仏教はとっても複雑
さて、そんなシッダッタさんの教えとは一体どんなものだったんでしょう?
実は、仏教というのはとっても複雑。長い年月の中で、様々な経典が生まれ、考え方が生まれ、いろんな土地の神々が影響を与えたりして、ありとあらゆる変容を遂げていきます。
なので、お釈迦さんが言ってることだけが、仏教において大切だというわけでもないのです。お釈迦さん以外の仏さんやお坊さんがそれぞれに大切なことを説いたりしてて…。
まあ、でもキリスト教やいろいろな宗教でも同じことかもしれませんね。長い歴史を超えますと、大切なことや聖人が出てきますし、いろんな説が現れてくるのも当然のことかもしれません。
それだけ、「生きることとは一体なんなんだろう」と真剣に考えてきた人たちがいた、ということですよね。
人生は思い通りになりませぬ
そんなわけで、ものすごーく複雑なので、私ごときシロウトがどうこう言えるものではありません。正直言って、あんまり難しいので、仏教美術が好きだ!と長年言いながら、まったく詳しくないし、勉強もしてきませんでした(すみません)。
でも、このブログでは、(私が^^;)お勉強する、というのが裏テーマでもあるので、無理は承知でまとめてみたいと思います。
手元にある『日本仏像事典』(真鍋俊照編・吉川弘文館)の「仏教~原始仏教の思想」を読んでみましたところ…
ムムムむ…。
む、難しいので、まずその一。(分けて覚えていくつもり…^^;)
【人生は「苦」に満ちている。「苦」とは、「自分の思い通りにならないこと」をいう。なぜ思い通りにならないかというと、世界のいろんなことはあらゆることが関係しあって作られたものなので、常に変化しているから、自分の思い通りにならない。なので、どんなものも「自分のものである」とか「自分」ということを考えたらあきまへん。】
なるほどなるほど。
これはなんだかちょっとわかります。
確かに自分の思い通りになることって、そうそうはないですよね~~!
もちろん、こまごまとは、ありますよ。たとえば「今日作った豚のしょうが焼きは、狙い通りの味を出せた!」とか。行きたい大学に行けた、とか就職できた、とかそういうのは、ね。
でも、大きな意味で、おそらく決定的に、思い通りにならないことがあります。
それは自分が「死ぬ」ということ。
もちろん、「自殺」でしたら、自分がいつ死ぬかコントロールすることはできるかもしれません。
でも、どんなに死にたくなくても「死なないでいる」を選ぶことはできません。すべての人に平等に「死」という最後の幕が用意されているわけですよね。
「私」は「世界」でもある?
ちょっと飛躍しちゃいましたが、以下の部分は、すごい救いですよね!
これって、つまり。
「人生というのは思い通りにならない、なぜなら、いろんなことが関係しあってて、そして変化し続けるものだから」。
ふんふん…要するに…
『自分がすべてどうこうできることでもない。でも自分がしたことが無意味なことでも、小さなことでもない。すべてが関係しあって、響きあって、出来上がってるのがこの世界なんだから』。
と、読み下しましたよ!
前向き&楽天家な私としましては!
そういう世界観では、確かに「これは自分のものだ!」と主張しても、「私は私だ!」と言い張っても、あんまり意味ないですね。なぜなら、私は世界で、世界は私なのだし。
ふむふむ。なんか前向きな感じになってきました!
(続く)