い人足獣鋬匜(西周晩期)

そして、栄光の第1位はこちら!

「人足獣鋬匜(い)」です。
「匜」というのは、注ぎ口のある楕円形の器体に、架空の動物の首をかたどった把手があり、四本の脚があります。この脚は人の場合もありますが、龍や鳳凰のような動物であることが多いようです。手を清めるための器なんだそうですが、カレーポットみたいな形ですね。

こちらの可愛さはなんといっても、取っ手にあるこの子ですよね!

もうちょっとで、水面まで届くってところまで頑張ってるって感じ。可愛い。

そして、足になっている人形も口笛を吹いてるような口元で、ほんわかしてます。神事に関わる場面で使われるんじゃないかと思いますが、緊張感以上に可愛さが立っているデザインですね。可愛いなあ。

古代中国のデザインは、何かどこかにキュートさがあると思うのです。極まってスゴイ(やややりすぎ感あり)ところに可愛さを混入して、フッと緊張感を和らげてくれるような感じと言ったらいいでしょうか。やっぱり好きだなあ。

故宮博物院@台湾に行ってきました!③饕餮と蚩尤と日本の鬼

古代中国文化は東アジア全域共通のオリジン

前回から少々時間が空いてしまいました。

台湾旅のご報告が、まだ初日の故宮博物院の冒頭部分であることに、焦りを隠せませんが、マイペースに書いていきたいと思います。

さてここで、前回、ご紹介しためちゃ来ちゃかっこいい青銅器について、引きつづきお話していきます。ちょっと台湾とは関係なくなっちゃうかも。しかし、これは古代中国、つまりは東アジア全域で共有すべき歴史の源のお話です。

改めまして、「召卣(西周早期、酒器、BC11~10)」。

いやあ、ほんと綺麗ですね。

青銅器も素晴らしいものがたくさんありましたが、私的に最も強く印象に残ったのは、この「召卣」かもしれません。そんなわけで、この召卣をもとに、ざっくり青銅器の文様についてご紹介してみたいと思います。

古代中国における最高神を表す文様

古代中国の青銅器は、神様に捧げるために作られたものでした。祭祀用ですね。特に、最も代表的なのが「饕餮文(とうてつもん)」と呼ばれる文様です。

「饕餮」というのは、中国で古代にいたと考えられていた最強最悪な怪物(鬼神)のこと。上の写真を見ていただくと、ざっくりどういうことかお分かりいただけるかと思います。

中央には大きな目。鼻筋から額にかけてヒラヒラしているのが、箆型飾り文と呼ばれて、ここから気が発せられると考えられました。このヒラヒラは実は大変重要で、最高神を表現している形でもあります。

眉の上には角があります。一番多いのは羊角、ほかに牛角や鹿角ですが、こちらは鹿角でしょうか。額の上には動物の顔がちょこんとありますが、これは神への供物である生贄の動物の首(犠首)だそうです。

さらに青銅器で特徴的なのはこの渦巻き。隙間なしに、とにかくグルグルしています。これは、この獣面(饕餮)が発散する「気」「エネルギー」を表現していると推定されます。

しかしここからがちょっと複雑なんですが、実際に青銅器が製作されていた殷の時代に、これを饕餮と呼んでいたわけではないんだそうなんですね。それから2000年余り下った宋の時代の学者さんが、この獣面をたぶん「饕餮」だろうと推定し、「饕餮文」と呼ぶようになったと言います。

現代では、これは饕餮と言うよりは、当時の最高神(天帝)を具現化した文様だろう、というの通説のようです。ただ、もう1000年以上この文様を「饕餮文」と呼んできたので、そのまま行こうか、という感じみたいですね。ただ、これを「獣面文」「動物文」と呼ぶ先生もいらっしゃるそうで、それはそれで正確かもしれませんね。

さて、この「召卣」は、殷の次の時代である西周の時代のものだそうです。確かに殷代の青銅器と比べると、小作りに洗練されている感じ。日本美術で言えば、鎌倉時代と室町時代の違いって感じでしょうか。

日本の鬼の原型でもある「蚩尤」?

ところで、この取っ手のところについている人面は、犠首と言うか、鬼神の一種に見えます。紀元前1000年くらいだと考えると、これを「蚩尤(しゆう)」だというのは乱暴でしょうけども……。蚩尤は、古代中国で信仰された最強の鬼神(軍神)ですが、名前はわかりませんが、そのような存在に近いものかもしれないな、と思います。

ちなみにこの「蚩尤」は、日本の「鬼(おに)」の原型とも考えられています。日本では、今や神さまと言うよりは、もっと身近な妖怪のような存在ですね。

しかし、中国の「鬼」とは、そんな私たちが考える「オニ」とはかなり違います。古代中国では、人が死ぬと必ず「鬼」になると考えられおり、つまりは祖霊のことでもありました。そう考えると、蚩尤は祖霊の集合体みたいなものとも言えそうですね。

このように、古代中国のデザインや概念は、私たち日本人の概念の源になっていることが多々あります。正直言って、伝言ゲームのように、意味がかなり変わったりしてるんですけど、それでも、いろんな意味で大きな影響を受けています。古代中国と言うと、ちょっと遠いような気がするかもしれませんが、実は結構関係が深いのです。

(続く)