福井県「平成26年度みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」がすごい!

20141028

若狭の国こと福井県小浜市周辺は、仏像好きにはたまらないエリアです。
私も大好きで、一人旅で2回、友人と2回、計4回プライベートで訪れています。
#写真は前回たずねたときの羽賀寺さん。なんと8年前の写真でした。

でも、このエリアで特に有名な秘仏で、高浜町にある中山寺さんと馬居寺さんというお寺の馬頭観音さんは、写真で見る限りぜひとも生で拝観したい素晴らしいお像ですが、まだ一度も拝観できていません。

中山寺さんは33年に一度(17年に一度中開帳)、馬居寺さんは25年と午年に開帳と、かなり限られたご開帳のため、相当にハードルの高い秘仏なのです。

それがなんと、この秋、特別開帳しているというではありませんか!!
気が付いたのがちょっと遅いですけど、11月24日まで土日のみではありますが、ご開帳、とあります!これは行きたい!

福井県「平成26年度みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」(詳細は以下↓)
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/bunshin/wakasa-hibutsu-26.html

とはいえ、関東から、福井県小浜市のあたりまで行くのは、かなりの気合が必要です。片道約7時間かかりますからね。

今回もどうしようどうしよう…と悩んでおりましたが、やはり、死ぬまでに一度は拝観しないと死んでも死に切れん!
……と思い切って、二泊三日か三泊四日で若狭に行くことを決意しました。

8年ぶりの福井県です。いやあ、楽しみです!!

『仏像のお医者さん』/飯泉太子宗著(PHP文庫)

いつもお世話になっているPHP文庫のN編集長から「仏像の本でたから進呈するよ~」といただいたのが本書。

タイトルと著者のお名前を見て「あれ?これはひょっとして…」と思ってまえがきを拝見したら、…やっぱりそうだ! 『壊れても仏像』という単行本を改題して文庫化したのが本書、とあります。そういうことだったんですね!

わあ、懐かしいな~。
20140610かつて働いていた出版社で、仏教美術ものをがっつりやらせていただいていた時に、『壊れても仏像』が出版されたのです。もちろんいそいそと購入いたしました。
出版社を退職し、引越しをする際に手放してしまったので、思いがけずちょうだいしてとても嬉しい!

仏像を実際に修復されている方が、一般読者に向けて「仏像」について書かれる、というのは当時も今も、とても珍しいことですし、貴重です。

しかも、著者である飯泉さんは、当時まだ34歳とお若くて、その点でもとても珍しいことでした。内容も実はとても真面目なんですが、かなり砕けた表現をとられていて読みやすく、お人柄がしのばれる文章です。

ちなみに、余談ですが。
飯泉さんは独立される前、文化財の修復など行う美術院で長らくお勤めされておられたとプロフィールにあります。

……美術院さんか~。

これは全く私の個人的な思い出なのですが、美術院さんは何度かお写真を借りるなどのお願いで、お電話することがあったのですが、そのたびに応対してくださる方がみなさん丁寧・親切で、こころが洗われるような思いをしたものでした。

仏教美術にかかわらず、文化財掲載関係のお仕事してますと、たらいまわしにされたり、忘れられたり、ごくまれにですが関係のないことでお叱りを受けたり、…と、お電話して切ない気持ちになることもありましたが、美術院さんにお電話した中でそんな気持ちになったことはありません。

「こういう優しい方々が、仏像を修復してるんだな~、それはいいなあ~。正しいなあ~」

と一人頷きながら、悦に入ったものでした。飯泉さんもきっとそんな方なんじゃないかな、と勝手に想像してみたりして。

さて、僭越ですが、本書の特徴を私なりにご報告いたしますと。
やはり何より貴重なのは、仏像の基本的な知識はもちろんですが、仏像の修復がリアルタイムでどのようになされているか、というお話が掲載されていることです。こういったお話はなかなかうかがう機会はありません。
国指定の文化財なんかですと、まだそういうことを伺うチャンスはあるかもしれませんが、文化財になっていないもの、でも集落の皆さんが大切に守ってこられたお像についてなんかのお話は、なかなかうかがえないですよね。そんなお話もご披露されていたりして、とても面白いです。もちろん修理する当事者ならではのお話もこのご本ならではですね。

文庫化されるにあたって『仏像のお医者さん』というタイトルにされたのも、いいですよね!この新しいタイトルのイメージ通り、わかりやすく読めるように配慮された、「仏像そして修復」について書かれた貴重な一冊と思います。
仏像好きな皆さんには、特にお勧めです。もしまだ読んでいらっしゃらない方がいらしたら、ぜひ。文庫になってお手軽になりましたし!

【関西旅】④弘法大師空海さんと山の神さまたち/『山の神仏』展@大阪市立美術館

高野山は、仏教界の巨人・空海さんが開いたお山
さて第三部は「高野山」です。大きな声では言えませんが、私、一度もこちらに足を踏み入れたことがありません。

本当に大きな声では言えませんけども…

さて、そんなことで未踏の地ですので、「肌で感じる、勘」めいたものを頼りに動いている不確かな人間としましては、ついつい語調も弱まります。

とはいえ、高野山と言えば空海さんこと弘法大師さんです。弘法大師さんは平安時代の人ですが、真言宗という密教の流れを日本に開いた人です。今回の旅では、京都智積院の宿坊に泊まりましたが、こちらも真言宗〔智山派〕。いつも京都にいったら必ず立ち寄る東寺も真言宗です。(下の写真は東寺境内のようす)
20140527-11「密教」というのは、仏像や法具など、とても多様でたくさんあります。なので、仏像が好きですと、密教のお寺に行く機会はすごく多いんじゃないかと思います。かくいう私も、すごくお世話になっていると思います。

そんな自分だのに、高野山に行ったことがないだなんて、本当にお恥ずかしい話なのですが、今回こちらの展示を見て、改めて実際に訪れ、肌で触れないといけないなあと痛感しました。

空海さんを導いた土地の神・狩場(かりば)明神と、土地を与えた丹生(にう)明神
さて、空海さんがお寺を建てるための場所を求めて山地へ入ったところ、二匹の犬を連れた身の丈八尺(180センチ)を超える日に焼けた狩人に行き会い、その狩人に導かれて、丹生明神に会うことができ、そしてお寺を建てるに適した場所を教えてもらった、という伝説があります。

この狩人は実は神さまで、丹生明神はそのお母さん。この母子神の助けを得て、空海さんは高野山の土地を発見、金剛峰寺という立派なお寺を開山することができました。

空海さんはそのことを大切にし、以来ずっと高野山の大切な神様として、仏さんと一緒にまつられている、というわけなんですが…。

この狩場明神、つまり狩人というのは山で猟などして暮らす民の姿であり、また「丹生明神」の「丹生」は水銀のことですので、水銀鉱脈の発掘や当時貴重だった丹朱の製造に携わっていた一族のことを表わしています。

つまり、空海さんが高野山を開山できたのも、こういった人々の助けでもって成し遂げられたんだ、という事実を語る説話だ、と考えられています。

このお話はとても有名なお話ですが、解説のテープで山折先生が「狩場明神と丹生明神が、母子であるということ、これはもともと古い時代からある『母子』信仰がベースになっているのではないか」と指摘されていたのが印象的でした。

たしかに。そうですよね。

この神様たちを、母と子という設定にしなくたっていいですよ。
父子でもいいし、兄弟でもいい。
でも、あえて母子というところにポイントがあるかもしれない。古代の母系社会の名残とも言えそうですし、ふとギリシア神話のゼウスと母神レアー、エジプト神話のホルスと母神イシスを連想します。

展示にもこの、空海さんと母子神二柱の絵図や、後代にその2柱に二人の女神を付け加えたスタイル(四社明神)の絵図も多数展示されていました。
仏像もありましたが、この展示で強調されているのは「神と仏」という側面だったように思います。神を敬い仏を敬うというスタイルは、高野山では全く矛盾せず今も連綿と祀られ続けている、とそこのところを強調されているのかな?と感じました。

出来るだけ、近いうちに高野山に行かないといけないな~。ほんと。

(続く)