BE-PAL.NET連載「文化系アウトドアのススメ」まとめ③最強パワースポットとしても大人気「御岩神社」

昨年年末からアウトドア雑誌『BE-PAL』さんのwebで始まった連載「文化系アウトドアのススメ」。連載と言っても不定期。ひと月かふた月に1テーマ。まとめをつくっておこうと思い立ちました。

最初のテーマは「大和葛城山」、次のテーマは「金剛山」でした。三つ目のテーマは「御岩神社」。ここ数年、「最強パワースポット」としても大人気の古社です。

神社ですが、巨石を要する山そのものがご神体なので、ちょっとアウトドア。実際に歩きながら、古来の日本人らしい宗教的世界を、今も体感できる場所だと思います。

「日本人らしい」と言うのは、どういうことかと言えば、それは「神仏混淆」の世界ということです。

今は、神社か寺(仏教寺院)かと、分けて考えるよう、それによって作法も違うし…と教わりますが、実はそのように分けられたのは明治になってから。

元々は、分かちがたく、一緒に祀られる存在でした。大きな神社には「神宮寺(じんぐうじ)」といって、神様にお経をあげたり、お守りするような役割のお寺が建立されていましたし、お寺には鎮守の神さまが祀られていました。

この「御岩神社」を取材したいと思ったのは、最強パワースポットとして大人気だと知ったこともありますが、今も明治以前の姿をとどめている場所らしい、と知ったことが最も大きな動機でした。

上の写真は、境内の様子ですが、実はとても象徴的。鳥居の内側に、大日如来像が安置されています。昔はこう言う風景が普通だったんですよね。

御岩神社は、そのような日本の原風景を、今も体感できる貴重な場所だと思います。実は、取材させていただいたら、このやたらとパワフルな場所である理由がもう一つあったこともわかったのですが、それはぜひ記事をご覧いただけたらと思います!

最後になりますが、同行させていただいた本田不二雄氏、たいへんお世話になりました御岩神社の宮司様を始め、各位、改めて御礼申し上げます。

第一回目 「パワースポットって何だ?!御岩神社を深読み歩き」

第二回目 「神仏が多すぎる!?御岩神社を深読み歩き」

第三回目 「納得の最強パワースポット 御岩神社を深読み歩き」

畠山先生のセキララ?自伝的書き下ろしエッセイ、ついに登場!!/『粋と野暮 おけら的人生』畠山健二著(廣済堂出版)

ついに100万部を突破し、先週最新刊の13巻が刊行された『本所おけら長屋』シリーズ。

おかげさまで、13巻も絶好調です!!
皆様、ありがとうございます!!

さて、実はもう一つ。畠山先生のご本がほぼ同時に出版されました。

「自伝的エッセイで、13巻の刊行とほぼ同時になるよ」と先生からうかがっていたので、私もとても楽しみにしておりました。しかし、よもや私も少し参加させていただくことになろうとは…。

「400字でね」

先生、突然の電話で、突然の発言。

「テーマは『粋と野暮』でね」

そ、それは先生のご本のタイトルでは?
ゴニョゴニョと問い返す私。

「ムトウさんにも一筆書いてほしいんだよ。そのお願い」

――そういうことですか!

正直言って、私ごときが書いていいものかもよくわからないですが、先生に書けと言われたら、そりゃもう、書きます!はい!

……ということで、変な汗をかきながら400字の駄文を書かせていただきました。

見本を拝見して、なるほど、こんなふうに掲載していただいたんだなあ、と新鮮。しかし、改めてみると無駄な言葉の多いこと。駄目ですねえ、ほんと野暮な文章(涙)。

それに比べて先生のエッセイはさすがさすが。江戸っ子の「粋」とはこういうことですよ。

これまでにも、先生の来し方はうかがってはおりました。しかし、いざ拝読すると、そうだったんですか!?と、驚いてしまう初聞のエピソードが満載。

そして随所に落語や、落語家さんや芸人さんのエピソードがちりばめられていたりと、「笑芸作家」たる先生の無限の引き出しを垣間見せくださってます。

皆さんに愛していただいている『おけら長屋』がどうして生まれているのか。その楽屋裏を惜しげもなく見せてくださっている、そんな一冊です。そんなわけで、私の駄文はともかく、必読の一冊になっていると思います。

ぜひ、『おけら長屋』シリーズと合わせて、お手に取ってみてくださいね~!

(むとう)

 

 

 

「令和」の典拠となった万葉集「梅花の宴」。浮かび上がる古代史の実像とは?!/『万葉集に隠された古代史の真実』関裕二著(PHP文庫)

古代史ファンにはお馴染み!関裕二先生のご本の編集をお手伝いさせていただきました!ちょっとフライングのご紹介ですが、発売は8月1日になります。

テーマはずばり『万葉集』。
時節柄ぴったりですよね!?

本書はもともと実業之日本社さんで『なぜ「万葉集」は古代史の真相を封印したのか』として刊行されていましたが、タイトルを改定しまして全体的に再編集。先生に加筆をお願いしました。

新元号「令和」は、史上初めて日本の書物を典拠として選出されたものです。その意味でも、エポックメイキングな元号なわけですが、この元号が「梅花の宴」という場面から選出されたと聞いて、歴史好きはどよめいたんじゃないかと思います。

と言うのも、この場面は「筑後歌壇」歌人たちが勢ぞろいしたという、かなり有名なシーン。正直私もニュースでこの一報を聞いて「あえてあそこから?」と驚き、さらにそれがおそらく中西先生の案であろうと聞いて、「さすが中西先生。学者恐るべし」と思いました。

――為政者の希望通り、和籍を典拠とし、美しい音と漢字をもちいて、これまでとはちょっと雰囲気の違う元号を提案。「希望通りの元号だ」と為政者は大喜びで採用。しかしそんなに素直に喜んでいる場合でもないかもしれない。二重三重に重ねられた言葉に籠められたメッセージに、歴史と言葉の深みを知る学者たちは一瞬でその意味を受け取り、「…ほう」と頷いているのだから…………

とまあ、そんなふうに私は連想してしまったのでした。

これぞ、「学者」の本領ではないでしょうか。学者ならではの戦い方。わかる人にはわかる、毒。時限爆弾のように仕組まれた言葉の意味……

あの場面からあえて選んだ意味を、歴史を意識している人たちはもちろんのこと、後代になっても、その時代の学者が見たら、説明するまでもなく、この時代がどういうものであったかを了解できるであろう元号だからです。くどい言い方をしてしまいましたが、『万葉集』こそ、まさにその元祖ではないか。そのあたりのことを、明確に語ってくださっているのが、関先生のこの一冊なのです。

『万葉集』は、単なる文学作品ではない。そこに籠められた公では語られない歴史の真相を、私たちは感じ取り、読み解くべきではないか……。

先生はそんなふうにおっしゃいます。

「梅花の宴」はその代表的なものですが、実は『万葉集』そのものに、正史には取り上げられなかった者たちの実像が描かれているのです。

https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76953-0

ぜひぜひ、お手に取ってみてくださいね~!

(むとう)