【ご開帳情報】所沢・金乗院の千手観音さん、33年に一度のご開帳!

行基菩薩創建との由来のある古刹・金乗院(放光寺)@所沢のご本尊・千手観音菩薩像が、33年ぶりのご開帳だそうです!
4/29~5/1の3日間だけ!

関東でも、行基さんの名前が絡んでくるような古いお寺さんには、平安初期くらいのお像が伝わっていますね。
今回のお像は、地方仏師によるもののようですが、鉈彫りだったりしないかなあ。
手元の図録やら本やら見ても、お像の写真、掲載されてません!
ううむ、本当にきっちりかっちり秘仏です。
関東近郊の方、これは必見ですよ~!
私も30日にどうにかいけたらいいな、と調整中です!

■東京新聞の記事

■所沢市の記事

謎多き仏像大集合!!神仏探偵が推理する日本文化の真相とは?!『ミステリーな仏像』/本田不二雄著(駒草出版)

私は、物心ついてからずっと、我ながらちょっと不思議なほど仏像に惹かれてしまっていて、時間があるとブツタビに出てしまいます。よく考えたら、飽きっぽい私が唯一ずっと続けていることかもしれません。それぐらい仏像は私にとって、格別に大切なものなのです。

なんでこんなに仏像に惹かれてしまうのかというと、私にとって仏像は、「歴史と日本文化の結節点」だからなんです。
なぜその仏像がそこにあるのかーーなぜ、いつ、だれがその仏像を作ったのかを考えると、たとえそこが今は野原のような場所であっても、かつてその仏像がつくられた時代に、仏像をつくれるだけの文化が花開いていたということを、想像できます。
そして、このお像がここにあるということは、誰かが一生懸命守り祀ってきたということです。まさに「文化の結晶」、さらには「こころや願いの結晶」とも言えますよね。

私はそんなことを考えるのが堪らなく好きなのです。
そして、その仏像を通じて、同じようにこの仏像を拝観していたであろう歴史上の有名無名の人々と、繋がるような気がするんです。その瞬間、私は時空を越えるのです。

ーーさて。ちょっと自分の思いを語り過ぎましたが(照)、そんな私にとって、まさに尊敬するセンパイ、「神仏探偵」こと、本田不二雄さんが満を持して新刊を上梓されました!!

『ミステリーな仏像』、そのタイトル通り、ルールだけではどうしても解けない謎を秘めた仏像が、全国からなんと120体も、しかもオールカラーで掲載されていますよ~~!!

この驚きのラインナップは、仏像好きの人であったら、「え!こんな仏像があったなんて知らなかった!」と夢中になってしまうと思いますし、もし仏像はそんなに知らないけどちょっと興味がある、と言う人であれば、その仏像の多様なお姿にびっくりしてしまうんじゃないかと思います。

がりがりに痩せおとろえ、まるでミイラみたいな仏。
体内に臓器だけでなく、骨格まで入っている仏。
生きている木「生木」に彫られた仏。
目が彫られていない仏……。

なぜそんなことに……?
自由過ぎる~!

これぞ、日本!!

そう。
これこそが、日本なのです!!

こんなにいろんな種類の仏像がある、ということは仏教、と言うよりも、日本で独自に発達した「日本仏教」ならではの特徴なんです。
たとえば、上座部仏教の中心地の一つ・ミャンマーに行くと、とにかく仏像はたくさん祀られています。しかし、そのお像は、釈迦如来がほとんどで、材質もスタイルもそれほどバリエーションはないんです。

なぜこれほどの多様性を持つことになったかというと、日本では〔仏〕と〔神〕が、どちらかを排除してしまうということにならず、共存共栄したからといえるでしょう。

本田さんは「神仏探偵」と称されていますが、まさにその日本の特性を踏まえておられるんだ、と思います。「仏探偵」では、片手落ちなのです、「神仏」でないと。

本田さんは、本書でその多様で複雑で謎に満ちた「仏像」を捜査し、摑んだ手がかりからその謎を推理してみせてくれます。なるほど、そういうことなのかあ、と思わず膝を打ちっぱなし。厳密に積み上げていかれる研究者の皆さんにはなかなかできない領域まで踏み込んでおられると思います。いくつかの点を想像力で補って、ひとつの物語を紡いでみる……。これぞ、プロの書き手の理想的な仕事なんじゃないか、と思います。
いいなあ。私もいつかそんな文章を書いてみたいです。

そして、本書を拝読すると、とにかく旅に出たくなります。
各地にそれぞれ個性的で、歴史の塊をその身に隠したような仏像が、こんなにもたくさんある……

何と日本は豊かなんでしょう。

本田さんのご本を拝見してますと、そんな気持ちでいっぱいになります。本書を私はこれからも何度も拝読するでしょう。
あ、それから、本田さんのその前のご本『へんな仏像』も。ですね!

皆さんも、ぜひお手に取ってみてくださいね~!
絶対観に行きたくなりますよ~!

(むとう)

【2015会津旅】③復元・慧日寺跡で妄想。そして徳一さんのお墓「徳一廟」へ

さてさて、徳一さんに思いをはせつつ、金堂(復元)を出ましてぐるっと回ってみましょう。

金堂の裏手には講堂跡がありまして…

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こんなかんじです。
柱跡によって示されてますので、後は妄想力で98%カバーしましょう。
この講堂の奥には食堂(じきどう)がありますが、そばまで行かなくてもいいかな~と思って、遠方から眺めるにとどめました。そして講堂の右手には仏堂跡があります。碑が建てられておりまして、遠目で見ますと鶴石亀石、みたいな様相を呈しておりまして、なんとなくお庭っぽい、

なかなか妄想力全開にしましても、往時の姿を想像するのは困難ではありますが、金堂があり、講堂、食堂、仏堂があるというのは、とにかく簡単に言えば大伽藍です。しかも、この復元されているところは、中心部ではありますが、全体を見たらほんの一部なんだそうで、

「磐梯山の山体の西側には、より古い火山である猫魔火山の外輪山をなす猫魔ヶ岳、厩嶽山・古城ヶ峰など1000メートルを超す山々が連なっています。恵日寺の伽藍はこれらの山々の南斜面に広く展開していたようですが、往時の広がりはいまだ明確に計り知れておらず、山中にはまだまだ多くの建物跡が埋もれていいると思われます」(磐梯町資料『史跡慧日寺跡』より引用)

だそうですよ!
想像を絶する規模の巨大仏教センターが、この磐梯山山ろくに展開していたということですね。

そして、いよいよ今回私がどうしても慧日寺にきてみたかった理由の場所を、拝観しにまいりましょう。

おほほほ、こちらですわよ~。
そうです、私は「徳一廟」、つまり、徳一さんのお墓にお参りしたかったのです。徳一さんのお墓はこの史跡から少し歩く場所にあるようで、ゲートがありますね、どれどれ……。

……と。
んんん???
aidsu3これまでも、実は看板が随所にありまして、でもあまり気にしなかったんですけど、ここまで何度も書かれてますと、さすがに気になります。クマとハチに注意しろと!??

うううむ。

根がビビりな私の足は止まりました。

何しろ、この史跡跡に入場してから、受付のおねえさま方以外の人類にお目にかかっておりません。けっこうしつこく一時間くらいこの場所にいたのに、です。
つまり、圧倒的に、人の気配より自然物の気配のほうが濃厚です。

やだなあ、クマ。間違いなくこの辺熊いるよ、わかるよ、なんとなく。

しかし、ここでお墓参りしないってのは、あまりにも悲しい。
勇気を振り絞って、観に行くことにしました。いざとなったらどうにもなりませんので、いざとなりませんように、とお祈りしつつ前へと進みます。

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おおお!ありました!
あれが、徳一さんのお墓の覆い屋です!!

このなかに、徳一さんのお墓だと伝わる石塔が安置されているのです。
それにしましても、ずっと蜂の羽音がぶんぶん言ってます。ううう、こわいよう。

ビビりながらも、まず、正面で手を合わせお参。そしてちょっと失礼して中を覗いてみますと……

aidsu7ありました!
こちらが徳一さんのお墓だと伝わる石塔(五重層塔)です。

ちょっとイシブ的な見方になっちゃいますが、なるほど、これは古様です。屋根の軒ぞりがゆるやかで、大らかな感じがします。たしかにこれは平安時代までさかのぼりそうな趣きです。

この塔、積雪で倒壊したことがあったそうで、その際に二重目から土師器の甕(かめ)が発見されたそうです。資料が見つけられなかったのですが、中には何か入っていたんでしょうか。ひょっとして徳一さんの舎利(遺骨)が入っていたんでしょうか。
ちなみに、徳一さんのお墓と伝わるところは、実はここだけではありません。分骨しておまつりしたのかもしれませんね。

(続く)