歴史の本との幸福な出会い
世代的なこともあるかもしれない。地域的なこともひょっとしたらあるかもしれない。でも、私の限られた体験の中で、大きなエポックメーキングと思っているのは、網野善彦さんの著作との出会いだった。
子供のころから、歴史的な物語が大好きだった。隣の席の男の子の名前は覚えられなくても、古代の王族の名前なら覚えられた。その傾向は高校生になっても続く。 読む本は、古典を現代語訳したものや、神話や民話が多かった。ある日、ふと気付いたのは、「生きている作家」の本をほとんど読んだことがない、という事実だった。これには我ながらちょっと引いた。いくらなんでもそれはないでしょう。
そこでたまたま、手に取った本が、隆慶一郎さんの歴史小説だった。女子高生なのに我ながら渋いセレクトである。もう、おわかりだろう。そしてその次に進んだのが、網野善彦さんの『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(平凡社)だった。
私はこの本と出会い、視界が開けて、世界がパーっと明るくなったような気がした。 「そうだよね!中世にもやっぱりいろんな人がいろんな生き方をしてたんだよね!」 そう一人合点して、一人舞い上がった。当時、周囲から浮いてしまう自分に悩んでいた私は、「いろいろいて、それが豊かなんだ。」そう思わせてくれたこの本に、心から感謝した。 今読むと、必ずしもそういうことが書いてあるわけじゃないんだけど、読者は自分に引き寄せて読むから、それでいいんだろう(と思いたい)。
この本との出会いが、今思えば私の「レキベン的体験」の始まりだった。 きっと勝手な読み方をしている。場合によっては思い込みで間違えているかもしれない。でも、歴史家の本を読んだその時間だけは、一瞬今の時間から解き放たれて、とても幸せな気持ちになれるのである。その瞬間を私は愛してやまない。
だから、一生懸命歴史の本を読む。そして時に現地を訪ねる。時に講演会を聞きに行く。歴史小説や時代小説も漫画もできるだけ読みたい。何かを気づかせてもらえるかもしれない。
「レキベン」は「歴史をいつまでも勉強する」の略だ。いつまでたっても勉強は終わらない。終わらないことが嬉しい。死ぬまでずっと勉強できるなんて、やっぱり幸せなことだなあと思う。
むとういくこ拝