日本文化のもう一つの側面、「石の文化」をもっと知りたい。
- 石仏と塔婆群(埼玉県)。それぞれ独立したお墓や供養塔だったものを寄せてまるでピラミッドのように!なんかすごい!
日本文化は「木の文化」とよく言います。確かにその通り。これだけ木を使って建物建てたり、道具を作っている民族はそうそうないでしょう。それというのも、日本人が「木」という素材に特別な愛着を持ってきたこと、神として崇め奉る信仰心を持ってきたことも「木」を多用する大きな要因だったといえると思います。
とはいえ、日本にも、実は「石の文化」が連綿と続いています。石を加工する技術も古代から存在していました。 遺跡で発掘される石棒や石斧といった道具(祭祀用具?)はもちろん、古墳の中の石室を見ても、あれだけ大きな石を選び、切り出し、崩れないように組むことは、相当な技術力が必要です。また、もともと前述の「木」と同様に、「石」も信仰の対象でした。古い神社のご神体には大きな石(岩)が多く含まれます。 街角のお地蔵さんや道租神も石でできていますね。石でできているので、雨ざらしになっているものも多いかもしれません。正直言って、筆者も「石はその辺にたくさんありそうだし、丈夫そう。一般の人が使いやすいから街角のお地蔵さんは石造なのかな~」なんて考えていました。あまりにも当たり前すぎて、そんなふうに風景の中の一つととらえていたんです。
……否。
それはあまりに安易な考えでした。
■石はそのへんにある?――そう簡単に「その辺」にはありません。調べてみるとびっくりするくらい遠くから運んできているのです。
■丈夫そう?――丈夫な石もありますが、全然丈夫じゃない石もたくさんあります。丈夫な石は切り出すのに特殊な技術が必要になってきますから生半可なことではありません。
こんなことを少しずつ知るごとに、石造物のすごさ・深さ・面白さにすっかりはまってしまったのでした。
石工芸界の至宝・N先生との出会い
そんな気づきを与えてくださったのは、石工芸界の至宝・N先生との出会いがきっかけでした。N先生が作り出す、また、語り表す石造物の美しいこと!石造物の一つ一つにちゃんと意味や思いがあることを先生に教えていただいたのです。
建長5年(1253)建立。伊派石大工・伊行末作。
そして少しずつ、先生から教えていただいた石造物を観て回るようになりました。何しろ素人ですから、よくわかってません。でもわからないなりに観ていくうちに「あ、この石灯籠、きれい!」「この石塔かっこいい~~」なんていう好みが生じてきます。
また、言い伝え、デザインや雰囲気から、勝手に歴史を妄想してみたりします。これがもう、たまらなく楽しい!
勤めていた出版社を辞め独立した私は、この楽しさをもっと定期的に味わいたい、という思いに駆られ、大先輩ライター・石田石造(女)氏に連絡しました。 石田石造(女)氏は、N先生のお仕事をともに作り上げたお方!しかもそのお仕事をきっかけに、その後も石造物の世界を取材し続けている猛者なのです。 石田石造(女)氏は、私の切なる願いに快諾!毎月一度、一緒に石造物を見て回ろう!ということになりました。
そして石部イシブ結成!
こうして、2011年秋。私たち石部の活動がスタート。 私たちがすんでいるのは関東なので、まず地元のものをちゃんと知りたいね、と「板碑」を中心に観て回ることにしました。
「石造物」といっても、その種類は多岐にわたります。 「板碑」もそのうちの一つで、埼玉県を中心にそのほとんどが関東に在るといっても過言じゃない石造物です。そんなわけで関東にせっかく生まれからには、板碑を見ないわけにはいきません!
さて、そんなこんなで、イシブは毎月活動してます。
時に行き過ぎつつ、時に脱線しつつ、石造物(イシブでは「石もの」と呼びます)との出会いを楽しんでいます。 こちらの「ありをりある.com」という場を通じて、日本中にひそかに生息しているイシブ系アウトドアな皆さんといろいろつながっていけたら嬉しいと思っています。
さあ、では、でかけましょうか!
イシブ部長 むとういくこ