【関西旅2015】②1264年一度も途切れず行われてきた行法『お水取り』、そして『お水送り』

十一面観音さんに懺悔する「十一面悔過(じゅういちめんけか)」

東大寺の「お水取り」をどうしてもみたくて、奈良を訪れたワタクシ。

「一度は観ないと安心して死ねないわっ」と長年思ってきたので、今回奇跡的に時間がとれたのは、まさに念願のチャンスでした。

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(おなじみ大仏殿。何度見ても巨大ですが、こちらは江戸時代の再建でして、創建当初はもっと大きかったそうですよ)

さてさて、ではどうしてそんなにも観てみたかったのか。

それは東大寺という日本仏教史上格別なお寺さんの歴史そのものであり、もっといえば日本における仏教史そのものともいえますし、また、日本ならではの仏教とプリミティブな信仰との集合形態のもっとも明らかなものであるから、といえますでしょうか。

お水取りが始まったとされるのは、752年。東大寺の大仏殿の開眼供養が行われたのが749年ですから、開創まもなくのタイミング。
この東大寺の開眼供養を行った開祖・良弁僧正(ろうべんそうじょう)の弟子、実忠和尚(じっちゅうかしょう)という人が、創始されました。一説にによると、この時実忠さんは20代。オフィシャルな行事として始まったのではなかったのではないか、と言います。

正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」というそうなんですが、この十一面とは「十一面観音」さんのこと。「悔過」とは、懺悔する、という意味です。東大寺の二月堂のご本尊は十一面観音さん。このご本尊に、練行衆という特別に選ばれたお坊さんたちが、日々さまざまな過ちを重ねている私たちに代わって懺悔してくださる、という行なのですね。

本行は14日間行われるのですが、そのタイムスケジュールで行われる行の内容をみても、 シンクレティズム(神仏習合)であることがとてもよくわかります。

『お水取り』と『お水送り』

そもそも、正式名称は「十一面悔過」なのに、なぜ『お水取り』と呼ばれるのか。
『水取り』と呼ばれる行は、14日間のうち12日目に行われるもので、全体を示すものではないのです。しかしこの行が「最も大切な行」である、とされているのが、奇妙で面白い。

これまた不思議なお話があるんですね。『二月堂縁起』という本によると…。

実忠さんがこの行を始めたときに、日本中の神々に呼びかけ招きました。しかし、若狭国の遠敷(おにう)明神という神さまが、川で魚を取っていて、遅刻してしまいます。
遠敷明神はこれを歎いて謝罪し、実忠さんにこう約束します。「道場のほとりに香水を出して奉るべきよし」。すると、黒と白の二羽の鵜(う)が、岩の中より飛出でて、その跡からお水がわき出でた…。

ううむ。不思議ですよね。なぜこのエピソード、このお水をとることが重要な行なのか。

ちなみに、水をとる、行事があるということは、お水を送る、という行事もあるんですね。これを『お水送り』と言い、今も、福井県小浜市で粛々と行われています。3月2日の午後6時。神宮寺の境内の井戸から水が汲まれて、近くの遠敷川にお水を流します。

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(こちらが若狭神宮寺。私は若狭小浜が大好きなので、こちらの神宮寺さんには何度もお参りしてます)

ここで流されたお水が10日かかって、東大寺の境内の若狭井と呼ばれる井戸から湧き出す、とされており、これをうけとる行事が『水取り』というわけです。

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(こちらが神宮寺境内にある「閼伽井戸(あかいど)」。ここから水をくんで、2キロほど離れた遠敷川の「鵜瀬」というところからお水を流し〔送り〕ます)

この一連の行事が、最も重要な行の一つだ、とされてるのは、本当に不思議です。

そもそも仏教的なお話しではない。しかも、遅刻した神さまが送る水が、ものすごく大切なのはいったいどうしてなのか……。

「すべてのことには理由がある」

尊敬するN先生の口癖ですが、まさにこれもそうだと思います。一見穏やかな昔話のようなこのお話ですが、何か重要なファクターを示してくれている、とそのように思われますね。

(続く)

【関西旅2015】①東大寺のお水取りに行ってきました!!

先週土曜日から3泊4日で、奈良と大阪に旅してきました。

今回のお目当ては2つ。

奈良で念願のお水取り@東大寺をWさんとご一緒して拝観することと、大阪でH山先生の親友でいつもたいへんおせわになっているAさんにお目にかかること。結果的に天候にはかなりやられましたが、とても実り多き旅になりました。

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は別名「お水取り」と呼ばれ、とても有名ですね。
この行事は、選ばれた僧侶11名が(練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれます)、すべての人々に代わって1年の罪を十一面観音菩薩に悔い(悔過)、国家の安泰、五穀豊穣などを祈る法会(ほうえ)をいい、今年で1264回目を数えます。
なんと「1264年」もの間、一度も途絶えることなく続けられてきた行法なんです。まさに奇跡です!世界でもほかにこのような例はないと思います。「不退(ふたい)の行法」と呼ばれるのはごもっとも…

さて、まず、私が奈良を訪れた3月7日。お水取りは、本行が14日間行われるのですが、この日はそのちょうど真ん中、7日目にあたります。

7日のお昼頃奈良市に到着し、さっそく春日大社にお勤めのWさんと合流。
めちゃくちゃ美味しいおうどんをいただき、その後車で柳生の古社をご案内いただきました。

20150314-4(ランチはおいなりさんサービス。知らずにきつねうどんにしちゃったので、おあげ祭りになってしまいましたw)

さすがWさん、一人では決していけないような古くてパワフルなお社を見せていただきましたので、この詳細はまたあらためてご報告したいと思いますが、まずはお水取りに話は戻しまして…

7日目は、後半7日間ご本尊となる小観音(こがんのん)さん出御(しゅつぎょ)の日で、ぜひともその様子を拝見したいと意気込んでました。ところが、もう、ものすごい大雨(涙)。

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おたいまつは19時から始まるというので、17時20分ごろ早めに出向きましたが、もう時を逸してしまったようで、お堂の中に入れません。たまたま一緒になった隣の方の話では16時半くらいに来ていないとお堂の中には入れないんだそうですよ。

……ううう。この段階で小観音さんのお神輿は見られないこと決定。

雨は弱まるどころがますます激しさを増しますが、このまま宿に帰るのはあまりにも口惜しい。歩いてきただけでも、もう足下はびしょ濡れ。もうここまで濡れたら一緒だわ!とばかりにこのまま2時間余りここで踏ん張ることに……。

こんな雨ではたいまつの火が消えてしまうんじゃないか?そんなことさえ考えてしまうほどでしたが、お松明はそんなヤワなものではありませんでした。

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おおおおおお!!!

すごい迫力です!

向かって左側にある廻廊からお松明が登っていき、二月堂のテラスをなめるように走り抜けます。

以前、大分の国東(くにさき)半島の寺々で行われる修正鬼会(しゅじょうおにえ)を観に行った時も、その松明の大きさと、歴史ある本堂の内部で松明を振り回すありさまに、思わず言葉を失いましたが、今回もまったくその時と同じ心境です。

木製のお堂に火が燃え移らないか、ハラハラし通しですが、しかし粛々と巨大なお松明は10本も通り抜けます。あとで調べましたら、一本の重さは約40キロ、長さは約6メートルもあるそうです。これを一人で担いで走り抜けるんですから、それがまたすごい。

IMG_0206お松明を持って走り抜ける人(童子)もかなり個性があります。テラスの角で大きくお松明を突き上げるのですが、大きく振る人と、静かに振る人がいます。大きく振る人だと、観衆からは思わず感歎の声が上がります。この火の粉を浴びるととても縁起がいいそうなんですね。残念ながら私のいるところは遠すぎて、火の粉は飛んできませんでしたが、まあ、観るだけでもきっとご利益はあると信じましょう!

お松明、始まってみましたら約30分。あっという間でした。

行自体はこの後も午前2時までお堂の中で続きますが、雨でびしょ濡れ、気温も下がってきて寒くて寒くてここで限界。Wさんと合流し、Wさんの車に乗せていただいて、いつもお世話になっております、居酒屋「鬼無里」さんに避難しました。

いやあ、それにしてもすごかった。
しかし、体はびしょびしょで、足は寒くて感覚がありませんが、なんとなく気持ちが高揚して結構大丈夫な気分!これぞ非日常!

でも、鬼無里さんに入った途端、もう足が気持ち悪くて仕方なくなるわたし(我に返ったとも言いますね)。
おトイレでストッキングを脱ぎ靴下を脱ぎ、タオルを貸していただいて足を拭き…。久しぶりにお会いした大将に甘え放題甘えさせていただいちゃいました。

そして、Wさんと、Wさんのお友達Kさんと美味しいお食事をたくさんいただき、たくさん楽しいお話しをして、びしょ濡れながらも心は晴れやかに初日は終わりました。

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(とくにこのブリ大根が冷えた体と心に沁みました~~!大将、ありがとうございます!)

(続く)

 

【若狭旅】⑤観る者を無碍自在へと導く美しさ!中山寺ご本尊、秘仏・馬頭観音菩薩坐像

秘仏・馬頭観音菩薩坐像!!

さて、今回の旅の、最大の目的である中山寺のご本尊を拝観しましょう!

実際に拝観したのは11月ですからもう三ヶ月くらいたちますが、あの感動は今見たかのようによみがえってきます。

中山寺の山門で、えらいこと感動したわたしでしたが、またこちらの本堂を前にして思わず震えました。

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かっこいいです!!!!

1343年に建立されたという本堂は、重要文化財に指定されています。この穏やかながらもすっと伸びた屋根の反りの美しいこと。

そして由緒正しいお寺にふさわしい、正面一基の金燈籠。灯籠自体は新しいものですが、このスタイルを選ばれているところが、さすがという感じです。

この中に、あの白洲正子さんも絶賛した馬頭観音さんが居られるとは。なんと相応しいんでしょうか。

文化財に指定されますと鉄筋コンクリートで耐震構造のある建物で保管しなければならなくなったりします。どうしても、法律上しょうがないことなのですが、やはり本来祀られている場所に、そのままある、というのすがたに出会いますと、本当に嬉しくなってしまいますね。

観る者の意識を解き放ってくれるような!?

そしていよいよ、ご対面です。

山門の仁王さんでまずはひと感動、さらに本堂でも感動を重ねて、そこからの馬頭観音さんですよ。期待は否が応にも高まります。

年を経て美しい茶色になった階段を踏みしめ、ほの暗い本堂の中へと入ります。

そして、いつになくいそいそしずしずと、お厨子の中にあるご本尊で秘仏の馬頭観音坐像を拝観しますと…

……

………うっ。

美しい!!

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ご参考までにパンフレットに掲載されてました写真をご紹介させていただきますが、正直言って、この10倍美しいです。

不思議なことなのですが、まさにこのお姿なんですけど、ナマで拝見するとなんか違うんです。気配っていうか。なんと言えばいいのか…。

例えば、腕や手の柔らかく優しい線、写真でもお分かりになるかと思いますが、実際にはその優しさが限りない感じなのです。限りないというか、はてしない、といった表現のほうが合うかもしれません。

また、お顔は憤怒相をとられてますが、男性的に見えて男性的でない。かといって女性でもない。いや、でも女性のもつ美しさ、強さ、そういったものも感じさせてくれるのですよ。それが同時に男性的な力強さをも帯びている、といった感じ。

ううむううむ。

何でしょう、この美しさは!

ちょっともう、どうにも説明できませんよ!

それでも、あえて言うならば……。

圧倒的に美しく、まさに人界を超えた世界を現しておられるので、果てしないイメージの広がりや可能性を、観る者に与えてくれるお像、といったかんじ。

今回私は、このお像に拝観して、すごく「認められてる」ような気持ちがしました。

「よくきたな。そうそう、それでいいよ」

そんなかんじです。肯定されるようなあたたかい感じをいただきました。

でも、また違う精神状態の時には、まったく違う印象を感じるかもしれないと思います。実際、一緒に観た方たちにも、コワイと思った方もおられたようですし、まさに千差万別です。

人によってその姿を変える、まさに「観音」さんそのものではないですか!
無碍自在(むげじざい)、この言葉は禅の世界で妨げるものなく自由である境地のことを言うそうですが、そんなふうに、その美しい変幻自在なお姿でもって導いてくださるような、ものすごいお像だと思います。

こちらのお像は秘仏ですから、生きている間に再び拝観できることはないかもしれません。次は17年後……。

…あれ。50ン歳か。いけるかも??!

また、来たいな。その時にはどう思うんでしょう。自分がどう思うのかすごく気になりますね。

念願の秘仏ツアー、大満喫!
さて、こうして、無事長年の願いであった、中山寺と馬居寺の秘仏・馬頭観音さんにお参りすることができました。

中山寺さんでは、美味しい和菓子とお抹茶の接待もしていただき(ツアーの中の一環です)、とても心地よい時間を過ごすことができました。

あいにくの雨でしたが、とても晴れやかな気持ちになる、いい一日でした。

やっぱり、本物を見るのが一番楽しい!

そしてそのために、はるばる来るのが、またたまらなく楽しいんですよね。たいへんですけど!

(むとう、了)