昭和史の第一人者による最良の読書ガイド登場!『若い読者のための日本近代史』/半藤一利著

社会(日本史)の授業で最もおろそかになるのは、おそらく昭和史なんじゃないでしょうか。一年かけて勉強していくうちに時間が足りなくなってしまい、「太平洋戦争以降は、自分でよく読んでおいてね」、先生がそんなふうに言われて、三学期が終わった記憶があります。近い時代だからわかるよね?みたいなかんじです。確か中学でも、高校でもそんな感じだったような…

しかし、私が生まれ育ったところは戦争教育が盛んな土地だったのか、歴史の授業とは別によく第二次世界大戦の特別授業が行われてました。

ひょっとしたら、私が教えてもらった先生の個人的な考え方であったかもしれません。中学時代の先生はかなり強烈で、「日本人は最低なことをした、こんなに駄目なことをやってきた日本はだめな国だ」といったことを繰り返し言う人でした。
子ども心に「戦争時、日本人がしたことはよくないこともたくさんあったかもしれない。でも、だからと言ってそこまで日本の全部を否定する必要はあるのかな」と思ってました。口には出せませんでしたけど。

非常に個人的な体験をお話してしまいましたが、一つの例として私の体験をみても、誰か一人の思想を一方的に摂取するのは危険です。もっといろんな角度から学ばないと……。
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今回編集をお手伝いさせていただいた半藤一利先生の『若い読者のための日本近代史』には、そんな中学生だった私にぜひ教えてあげたいようなお話がたくさん紹介されています。

中学生のころの私にはちょっと難しいかもしれないな、と思わないわけではありません。でも、いっそのこと、半藤先生が言っておられることの意味が全部分からなくても、それでも意味があるかもしれない…と思います。
いろんな立場や場面の本が紹介されていますし、何より昭和という時代を、マスコミの第一線で走り続けてきた半藤先生だからこその「ものの見方」を知る、感じるだけでも、十分意味があるんじゃないか、とそんな気がします。

半藤先生は、『昭和史』の第一人者として高名ですが、そもそも文藝春秋の名編集者でもあります。その名編集者が、実際にみてきたことをズバズバと種明かししながら、厳選した本を紹介してくださる……。 そこには先生の信念がスッとひとすじ通ってます。それは、
「本物にあたれ」 「自分の頭で考えろ、思考停止するな」
そんなことなんじゃないかと思います。本書の中でそういう言葉でおっしゃっているわけではありませんが、その徹底した「取材主義」から、そんなことを言っておられるように思われてくるのです。

たとえば、こんな場面。(吉村昭著『深海の使者』をご紹介している一項から)。

優れた戦史小説を書かれてきた吉村先生は、この『深海の使者』を最後に、戦史小説をぴたりと書かなくなってしまった。半藤先生はそれを残念に思い、ぜひとも書いてほしいと強くお願いしたのですが、それにたいして吉村先生は……(以下本文より抜粋)。

『「初めて『戦艦武蔵』を書いたころは、関係者の90パーセント近くが健在だったから、取材もたっぷりできた。けれども、年を追うごとにその数はどんどん減っていって、『深海の使者』を書くために調べだしたときには、35パーセントほどしか証言者がいなかった。これには僕も愕然とした。年を経るごとに戦争の体験者がいなくなるのは当然といえば当然だが、証言者の激減は、これじゃ正確な戦史小説 を書けないという事実を、いやというほど僕に思い知らせた。それで執筆を断つことにしたのです。その苦しさは、同じように戦史を書いているキミにはわかるはずだが……」
わたくしは吉村さんのこの述懐を正しくうけとめました。そして、これ以上はもう余計なことをいうまいと思いました。吉村さんの戦史小説は、ほかの同種の作品群とはまったく違う特徴をもっていることに、わたくしははじめから脱帽していたからです。戦時下に起った出来事を書こうとする場合、吉村さんはその出来事に関与した人々の話を徹底的に取材しています。その多くの証言者のさまざまな角度からの話によって小説を構成する、それが吉村さん独特の流儀なのです。戦史の公式記録や、だれかがさきに書いたものなどは、ただ補強材料として使用ないし参考にするのみ。そこが多くの戦記作家とは根本的に違うところなのです。
しかし、いまやその肝腎かなめの証言者がいなくなった。であるから、これ以上は書かないと、まことに東京ッ子吉村さんの潔さと矜持がよくわかる決断でした。』(「日独潜水艦連絡の悲劇」より)

この、「覚悟」に満ちた文章。

今、これだけの覚悟をもって文章を書いたり、編集をしている人はいったいどれだけいるでしょうか。我が身を省みると、比較するのもおこがましいようなレベルの違いで、恥じ入って穴があったら入りたい気持になります。

そして、あの名著『レイテ戦記』について、この一節がまたすごい。

『「四  海軍」の章のころから、元陸軍一等兵どのは惜しむらくは海軍に少し暗い な、と気がつきだしていた。ついには要らぬお節介をやきたくなり、全般的な感想とともに決定的な誤りや疑問点を書きだして「甚だ不躾けながら」と、大岡さんに お送りしたのである。
(中略)などなどの重箱の隅的な細かい点にはじまって、ついにはいちばんかんじんのところにまさしくイチャモンをつけたのである。(後略)』

私、この一節を拝読して思わず叫んでしまいました。あの『レイテ戦記』に、あの大岡昇平さんに「イチャモン」!?

いえ、イチャモンというのは先生ならではのご謙遜ですね。真摯に取材し執筆した大岡先生のご本だからこそ、誤りがあるのであればちゃんとそれをお伝えすべきだろう、と信じお手紙を出されたんだろうと思います。まさに本気で物事にあたっているものどうしの【真剣勝負】なのです。

す、すごすぎます。思わず痺れました。その場面を想像するだけで……

さてどうしても、「編集者の大先輩」のご本として本書を読んでしまっている私ですが、それは一つの角度にすぎません。本書は読む人によって様々な角度がありうる本だろうと思います。それほど一編一編が「濃い」のです。そのように濃い本のご紹介がなんと22冊分。さらに、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』についても特別論考として80ページ。読み応え抜群です。また、本書でその本が書かれた背景や、作家の人となりを知ってから実際に本を読むと、間違いなく理解度がぐんと上がると思います。

もちろん、若い人だけではなく大人の皆さんにもお勧めです。いえ、ひょっとしたら大人こそ読むべき本かもしれません。思い込んでいたことが誤りだったことに気付いたり、角度を変えた視界で見たら、また全く違う光景が見えてきたりするのではないか、と思います。

ぜひお手に取ってみてください!

(むとう)

戦国時代のあの三人を描く「あるじ」シリーズ第一弾!『あるじは信長』/岩井三四二著

歴史上の人物で人気ランキングを作れば必ず上位に上がってくるであろう「織田信長」。ですけども。

皆さん、織田信長ってどう思われますか?

彼がやってきたことを見ていきますと、正直言ってなんだってこんなに人気あるんだろう、って思ってしまうようなほんとうに難しい人物です。でもこういう苛烈な人物像というのは、やっぱり表現者の方々の創作意欲を書きたてるんでしょうね。それこそありとあらゆる「信長像」が創作されてきました。悪の権化だったり、悲しみを抱えて傷つきやすい青年だったり、マザコンだったり、実は女性だったり、両性具有者だったり。

ほかの人物でここまで様々なイメージで描かれた人物はまずいないんじゃないでしょうか。そう考えますと、やはり、魅力的な人物なんだと言わざるを得ないですね。

ただ、どの作品にも共通して描かれているのは、信長に振り回される家臣たちの姿かもしれません。実際、こんな人物が上司だなんてたまらないですよね。
本当に大変だと思いますよ!
とにかく絶対的な成果主義。心の休まる暇もなさそう……。
個人的には 「上司にしたくない歴史上人物ナンバー1」なんじゃないかと思いますけど、いかがでしょうか。

さて、前置きが長くなってしまいました。今回文庫化のお手伝いをさせていただきましたのが、そんな家臣たちを主役にした岩井三四二先生の『あるじは信長』です!
20140425様々な立場の家臣たちが、それぞれ主役として登場する短編集です。

さすが岩井先生、と言ったセレクションなのですが、武将はもちろん、ほかにもいろいろな職種の人物が登場します。例えば、現在の書記官のような職業「右筆(ゆうひつ)」。お茶道や有識故実に詳しくその面で使える「同朋衆(どうぼうしゅう)」。相撲とりとして身辺警護も務める「御小人(おこびと)」などなど。

それぞれの立場・身分から、「信長」に仕える8人の人物たちが登場し、かれらを通して「信長」という人物像・有名な事件が描かれる…、という趣向です。

岩井先生ならではの、軽妙で明るいタッチでちょっと「とほほ」な雰囲気が何とも言えない連作短編集になっています。ですので、とても気軽に手に取っていただける読後感なのですが、実は、史料を読み込むのが大好きだという岩井先生でなければなかなか描けないような、相当な歴史的情報もしっかり組み込まれたお話なのです。信長には詳しい、という方にもぜひおすすめです。ちょっと違って側面から「信長」を見ることができるんじゃないかと思います。

そして本作は『あるじシリーズ』第一弾でして、第二弾は『あるじは秀吉』、第三弾は『あるじは家康』となっております。

「あるじ」はだれがいいか、…そんなことを考えながらそれぞれお読みいただくのもすごくお勧めと思います!

ぜひお手に取ってみてください!

 

 

今回も江戸っ子ワールド炸裂!ついに第二巻発売です! 『おけら長屋(二)』/畠山健二著

昨年夏に刊行、大好評を博した『おけら長屋』、ついに続刊登場!!

私にとって時代小説は長らく「癒しの本」でした。嫌なことがあって泣きたいときに山本周五郎さんを読む。嘘をつかれて人間不信に陥った時に池波正太郎さんを読む。 希望を失って仕事をやめようと思ったときには、司馬遼太郎さんを読む…。まさしく「心のよすが」です。

「そんなに好きなら編集してみれば?」と思われるかもしれませんが、文芸ジャンルのない出版社に勤めていたので、それはほとんど不可能なことだったのです。
ところが、フリーになってから、N編集長にお仕事いただくようになり、思いがけず時代小説のお手伝いもさせていただく機会をいただきました。自分がフリーになって最も幸福なことは、まさにこのことだと思います。 自分にとってそれほど愛してやまないジャンル「時代小説」にかかわらせていただけるようになった…。本当に、夢のような出来事です。

さて、そんなわけで、担当させていただくだけでもうれしいのですが、中でも、ものすごく思いを込めて担当させていただいたのが、今月いよいよ発売されます、畠山健二先生の新刊『おけら長屋(二)』なのです!!

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『おけら長屋』の一巻は昨年7月刊行され、大好評を博しました。
私も、校正だけ関わらせていただきました。そのリズムの良さ、心に迫るセリフの数々に感動し、校正として読まなくてはいかないにもかかわらず、胸があつくなってついつい「読んで」しまったのです。校正者はそういう部分を切り離して確認していかないといけませんけども^^;;、心のほうに響いてしまったんですね。私はすっかりファンになってしまいました。

さて、そんな一ファンな私に、なんと第二作を担当しませんか?とのご依頼が!
実際に畠山先生とお目にかかった時にも、N編集長と先生からそのように言っていただいて、本当に天にも昇るような気持ちでした。

畠山先生は、 もともと落語の新作を手掛けるなど、演芸作家としても活躍されておられる方なので、とにかく洒脱で陽気。そして何より優しい先生です。まさに「江戸っ子」とはこういう方のことを言うんだなあ、と埼玉生まれの私は感心してしまいます。『おけら長屋』は、いうなれば畠山先生の分身、みたいな気がしますね。江戸っ子の粋、洒落、人情が山盛りなんです。

関係者全員が撃沈!泣かずにはいられない最強の一冊。
それにしても、これだけ「読んで」しまう本はなかなかありません。
「私は今、仕事で読んでるんだ、仕事なんだ」
そう自分に言い聞かせないと、読んじゃうんですよね。ついつい先へ先へ、と読み進めてしまうんです。

そして、ルビを振りながら涙が止まらない。何度も読んでるのに、ここでまた私泣いちゃってるよ、と自分でも少々あきれるくらい。ちなみにその「泣き」多発地帯は、三番目に収録されている「まよいご」というお話です。長屋の問題児ともいうべき、万造さんが、迷子を拾ったところから始まるお話。

もうね。たまらないんですよ。万造さんと迷子の勘吉とのやり取りが…。血のつながりがあるわけでもない、であってまだ間もない。それでもこれだけ人は人を思いやれるものか、とおもうのです。……って、この文章書いてまた目頭が熱くなってしまうんですからもうどうしようもありません。

そのほかの作品もすべてぐっとくるんですけど、すごく簡単にご紹介しますと次のようなあらすじです。

1.一作目で湯屋で襲われ妊娠してしまったお梅ちゃんを嫁にもらうと決心したはずの久蔵(21)が元気がないことを見て、おけら長屋連中がおせっかいを焼く「だいやく」。

2.詐欺商法に危うく巻き込まれそうになる隠居を長屋連中が救い、詐欺師たちに意趣返しをする「すていし」。

3.長屋の問題児・万造が迷子を拾って、心を通わせる「まよいご」。むとうの泣き多発地帯。

4.長屋連中に慕われている武士・鉄斎の、元主人である高宗公がお忍びでおけら長屋にやってきて巻き起こる騒動「こくいん」。

5.おしどり夫婦の八五郎とお里の夫婦喧嘩から明らかになる20年越しの切ない思い「あいおい」。

6.市中を騒がしている辻斬りに長屋の佐平が切られ、さらに容疑者として鉄斎がつかまってしまい長屋全体で捜索する「つじぎり」。

読む人によって、また読んだ時の心境によってぐっとくる作品が変わる、というのが畠山先生の作品の特徴かもしれません。

N編集長は、「やっぱり笑いがたくさん入ってる「すていし」が好きだなあ」とおっしゃっておられましたが、本が出来上がる寸前になって「でも「まよいご」もいい。泣ける」とおっしゃられてました。

私もどのお作もそれぞれ大好きですが、やはり第3話の「まよいご」、それから「こくいん」の男の友情もたまらないし、「あいおい」の夫婦の愛情も、「つじぎり」の人情もいい!!どうも私は「泣き」に弱いようで、まよいごだけでなくいろんなところでウルウルきているのですが……

「おれも読み直してみたら涙が出てきちゃったよ。自分で書いたものに泣いちゃうなんておかしいよね。でも百田さんも自分の作品に感動できなかったら読んでくれた人だって感動できへんやろ、それでいいんや、っていうからそれでいいよな(笑)」

畠山先生もそんなふうにおっしゃる。畠山先生は百田尚樹先生の親友でらっしゃって、今回も帯に推薦の言葉をいただいてるんですが、百田先生も「泣いてもうた!」と言ってくださってますので、全方位的に関係者が泣いてしまってるという、おそるべき本、と言えるかと思います(笑)。

そんなわけで、ぜひみなさま。お手に取ってみてください!
そしてぜひ皆様の『おけら長屋』の御贔屓を見つけてください!

(むとう)