About 武藤 郁子

神仏・聖地探訪家。編集者兼ライターとして神仏や聖地、歴史や自然をテーマに活動中。著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人)がある。2024年6月『空海と密教解剖図鑑』(エクスナレッジ)を上梓。

連載『フカボリ山の文化論』第8回目「月山と月神と山の食文化」。出羽三山で気づいた”生きるために絶対必要な才能”とは!?/YAMAP MAGIZINE

旅する時、やっぱり食という要素は大事ですよね。私は取材でもプライベートでも、とにかく地元の方が普通に食べているものが食べたいんです。それが一番おいしいですからね!

「食」はもっとも体験しやすい文化です。その地の食材を使ったお料理を味わうのが、その土地と最も早くアクセスする方法ではないか、と思います。

そんななか、個人的に大好きな山形県、特に出羽三山について書こうとしたときに、やはり食文化について触れないわけにはいられませんでした。

出羽三山には、大好きなので何度か旅しています。宿坊に泊まって羽黒山→月山→湯殿山と歩いたこともありましたし、即身仏にお詣りしながら、山麓をグルグル回ったこともあります。豊かな文化が重層的に存在している、実に濃ゆい場所ですから、様々なテーマで書くことはできたと思いますが、今回はちょっと変化球。あえての食文化にしました。

そして、コロナ禍でのひきこもり生活のなかで、月山の体験を思い起こしながらつくづく思いついたのは、これから必要な才能について、です。

難しいことじゃなくて、シンプルなことがやっぱり大事なんじゃないかって話なんですけどね。人間は「食べる」ことがだいじですよね。でも私は、日々の煩雑さに紛れて、そのことを忘れてるんじゃないのか?気づきました。改めて、その大切なことへの感性を研ぎ澄まさないとあかんな、と思ったのです。

そんなお話を書かせていただきました。ぜひのぞいてみてくださいね~!

***

さて、そして残念ながら、連載は今回で最終回になりました。突然のことで私が一番びっくりしていますが、このご時世ですから、しょうがないのかなと思っています。

あ。

もし、この企画に興味のある媒体の方がおられましたら、お声掛けくださいね~!

(むとう)

連載『フカボリ山の文化論』第7回目「金剛山と動く人々の系譜」。役小角・行基・空海・楠木正成に共通するのは自由で強い魂!/YAMAP MAGIZINE

歴史を見てみると、歴史上に名を残すような天才が、どうしてこんなに集中して登場したの?と驚く時代や場所があることに気付きます。

どうしてなのかわかりませんが、天才が生まれやすい時代や場所というのはあるのかもしれません。革新的な流れが、全体に渦巻いているからなんでしょうか。

さて、そんな時代と場所で、今の日本文化を屋台骨を形成した場所の最も重要な場所が、金剛山地ではないかと、私は思っています。そんな思いもあり、私にとって金剛山地は憧れの地ですし、特別な場所なのです。

そんな思いを込めまして、『フカボリ山の日本論』の第7回目は金剛山について書かせていただきました。

金剛山には、定住する様式を持つ人々ではなく、動く前提で暮らす人々の聖地だったのではないか、と思ってるんですね。

修験道の祖とされる役小角。

日本仏教黎明期の傑僧・行基。

大乗仏教の到達点である密教の伝承者・空海。

日本史上最大の軍事的天才・楠木正成。

………わあああ、いかがですか、この綺羅星のようなラインナップ。

こんなすごいビッグネームが、すべて金剛山で修行してるんですよ。これは偶然ではないと思います。そして彼らには、共通点があると思うのですね。それは、自由を愛する気風、清濁併せのむようなスケールの大きさ、理想を貫く心の強さ。私はそんな共通点を、「金剛山魂」と名付けてしまいました。

そんな思いを込めて、本編の方を書いてみました。今回の金剛山は、大阪府サイドの金剛山、という感じですね。実は、奈良県サイドの金剛山地と、大阪府サイドの金剛山は、全然雰囲気が違うんです。そのあたりももうちょっと書きたかったな~。いずれそのへんのお話も、いずれかで書いてみたいと思います。

金剛山というと、低山ハイクのイメージが強い方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜひこんな角度でも楽しんでいただけたらと思います。あの場所の凄さをもっと多くの人に気付いていただけたらなと切に願っております。

(むとう)

連載『フカボリ山の文化論』第6回目「丹沢大山と石の女神と江戸男」。粋で鯔背な江戸男に愛されたのは”石の女神”!?/YAMAP MAGIZINE

ひきこもり生活も2カ月目に入りました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

フリーならではだと思いますが、私もひきこもり生活を始めて、今日まで1度も電車に乗らず、ひたすら自宅のある街をウォーキングするという日々を送っております。狙ったわけではありませんが、毎日1時間半の運動、3食自炊、8時間睡眠というゴールデンコンボが完遂でき、かつてなく健康です。ものすごーく健康です……。

元気すぎて取材に行きたくて仕方がありません。
今なら結構過酷な取材も耐えられると思います。京都特集でも秘境特集でも、心から喜んで複雑な日程組んで取材に行きますよ。ほんとほんと。

しかし、今はどこにも行けませんよね。ああああ…。

いずれにしても、今は我慢が一番大事。もう少し我慢します。もう少し辛抱してパワーを溜めておいて、外に出ても大丈夫となったら、取材に行きまくります!!

さて、前置きが長くなってしまいましたが、そんな中、「フカボリ山の日本論」の第6回目を公開していただきました!


今回のお山は、「丹沢大山」(神奈川県)。

私は埼玉生まれなのですが、父方の親戚類が箱根から御殿場、伊豆、沼津にかけて分布していたので、大山もたまに連れて行ってもらいました。取材できない今ですので、そんな懐かしいお山を想いだしながら、執筆してみました。

大山と言えば、落語の「大山詣り」が有名ですね。今は落語がお好きな方も多いかなと思って、そんなお話から始めてみましたよ。

大山詣りは、江戸時代に大流行した夏の行事です。「大山講」といってみんなでお金を貯めて(こういうグループを講と言います)揃っていく、年に一度のお楽しみ。しかも大山講は、基本的に男性だけで行くものだったので、当時の浮世絵なんかを見ましても、何だかやたら粋で鯔背で、カッコイイんです!

そんな江戸男のカッコよさと、彼らが愛した大山について考えていたら、やっぱり大山の神さまは女性なんじゃないかなと思えてきまして……。そんな説はどこにも載っていませんが、しかしそんな妄想を熱く語ってしまいました。ぜひ、詳細は本文をご覧ください!
(むとう)