【2015青森旅】②憧れの三内丸山遺跡へ!!

カモメさんたちの鋭い視線に、ちょっとビビってペコペコしながら、駅前に戻ってバスに乗ります。

バスで30分ほど郊外へ行くと、ちょっと手前に有名な県立美術館、そしてその先に三内丸山遺跡はあります。

三内丸山遺跡には入口に「縄文時遊館」という博物館があります。全体の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、とても素敵な建物です。

エントランスを入りますと…

20151006-1大きな縄文土器のレプリカがどーん!

おおおおおお!
テンション上がります!

さらに、縄文時代の衣装を着てみてね、と置いてあります。無料!
それは着るでしょう!
私も早速着てみました。素晴らしいですよ、小道具にお魚のレプリカまであって、選べるし。ちょっとおしゃれに腰ひもは2本づかいにしてみましたよ♪

いやあ、嬉しい!

それにしても気持ちのいい施設です。デザインも素晴らしいですし、びっくりすることにほとんどお金使いません。
三内丸山遺跡は、なんと無料で見学することができるんです。

20151006-3

建物を抜け歩いていくと芝生が見え、その先に茅葺の建物が姿を現します。

おお、あれは、三内丸山と言えば……、な、あれじゃないの?!

20151006-5

見たことある~!
「大型掘立柱建物」(別名六本柱建物ともよぶのかな?)と言うんだそうですが、櫓のようにも見えます。

この復元には、直径1mに及ぶ6本の大きな柱穴が発見されたことから、学者さんが推定して作ったとのことですが、こういうかたちではなく、「板葺の屋根のある建物」だった、「柱だけが佇立しているもの」だったなど、諸説あるようです。
しかもこの「大型掘立柱建物」は、この集落の中心部に東西に分かれて何棟もたてられていたことがわかってるんだそうですよ。すごいなあ。

この三内丸山遺跡ですが、今から約5500年前~4000年前(縄文時代前期中頃~中期末葉)の大規模な集落跡です。
なんと「約1500年」もの間にわたって定住生活が営まれていた、というわけですよ。ひゃ~!

長いですよ~、この1500年て。
そこまで同じ土地に、大人数のひとが住み続けるというのは、並大抵なことではありません。

…たとえるならば。
京都で見てみましょうか。

京都という土地は古くからの都ですが、都になったのは794年の遷都としますと、2015年までを考えましても1221年です。いえ、これでも十分にすごいことなんですけどね。それより300年ほど長いんですから…
#もちろん人口の規模が違う!と言われたらそれまでなんですが、それはちょっと置いといて…

この土地は、今はやりの言葉で言えば「サステナブル」な集落だった、と言えるかもしれませんね。人口はそこそこ増えたり減ったりはあったでしょうが、この土地にそれほど長い間住み続けることができた。それは、それだけの資源を、継続して得ることが可能だったから、とも言えます。

(続く)