フランスに渡った仏像たち(ギメ美術館@パリ)

パリには大好きなRが住んでいる
世界で日本美術の収集で有名なところはいくつかありますが、とくに有名なのはアメリカのボストン美術館、フランスのギメ美術館ではないでしょうか。特にギメ美術館の仏像コレクションはすごい。数といい、その質といい群を抜いていると思います。

さて。ちょっと話は変わりますが、私には友人Rというのがいます。Rは、主観的に見ても客観的に見てもすごいやつです。
高校時代、はじめて彼女に会ったときから早くも異国の香りがしました。帰国子女じゃないのに、なぜかすでに英語がペラペラでした。ついでにドイツ語も(独学で)勉強してました。
独立心旺盛で、おしゃれで、陽気だけどナイーブで、ダンスが上手で。その時点で「Rは日本に収まらないなあ」と周囲の友人はみんな感じていたと思います。そして、その予感は現実になりました。

彼女はカナダの大学院などで国際紛争の勉強をし、卒業してからNGOに所属して、紛争地や災害地を援助のため駆け巡っていました。
たまに電話がかかってくると、「R!いまどこにいるのー!?」と聞くのが通例で。
「いまナミビア!」
…ナミビア?ってどこだ!?電話を切った後に、地図を見たり、ネットで調べたりして、半端ない状況であることを確認してめまいを起こしたりしていました。 すごいです。すごいとしか言いようがありません。

さて、そんなRはもちろん男性にもモテモテでしたが、素敵なフランス人男性と結婚し、現在はパリに住んでいます。
私は、長年彼女に会いにパリに行きたいと思いながら、なかなか休みも取れないし、行けずにいましたが、ようやく昨年2週間ほどフランスに行くことができました。Rと会えたのは多分4年ぶりくらいでした。

高台からみたパリ市内。遠くにエッフェル塔が見えます。

ギメ美術館の勢至菩薩に会いたい!
パリに来たのは何と15年ぶりでした!前回と違うのは友人Rが生活している町になっている、という点。以前は完ぺきに通りすがりの観光客ですけど、今回は、Rの町に遊びに行く、と。これはだいぶ心もちがちがいますね!大人になったなあ、私(笑)。
Rのおうちに泊めてもらいながら、パリをふらふら。いやあ、最高でした!

街角。どこをとっても重厚で美しいですね。

パリは街も素晴らしいですけど、やっぱり美術館がすごすぎますよね。今回も、再び美術館巡りをしたいと思ってました。その中でも、ギメ美術館は絶対行きたい!と思ってたんです。

というのも。
以前勤めていた会社では、仏像の本やカレンダーなども担当してたのですが、そのカレンダーで一度、ギメ美術館所蔵の仏像を掲載したことがありました。
そのお像が素晴らしくてですね~~。
勢至菩薩なのですが、もともと法隆寺の金堂・西の間にあった阿弥陀三尊像のうちの一尊でね。明治の廃仏毀釈の時に、海外に流出してしまったものです。鎌倉時代の金銅仏で、そりゃもう美しいお像でした。

(P713に掲載されています!ぜひご覧くださいまし)

そんなご縁で、ぜひともお会いしたい、と思っていたのですね。

(続く)

仏像holicになった理由~世界は広く深く~

それぞれに名前がある、と知る
子どもの頃の私には、植物も動物もまったく同じように見えて、同じように名前を付けて話しかけたりしてました。名前を付けて呼びかける木や花は、人間の友達と一緒なのです。

ある日、きれいだなあ、と思っていた花の名前を教えてくれたお爺ちゃんがいました。その花は「ユキノシタ」という名前でした。私は「シロさん」と呼んでましたが、断然「ユキノシタ」という名前が似合ってます。透明感のある白さといい、地面に近いところに遠慮深く咲く感じといい、まさに「雪ノ下」ってかんじ。

同じように、いつもおやつをくれるお寺のお坊さんが、いつも見ている丸い頭の仏像が、お地蔵さんという名前だと教えてくれました。丸い頭でちょっと地味だけど、親しみやすそうな雰囲気が、なるほど「ジゾー」って感じだなあ、と思ってすぐに覚えました。

一度覚えますと、ほかの場所にその「ユキノシタ」や「ジゾー」がないか探してしまいます。あ、また居た、またあった!
それまでひと固まりだった世界が、一つ一つ独立した存在として視界に入ってくるような感覚です。世界はどんどん広く深くなっていきます。

……そんな中に仏像という存在もあった、って感じでしょうか。だからよくわからないけど、仏像の名前はたくさん覚えました。雰囲気で見分けられるようにもなりました。植物を見分けるように。

さらに世界は広がっていく

大人になって、少し知識も入ってきますと、自分の中にまた新しい「フック」ができていきます。

多くの文化人が仏像についてエッセイを残しています。仏像に「はまる」と、旅に出る→文章を書く、ということをしたくなるのかも。私はこんな本を読んで、さらにまたあこがれを強くしたのでした。

たとえば、「願成就院の仏像を作ったという運慶作の仏像ってほかにもあるのかな?」と調べていろいろ見に行ったりしますね。 また、知識が入ってきてようやくそのすごさがわかるものもあります。たとえば、奈良の大仏さんは、私にとってまさにそうでした。

ものすごく大きい!という意味ですごいなあ、と思ってましたが、あまりにも観光地化していて、自分の中では「俗っぽいなあ」なんて思ってしまってたんです。それに創建当初のものではなく江戸時代のものであるということも、古い仏像が好きな私にとっては、正直言ってあまりそそらないなあ、という感じだったんですね。

でも、大人になってから、そもそもあれだけ大きい銅製の仏像をつくることがいかに大変か、ということを知りました。さらに、何度も燃えてしまい、そのたびに建て直されたということが、「奇跡」のようなことだったことも知りました。その大事業を命をかけてやり遂げた人たちがいたから、あの大仏さんを私たちが見ることができるんだなあ、と気付いたのですね。

そして、仏像holicになりました。
こんなふうに、観て「おー!」と感動して、知って「ほお~」と感心して……を繰り返しているうちに、見事に仏像ループにはまりこみました。
なかなか抜け出せない無限ループです(笑)。

有名な仏像でもまだ拝観してないものもたくさんありますし、無名の仏像まで入れたら無限といってもいいでしょう。おまけに「好き!」と思ったら何度も会いたくなるのが人情ってもんです。新規開拓もしたいけど、リピートもしたい、となるわけですよね。

いや~、困った困った!
でも、この果てしない感じが、またよいのです。

私はどんどん歳をとっていきますが、仏像はほとんど変わりません。
変わっていない仏像を観て安心したり、その仏像を観て、自分の感じ方が変わっていることに気づいたりするのがまたよいのですね~。

こうして、ブツタビしたくなっちゃうんですよね。ほんと、無限ループです。
きっと死ぬまでこのループからは逃れられないんじゃないかと思います(笑)。
楽しい苦しみです。

そんなわけで、また、ブツタビに出かけますよ~!
次は、どこに行こうかな…。

(おわり)

仏像holicになった理由ーブツタビのルーツを追え!ー

あなたが一番好きな仏像は?
仏像好きなんですよ~、というと、一番好きな仏像は?と聞かれることが多いです。この質問が一番困るんですよね!、って仏像好きな人はみんな言うと思うんですが。 数え出したらきりがないですものね~~。
#でもこういう話題は多分すべての仏像好きは好きだと思う。「困る~」とか言いながら頬はゆるんで目じりは下がっているはず(笑)。

私も、なかなか上げずらいのですが、うんうん唸りながら、…渡岸寺の十一面観音(滋賀県)さんをあげます…
渡岸寺の十一面観音さんは、白州正子さんはじめ多くの文化人が褒め称えている、あまりにも有名な仏像。まさに問答無用のお像です。
私がこのお像に初めて出会ったのは20歳の夏。それまでも、何冊かの本で存在だけは知ってたんですけど、みうらじゅんさん・いとうさいこうさんの名著『秘見仏記』を読んで、こりゃあ絶対行かなくちゃ!と思ったんですよね。

「見仏記」に続く第二弾。私にとってはシリーズの中で最も大切な一冊。

んで、実際見て。その美しかったこと!!!
私は、今もその時のブツトモ(仏友)Mと交わした会話まで記憶しています。自分がノートに興奮して書きつづった内容すらなんとなく覚えてるくらい。とにかく、あまりにも強烈に美しい存在と出会ってしまったのです。

「ブツタビ」のルーツ
この旅こそまさに、私にとって「ブツタビ」のルーツなんじゃないかと思います。それまでも展覧会があったら行くし、近所の仏像はよく見に行ってましたが、「仏像を見るために遠くまで旅をするという行動=ブツタビ」を始めてやったエポックメイキング的な出来事でした。その時に出会った十一面観音さんに会いたくて、その後、2年に一度はこのお像を訪ねて滋賀県高月町を訪れるようになりました。そういう意味でものすごく私にとって大切な仏像です。

…いや、まてよ。
ブツタビのルーツといえば、…最も影響を受けたという意味では小学三年の時に出会った、伊豆の願成就院か?!
そうだ、そうです。ルーツといえばこれかもしれません。

実は、私の父親の一族は箱根から伊豆半島にかけて分布してまして、伊豆の真ん中へんには一番お世話になった伯母の家があります。
夏になるとその伯母の家で夏休みを過ごしていたのですが、ある日、私が仏像好きだと知った伯母が連れて行ってくれたのがこの願成就院なんです。伯母の家から車で20分くらい。源頼朝・北条政子ゆかりのお寺です。

とはいっても、こじんまりとした街のお寺といった雰囲気。建物は鉄筋コンクリート製。重たい扉を開けて薄暗い庫内に入った時、その仏像たちの姿が浮かび上がりました。

「うわ!」
子ども心に「息をのんだ」のを覚えています。めちゃくちゃかっこいい仏像が所狭しと並んでいたのです。

当時は知る由もありませんでしたが、私が度肝を抜かれるのも当然といえば当然。
こちらのお像は、あの運慶が造像した仏像たちだったのです。
運慶さんは、今から800年ほど前(鎌倉時代)の仏師。一言で言うと「天才」ですね。奈良仏師・慶派の棟梁の息子として生まれ、東大寺・興福寺などでも活躍した人です。

当時、仏像の知識なんて全然なかったですけど、このお像たちがずば抜けてかっこいいことはすぐにわかりました。理屈じゃないですね。
それ以来、夏休みに伯母の家を訪ねては、伯母にねだってこのお寺に連れて行ってもらいました。自力ではありませんが、これもブツタビのルーツといってもいいかもしれません。

木や空や海が美しいように、美しい
子どもの私にとって、仏像はどんな存在だったんでしょうか。
後付け理由みたいになってしまいますが、当時の私からしたらそれは美しい木や空や海と同じような存在だったと思います。

木の名前も知らないし、海も空も名前はありません。でも、美しい。それだけは変わらぬ事実としてそこにあります。本当にすごい仏像は、たぶんその領域にあるものなんじゃないかな、と思うんです。だから理屈じゃなく反応した、と。

すごい仏像には、とても人の手で作られたとは思えないような「気配」があります。ある仏師のかたが『木の中にある仏さんをほりおこすんです。木の中にもう仏さんはいらっしゃるから』と言っておられましたが、なるほど、そういうことかと思います。

仏像というのは、世界の真理を表す仏さんの姿を現したものですから、自然が美しいように美しいんでしょう。…特に私は日本のアニミズム的な世界観の中から仏像を見ていると思います。ですからなおのこと、木や山、空のように感じるのかもしれません。

(続く)