file.1  これぞ、端正!/岩船寺五輪塔(京都府)

石部、かなりご無沙汰してました。皆様、お元気でしょうか!?

1月も終盤に差し掛かり、今年初めての更新とは、我ながらいかがなものかと思いますが、気を引き締めてまいりたいと思っておりますので、平にお赦しのほどを…。

「五輪塔」ってなんだ?
さて、今回は『この石ものが好き』サブカテゴリ第一弾をお伝えしたいと思います。栄えある第一弾目は、「五輪塔」ジャンルからのエントリー!

しかし、そもそも五輪塔って何の話?ってことですよね。

五輪塔というのは、石塔の一種。「石塔」というと分かりにくいかもしれませんが、お寺に木造の五重塔とかありますよね。あれは木造の「塔」ですけど、こちらは石造の「塔」だってことなんです。

どうしても、こういう形で石のものを見ると「お墓?」と思ってしまうかもしれませんが、もともとは、お墓というよりも、仏教への帰依心を表すとか、供養をするだとかそういう目的で建てられたものなんだそうですよ。
#もっとも近世以降は、お墓のスタイルとして建てられていることが多いので、お墓、と言っても間違えではないと思います…

前置き長いですが、つまり五輪塔というのは、仏教的石造物であり、信仰の象徴なわけです。
いろんなスタイルの石造物がありますけども、私は、この五輪塔というスタイルがすごく好きなんです。

というのも。
シンプルなデザインですが、宇宙の真理を込めた形で構成されているからなんですね。
土台は「地輪(ちりん)」と呼び、四角形。
軸部は「水輪(すいりん)」と呼び、円形。
笠(屋根)の部分は「火輪(かりん)」と呼び、三角形なのです。
ちなみに、
屋根の中心にある受花という部分は「風輪(ふうりん)」、
受け花の上に載っている宝珠は「空輪(くうりん)」と呼ばれ、ドロップ型。
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このシンプルな形の中に、宇宙を構成すると考えられている「地・水・カ・風・空」の5大要素と、「丸・三角・四角」というすべての根幹になる「形」が表現されてるんですね。

深い!なんか深いですよ!

これぞ、ザ・五輪塔!「岩船寺五輪塔」

岩船寺五輪塔

ちょっと笠と軸部がずれてるな…w

さて、そんな五輪塔ですが、昨年拝見して、いいなあと思ったのがこちら。

京都府加茂町の岩船寺(がんせんじ)にある五輪塔(重文)です。こちらは、典型的な鎌倉時代後期(13世紀くらい?)の五輪塔。きっちりどっしりしてて、端正な感じ。品があってとってもいい!

丸形部分(水輪・軸部)をちょっと見てください。全くの丸形ではないですね。ちょっと上部に重心があって、下のほうがすぼんでます。こういうキュっと切れ上がった水輪は「鎌倉」ならではのかっこよさ。いいですわ~~

私が以前、石大工のN先生に初めて教えていただいたのは、この「水輪がキュッと切れ上がって姿のええもんは、たいがい鎌倉時代のもんや」ということでした。
実際、いろいろ見てみると、この「キュッ」はそんなにたくさんあるもんじゃないんです。なので、この「キュッ」を見たら「鎌倉時代のもんか?」と首をひねって悦に入っても、間違いないかもしれません。ちょっと玄人っぽいですよねw!

ちなみに、岩船寺というお寺は、住所は京都府なんですが、奈良県との県境にありまして、行く場合には奈良駅からバスで行きます。
なので、文化圏としては、京都、というよりは奈良って感じですね。

この辺りは、山の中なんですけど、有名な浄瑠璃寺もあったり、これまた有名な石仏が点在してたりと、やたらいいものが集まった場所です。ハイキングしながら、最高の文化財も見て回れちゃうという、めちゃくちゃ素敵ゾーンなんです!!
そのうちにこのエリアのご紹介もしたいと思います。

イシブカツvol.8③古代に思いをはせつつ…うどんでしめる。

埼玉古墳群、でかい!
さて、大きな板碑を見たらいよいよ。埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)で古墳へゴー!

埼玉古墳群全図。(「ガイドブックさきたま」P2より引用。ピンク字はムトウの補足)

古墳となるとイシブ、とうかレキベンのテーマな感じですけどね。 実はこの埼玉古墳群にあるさきたま史跡の博物館で「原始・古代の職人集団」という講演会があり、それを聴講したい、というの

も今回の大きな目的の一つだったのです。

前回、聴講した栗島先生の講演会「古墳へと運ばれた石」の中で、大きな石を切り出したり、加工する専門的な技術を持った人たち(職能集団)が、縄文時代くらいからいたんだよ、とおっしゃられて、実際石を切り出したであろう集団の古墳の話などをしてくださっていたんです。

それで、ひょっとしたらそんなお話が聞けるかな?と思ってお邪魔したんです!せっかく講演会を聞くなら、やはり全国でも有数の古墳群を見ないわけにはいきません。もちろん、最初にご紹介した八幡山古墳の石室を見るとわかるように、石は重要な素材ですからね。

日本最大の円墳なんですよ~~! 

円墳のなかで日本最大なんですよ!!丸墓山古墳。もっと埼玉県民は誇ってもいいんじゃないかな~~^^;

丸墓山古墳。でかすぎて全体像が全く分かりません^^;。

さて、そんなわけで、まずは丸墓山(まるはかやま)古墳です。 この古墳、円墳(真ん丸な形の古墳)なんですが、何と日本最大なんですよ!! これってすごいことですよ。声を大にして言いたい!!

古墳とかそういうのは関西の方がすごそうじゃないですか。関東は後進国みたいな、ね。でも、必ずしもそうじゃないと思うんですよ。これだけ大きな円墳があるということは、これを作れるだけの文化、それを揺籃する富の集積=権力が、この地にあったということですもん。

「埼玉県民、ここ威張っていいとこだから!!」

説明板に小さく書かれた「日本最大です」の言葉に、石田さんも思わず突っ込んでます。いや、ほんとそうですよ。「日本一」って。それだけで商売になるってのに…(ブツブツ)。

実は、この埼玉古墳群のある行田は先日公開された映画『のぼうの城』の舞台になった場所です。 こちらの丸墓山は、その時に石田三成が水攻めをする際に本陣にしたんだそうです。確かに、周囲は平たいので、この古墳の上に立つと四方が見渡せます。正面に忍(おし)城天守閣も見えて、ばっちりですね。 きっと、これからは戦国武将マニアがたくさん訪れるんだろうなあ。

国宝・金錯銘鉄剣の出土した場所
さて、そんなでかい円墳のお隣にはこれまたでかい前方後円墳がありまして、これが有名な「稲荷山古墳」です。

稲荷山古墳。やっぱり大きすぎてよくわからない写真。

日本史をとってた人は覚えてると思いますが、あの有名な「国宝・金錯銘鉄剣」が出土した場所。 この鉄剣、なんでそんなにすごいかというと、115文字の文字が象嵌されていたんですが、それには、埋葬された年、埋葬された人の名前や略歴が記されていたんです。これは、あの古事記や日本書紀の成立よりも250年もさかのぼるんだそうで、記録としてとっても貴重。

鉄剣エンピツ!絶対つかえない!105円。

250年前って結構昔ですよ。私たちで考えたら江戸時代中期ですもんね。だから、もし日本書紀を作った人がこの鉄剣を見たとしても、おお、そんな昔の記録なんだなあ、と思ったんじゃないかな、と思うんです。ってくらい古い記録です。

ちなみに、その鉄剣は、こんなグッズもありました。もちろん買い! へた字系フォントって感じで味があっていいですよね。だれかこれフォントで作ってくれないかなあ。そしたら買うのに。

さて、そのまた隣にでかい前方後円墳があります。「二子山古墳」です。これもめっちゃでかい。なんか写真載せても意味わからない写真なので、写真はもういいやw。 実はこの古墳は、武蔵野国(現在の東京、埼玉、神奈川県一部)で一番でかい古墳です。全長134メートル。でかいなあ。

なんだか埼玉古墳群、古墳がでかいし出土品もすごいし、なんかも息切れしてきましたよ。だって、この狭いエリアに大小取り混ぜて40基も古墳があったことがわかってるんですって。現在は9基だけが保存されてますが、9基だって十分多い!

さて、最後にもう一基だけご紹介しましょう。

将軍山古墳。展示館があります。

将軍山古墳です。こちらは円墳部分にダイレクトに展示されていて、中に入って復原をみることができますよ。
石室の構造は、前にご紹介した八幡山古墳と同じような感じだったみたいですね。天井は大きな板石が乗ってて。
馬具や鎧など、いかにも武人らしいきらびやかな装飾品がたくさん出土したそうです。とにかくゴージャス。

さて、そんなこんなで、歩き回ってましたらそろそろおなかがすいてきました! イシブカツでは、「地のものを食べる」が基本です。 しかも、ゴージャスなものというよりは、そこに住んでいる人が普段食べているものを食べたいと思ってるんですね。そんなわけで、埼玉の石ものを見て廻ってる間は、当面「うどん」で決まり!

肉汁うどん。

調べてみると埼玉古墳には、埼玉では有名なうどんや『田舎っぺ』の支店があるではないですか。

午前中に、八幡山古墳→真名板板碑→埼玉古墳群をこなした私たちのおなかはぺこぺこ。

定番の肉汁うどんときんぴら、糧(かて)を注文しました!

すごいボリュームですが、一気に完食!美味しい!! こちらのうどんは、とっても正しい武蔵野うどんだと思います。麦粉の香りもいいし、こしもガッツり。うどんのつゆも甘すぎず、カツオだしが効いていて本当においしい! 埼玉古墳に行ったらぜひこちらのうどんを食べてみてください。埼玉以外の人は、おお!?と思うと思う。私もそうですけど、埼玉の人はこういう食べ方をしてるんですよ!当たり前すぎていわないんだけど^^:;。

すっかり満腹になった私たちは、本日の最大イベントの講演にいきました。わくわくしながら行ってみると… あれれ?? なんだか、告知されていた内容とちょっと違うぞ?まじっすか!? 結局、大変失礼ではありますが、途中で失礼していました^^;。ちょっとがっかり。

こうしてイシブカツ8回目は無事に終了。 帰り道に実はもう一基板碑を見ましたが、それはまたの機会にご紹介しますね。いやあ、やりきった!!
(「イシブカツvol.8」終り)

さきたま史跡の博物館・埼玉古墳群
http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/index.php?page_id=157

イシブカツvol.8②そして王道の板碑もね~

朝から、ガツンと石室の美しさにやられた二人。
しかし、その余韻も冷めやらぬまま、今度は中世の板碑の世界へゴー!

真名板薬師堂

行田市内で最も大きいという「真名板薬師堂板碑」をみにきましたよ。想像していたよりもなんだか大きなお寺さん。でも、現在はご住職はおらず、近隣の皆さんで管理してるとのこと。

おお!ありましたありました!
前方にある大きな銀杏の樹の間から覗いています。立派な板碑です。
どーん。
高さは3m51cmもあります!でかい!
紀名は建治元年(1275)といいますから、700年以上前に造られたものですよ。すごいですね~。
ちょっと表面に注目。
上に三つの丸みたいなのがありますが、これは「三弁宝珠」と呼ぶそうです。
仏教では「如意宝珠(にょいほうじゅ)」というめちゃくちゃパワーを持った玉(見た感じ桃みたいな形)があります。「思いのままに願いをかなえる宝の珠」という意味で、よく仏像が持っていたり、単体で祀られたりしています。

この板碑の場合、阿弥陀さんを表す梵字(種子)・キリークが真ん中にどんとあって、上に三弁宝珠が並んでますね。
石田氏のお話では、こうして三弁宝珠を刻むことで、ご本尊の阿弥陀さんを「おごそかに飾り付ける」という意味があるそうです。またこれを「荘厳(しょうごん)」するというんだそうですよ。ほほ~~。
その下の方を見てみると、なんか変なものがありますよ!

中央の左右、磨滅してしまってますが、中央の縦は、「南無阿弥陀佛と書かれていたのがわかります。でもその左右に謎のレリーフ。イラストのように、多分これ、「五輪塔」というスタイルの塔を刻んでるんですけど、なんか屋根の途中が離れてますよ?
たぶん、ここにも何か書かれていたんでしょうけど、まったく今はもう何が何だか…。何が書いてあったんでしょうね?w

そんな話をしていたら、石田さんが「フンフン」と鼻息を荒くしておられます。この「フンフン」はいつも穏やかで優しい石田さんが憤慨されているシグナルなのです。

「なんかさ、…うまかろうってかんじがしてこない?」
そう言って、鋭く種子とその下の蓮台を厳しく見つめています。
「確かにうまいと思う。でも『ほら、こんなにうまく彫れるんだぞ、どうだ』ってかんじじゃない?」
うんうん!
私も激しくうなづきました!わかる~!

そうなんです、すごい上手だと思うけど、なんか「どうじゃ~~」って威圧感があるような気がしちゃうんです。

あれ?気付かなかったけど…

やっぱなんていうんでしょうか。包まれたいっていうか。せっかく極楽浄土に一緒に連れてってもらえるんだったら、優しい阿弥陀さんにお願いしたいな、っていうか。そういう気持ちがあるわけなんですよ。
そう考えてしまう私たちとして、もうちょっと包容力のある空気感のがいいなあ、と思ってしまうわけです。

そんなこんなで、ちょっと落ち着いてみますと…。

なんか横にちっちゃいのがある。めっちゃ小さくて視界に入ってませんでしたが、こちらもなんかよく見るといい感じですよ。

こちらの種子は「バン」、「大日如来」です。
調べてみたら、なんとこちらは1265年に造られたものだそうで、隣の巨大板碑よりもっと古い!ゴメン気付かなくて!

小さいけど、とっても古い板碑。地味ですがなんかしみじみしていいかも。

こうしてみてみると、こちらの板碑のほうが、地味だしそれほど上手ではないかもしれません。でも、優しい感じがして結構好き。
言うなれば。
巨大な方は、「おれは優しいぞ!ついて来い!」と正面から言われてるみたい、こちらはふと気づいたらいつも隣にいて気遣ってくれてた、みたいな。さりげない優しさ、みたいな(考えすぎ)。

いやはや、こうしていろいろ考えたりするわけですよ。
余分なことも、ね(笑)。

(イシブカツvol.8③へ続く)