「えらい人たち」、ことを成し遂げた年齢と寿命にビビる

 

そんなに早く亡くなってたの??!
偉人の年齢や寿命を改めてみていくと、かなりびっくりします。
例えば、織田信長は49歳のとき、本能寺の変で亡くなりました。当時の49歳はそんなに若くないかもしれませんけど、かたや徳川家康は75歳まで生きていますから、やっぱりちょっと若いような気がします。
49歳といえば、上杉謙信も49歳で亡くなりました。ライバルだった武田信玄は53歳。
戦国時代の武将の没年を見ると、50前後から60前後が多いので、当時の平均的な寿命からしてもそのくらいだったのかもしれませんが、自分の来し方に当てはめて考えると、昔の人ってめちゃくちゃ濃厚な一年だったような気がします。歴史に残るような偉人と自分を比べちゃいけないけど、やっぱりすごいなあ、というのが自分がその年齢になってみると実感を伴って分かるような気がしますね。

織田信長の人生で見てみると、
桶狭間の戦いのときなんと26歳!上洛したとき34歳!右大臣になったのが43歳!!!
かたやわたくし26歳の時、編集になって3年目で仕事でいっぱいでよく愚痴ってました。34歳の時、二社目の出版社で仕事でいっぱいいっぱいになって一人寂しく深夜残業してました…。わあ、小さ!!!

実際、同じ人間として彼の人生を見てみると、ほんとに半端ないですよね。ずーっと戦ってます。気の緩む隙など一部もありません。
そしてそんなに忙しいのに、ちゃんと子供も作ってます。正妻以外に10人もの女性を側室に迎えてます。なんてマメなんでしょう!

天下人で、女性にマメといえば、天智天皇(後宮の女性が多かったので勝手にそう連想してしまった)。大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、そういえばどんなかんじでしょう。
まず、蘇我家を滅亡させた乙巳の変の時、なんと19歳!
そのあとの大化の改新の時、20歳!
新羅と戦って大敗した白村江の戦い後、都を近江に移して即位したとき37歳。
そして亡くなったのは46歳だそうです。

え、えええ~~!
37歳って、とっくに通り過ぎた年齢ですやん!

…個人的に衝撃走りました。

世界の偉人も調べてみる
こうなってくると、世界のほうもちょっと気になります。

世界の偉人といえば、そうです!イエス=キリストさん!
磔になった時は34歳か37歳だったみたい。若い!!
しかも、それで類推すると、実際に宣教した期間は多くても3年ほどだったんですって。信じられません。そんなに短期間での教えが、2000年もの間人々に信仰されてきたんですから、まさに奇跡です。

この方向での偉人といえば、イスラム教の開祖ムハンマドは享年62。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは80歳で亡くなっています。

ちなみに、ムハンマドが啓示をうけたの40歳頃。シッダールタが出家したのが29歳で、悟りを開いたのが35歳の時です。
わあ~~~!ほとんどすべて過ぎ去ってる~~~!

いや、こんなすごい人たちと比べたった意味ないことは重々わかってますよ。でもやっぱり比べちゃうわけですよ。

逆に長生きだった偉人たち
若くしてことをなしたことにビビってるばかりでは、あれですので、逆にめちゃくちゃな長生きで、大器晩成な偉人かいないかな、ということでちょっと見てみましょう。

まず一番最初に挙がるのは、北条早雲ですね。
北条早雲が、一般的に歴史の中に表れてきたとされている駿河の国下向が、44歳の時。
戦国時代の下剋上の先鞭、嚆矢と言われる伊豆討ち入りが、61歳。
相模の国を平定したのがなんと86歳。そして88歳で亡くなりました。
(とはいえ、最近では疑問を呈している研究者もいるとのことですが^^;)

それから、鎌倉時代の高僧、重源上人も長生き。
重源さんは、東大寺大仏殿再建の責任者になった時、すでに61歳。そしてやり遂げて85歳で亡くなってます。これもすごい話ですよね。

あと、何気にめちゃくちゃ長生きしてるのが、真田信之。有名な真田幸村のお兄さんですね。なんとなくなったの93歳ですって!
信之は大器晩成というよりも、若いころからできる人だったと思いますが、派手な父親と弟に少々隠れがちですよね。それにしても93歳とは驚きました。

それから、信之と比べてしまうとあれですけど、徳川家康も75歳と長命でした。
彼の場合を見ていると、あの過酷な環境と試練の連続の中、それでも生き延びて、生き抜いて、最後につかみ取った天下だったという感じがしますよね。対して秀吉は61歳で亡くなっていますが、もしあと10年秀吉が長生きしていたら、家康に天下はまわってこなかったでしょう。
長命も才能のうち。これも中国風に言えば天命なんでしょうね。

それにしましても。
この記事を書いていて、凡人なワタクシは、ため息のつきっぱなしでありました。どっちにしてもまじめにコツコツ生きていこーっと。というのが私のささやかな決意なのでした。

歴史上の人物勝手にベストテン!「人としてすごいですよねベスト10」

今日はいいお天気ですね~~。
いかがお過ごしでしょうか。
私は確定申告(大の苦手)が終わったので、身も心も晴れ晴れとした気持ちでいっぱいです。

そんなわけで、今回は晴れ晴れと、さらに個人的な思いを込めたベスト10をお送りしますよ~~。

人としてすごいですよねベスト10
その人格、業績から言って、人としてすごいなあ、尊敬しちゃうなあ、という人たちを10人考えてみました。このお方たちです!

■行基(ぎょうき)
■鑑真(がんじん)
■空海(くうかい)
■藤原清衡(ふじわらのきよひら)
■法然(ほうねん)
■叡尊(えいそん)
■重源(ちょうげん)
■保科正之(ほしなまさゆき)
■公慶(こうけい)
■上杉鷹山(うえすぎようざん)
■西郷隆盛(さいごうたかもり)

私は、「自分のためでなく、誰かのためや信念のために一生をかけて生き抜いた人」というのが大好きです。このベスト10に上がっている人たちは、全部それに当てはまります。 #お坊さんが多くなっちゃうのはご愛嬌、ということで^^;。

古代から平安時代のすごいお方たち
さて、ちょっとだけ、この方たちの補足説明を、ば。

行基さんは、ご存じない方もいるのかな?
奈良時代、8世紀ごろのお坊さんです。渡来系の血筋に生まれた人で、貧しい生まれのひとでしたが、とても優秀な人だったみたい。民間で活動した人で、土木技術などを駆使して、貧しい人たちが生活できるように、お寺はもちろんのこと、ため池などの灌漑施設や橋などをたくさん建立しました。実は、聖武天皇が東大寺を建立できたのも、行基さんの協力あってのことなんです。

鑑真さんは、皆さんもよくご存知ですね。8世紀ごろ日本側に請われて、日本へやってきたお坊さんです。なんと5回も失敗したのに、それでもあきらめず6回目に日本へ到着し、多くの日本人に戒を与え、日本仏教の興隆に貢献しました。

空海さんも、これまた皆さんよくご存知ですね。空海さんは元は讃岐のあたりの有力豪族の息子さんでしたが、様々な修行ののち出家し、中国へ留学。そこで、仏教の一派である「真言密教」の正当な法統の継承者となって日本に帰国、密教を伝えました。

藤原清衡さんは、奥州藤原氏の祖。平泉の中尊寺などを建立したあの奥州藤原氏です。
この人は、まあ、苦労人なんですよね~~。
幼いころに実父を殺され、その殺した人がお母さんと結婚したため義父となり、育てられました。そんな状態ですから、どう考えても快適な生活ではなかったことは想像に難くありません。さらに、その義父が死んだあと家督争いに巻き込まれ、異母弟に、妻子を殺されてしまいます。そんな地獄のような状態から、這い上がり、ついには平泉に都のように立派な街を作り上げ、その後100年余り続く、奥州の繁栄を作り出しました。

法然さんも、皆さんご存知ですよね。法然さんは平安末期から鎌倉期のお坊さん。地方豪族の息子として生まれますが、子供のころ父親を殺され、お寺に預けられます。そこで、素晴らしく優秀だったので、比叡山に入山し、当時最高のお坊さんたちに次々と教えを受け得度。つまり当時の仏教界では超エリートです。
当時、実は「学問を修める場所は、お寺」だったので、比叡山延暦寺は今でいうと東大みたいな場所です。なので、東大をスキップしてさらに首席で卒業、って感じでしょうか。「智慧第一の法然房」と呼ばれたそうです。しかし、そのあと様々な矛盾を感じて、山を下り、43歳にして「専修念仏」を掲げ、浄土宗を開きました。

叡尊さん。この方は、皆さんご存知ないかなあ。ついこないだ石部のほうでもご紹介しましたが、叡尊さんは、鎌倉時代中期のお坊さん。もともと重源さんと同様に京都醍醐寺、高野山で密教を学んだ人。でもそれだけでは飽き足らず、西大寺で律宗を研究しました。差別される人、らい病患者、娼婦など、弱い立場の人たちのためにその人生を捧げたひとです。

重源さん。こちらも、石部でもご紹介したばかりですけど、一言でいうと、東大寺を復興させたスーパーお坊さん。

江戸時代から幕末のすごい人たち
保科正之さんは、ぐっと時代は下がりますが、江戸時代初期の政治家。二代将軍秀忠の隠し子なんですが、大変な人格者で経営者としての才も抜群な人でした。ここまでくると思想家だと思います。保科正之の思想が、その後の会津人を作り上げていったわけですね。

公慶さん。この方は皆さんたぶんご存じないだろうなあ。実は私もつい最近まで存じ上げませんでした。江戸時代初期のお坊さんです。
実は、かの東大寺は、戦国時代にも焼かれてしまいました。徳川の世になってもしばらくそのままだったんですが、この公慶さんによって、無事復興されました。私たちがみられる現在の東大寺はこの公慶さんが作ったものなんです。
35歳に復興を発願。その時、願いが成就するまで、横になって寝ないと誓い、57歳で亡くなるまで一度も横になって寝なかったんだそうですよ。まさに信念の人です。

上杉鷹山さん。この方は、江戸中期ごろの米沢藩藩主です。もともと他家から養子に来た人なのですが、経営破たんしていた米沢藩を見事立て直した人。義理人情に厚い人格者です。

そして、何の説明もいらないですよね。西郷隆盛さん。
こんなに無欲な人っていないんじゃないかなあ。ほとんど宗教家と言ってもいい。いや宗教家以上に自欲なし。明治維新後、反政府士族たちに担ぎ上げられ、西南戦争で新政府軍と戦い、自害して果てます。この時も、闘っても負けるだろうとわかっていだでしょうし、そもそも大義がないことはわかってたでしょうけど、反発する青年士族たちの気持ちを受け止め、その気持ちに殉じた、という感じですね。

「大欲は無欲に似たり」
この人たちすべてに共通しているのは、自欲はないんですが「大欲」はあるということです。
自分にとって利益があるか、ということはかなりどうでもよくて、もっと大きな願望(大望)を持って行動しています。国の平和であったり、人々の幸せだったり。
私は、ビビりなうえせこい人間なので、なかなかそのような大きな視野を持って行動できていません。なので、こういう人がいる(た)んだ!と知ると、ものすごく感動してしまうんですよね。
もちろん今回ご紹介できなかったけど、すごい人というのは本当にたくさんいます。
そういうすごい人がいたんだ、と知りたいがために私は歴史を知りたいんですね。そんな「宝物」と出会えた時、本当に幸せな気持ちになります。

ぜひ、皆さんの「人としてすごいよね!」という人物、教えてくださいね!

 

 

歴史上の人物勝手にベスト10!「かっこいい戦国武将ベスト10」

現在、戦国武将ブームらしいです
さて、今回は、「かっこいい戦国武将」を勝手にあげてみたいと思います。

前回予告では「武将」としましたが、そうするとあまりにもたくさんいるので、「戦国武将」と区切ることにしました。

戦国時代は、ファンもとても多いので、皆さんそれぞれの思い入れがおありと思います。
特に最近では、戦国武将ゲームの人気もあり「戦国ブーム」なんですって。

世の中の戦国武将の人気どうなってるかなあ、と思って調べたら、ぴあで戦国武将特集をやってました。イベントなんかもたくさんあるんですね。知らなかった!

このページのランキングで見ますとこんな感じ。
1位 真田幸村
2位 伊達正宗
3位 前田慶次
4位 織田信長
5位 上杉謙信
6位 直江兼続
7位 石田三成
8位 片倉小十郎景綱
9位 長曾我部元親
10位 明智光秀

こうしてみますと、やっぱりゲームの影響が大きいですよね。
それからゲームもそうですけど、小説や漫画などに取り上げられている人物はより上位に来ているように思います。真田幸村、前田慶次あたりはまさにそうですよね。私も大好きな人物ですが、その実像は実はよく知らなくて、隆慶一郎さんの小説で知っている、って感じですもの。いや、でも、歴史上の人物って、やっぱり誰かに紹介されないとなかなか知る機会がないですものね。創作世界で出会う、というのが当然といえば当然ですね。

そして勝手に「かっこいい戦国武将ベストテン」!
さあ、それでは私も、小説などから得た勝手な思い込み90パーセントの個人的ベストテンをご紹介したいと思います。基準は『私がかっこいいと思うかどうか!』。順不同です。

伊達政宗
本多忠勝
島左近
前田利家
大谷吉継
支倉常長
竹中半兵衛
直江兼続
上杉謙信
徳川家康

悩みましたけども、こんな10人ですね~~~。
伊達政宗は、幼いころから死ぬまでの間、意地を通した、って感じがして好きなんです。戦上手だし、文化的センスも素晴らしい。でもよく言われますけど、生まれてくるのが20年遅かったってやつですね。

本多忠勝は、その勇猛果敢な武将っぷりがたまらなく好きですね。まさに「猛将」。ひょっとしたら私の中ではこの人がナンバーワンといってもいいかも、ってくらい好き。本当に強い武将です。

島左近も、いいですよね~。この人は智将であったとも思いますが、やはり義に生きた猛将というのがふさわしいかな。最後に関が原で討ち死にしたんですけど(諸説あり)、その時のまるで鬼神のような獅子奮迅の恐ろしさに、闘った黒田長政軍の兵士たちは後年まで悪夢を見た、と言われてます。

前田利家も、若いころは猛将です。後年のふるまいから穏やかなイメージが先に来ますけど、若いころは傾き者で有名で、直情型の武闘派だったようですね。さらに当時としては大変な長身で(180㎝)、信長の愛人でもあったそうですよ(加賀藩の資料に信長本人が披露していることが記されてるそうでので本当のことらしい)。

大谷吉継は、「智将」ですね。秀吉の下で数々の功績をあげますが、大変な病(らい病といわれます)のため、一時職を辞しますが秀吉はそれを惜しんで離さなかったといいます。人柄もとても優れていたと伝わっていますが、彼が「義にあつい」とされたのは石田光成との関係。敗けると分かっていたけど、三成のために西軍に味方し、最終的に自害して果てました。

支倉常長は、慶長遣欧使節団の正使だった人。「かっこいい武将ベストテンなのに?」と思う方も多いと思いますが、この人はもともと武将として功績があった人。で、おそらくその意志の強さとか、ハッタリ効く感じとかそういうことから、伊達政宗に抜擢されたんはないかと思うんです。だって、この役割半端なくきついですもの!

竹中半兵衛は、もう何も言わなくていいですよね。智将といえばこの人、って感じですよね。

直江兼続も、はいはいはい、とうなずいてくれる人は多いことでしょう。私の場合、小説なんかでの兼続さん像で惚れ込んだタイプ。義に厚く、頭のいい、教養のある智将ってかんじですね。

上杉謙信。実は武田信玄と迷いました。信玄さんはうちの先祖ゆかりの人でちょっと特別な思い入れがあるのです。でも、上杉謙信のほうが、その矛盾の抱え方とかが逆に人間らしくて好きかなあ、という感じでこちらに一票w。武将としてはもちろん一級の人ですよね。

最後に、徳川家康。ほんと、迷いました。でもこの人はやっぱり武将としてもすごいです。同時代の人からも「海道一の弓取り」と呼ばれたのは伊達じゃない。また、結構知られてないかもですが、一人の武人としてもとても優れていました。剣術・弓術・馬術・砲術などあらゆる武術で一級の腕前だったそうです。何はともあれ、信じられないほどの数の合戦を生き残って天下を取ったというのはやっぱりすごいですよね。

こうして自分が挙げたかっこいい武将を見てみますと、共通してるのは「義に厚い」という部分ですね。
自分のため、という人よりも、何かのため誰かのために覚悟決めて成し遂げた、って感じの人が好きなんですね~。

皆さんのベストテンはいかがですか??
ぜひ教えてくださいね!

そして次もまたベストテン、続く…^^