file.3 般若寺十三重塔(奈良県)

コスモス寺・般若寺
奈良がお好きな方はご存知と思いますが、東大寺の西側のすぐそばに般若寺(はんにゃじ)という古寺があります。
東大寺と比べてしまったら小規模、と言えるかもしれないですが、いえいえ、さにあらず。こちらもまた、鎌倉時代の素晴らしい建造物がたくさん残っている素晴らしいお寺です。

こちらは、「コスモス寺」としても有名で、秋になるとたくさんの妙齢の女性(わたしもですけども)が押し寄せて目を細めています。鮮やかなコスモスが咲き乱れ、美しい建造物が埋もれているような風景。その中を歩きながら少女のように笑い声をあげるおばさまたち……w。
この光景には、こちらにゆかりのお坊さん、叡尊(えいそん)さんもきっと目を細めてうなずかれることでしょう。叡尊さんは女性の幸福を心からお祈りしたような方でしたから…

圧倒的な、「美」!
さて、そんな方面でも十分美しいお寺ですが、こちらは石ものファンにとっても、非常に特別なお寺です。というのも、こちらにある十三重層塔(重文)は、鎌倉時代石造美術界の金字塔・伊行末(いぎょうまつ)が作った石塔だからなのです。

めっちゃかっこいい!!でかい!

めっちゃかっこいい!!でかい!

この石塔は、高さがなんと12・4メートル。国内で二番目に大きな石塔なのです。
ここまで来るともう理屈じゃありません。素晴らしいバランスと、圧倒的な存在感!

さて、こういうスタイルの石塔を「層塔(そうとう)」と呼びます。三重塔や五重塔のように、屋根が何重にかなっている塔です。
こういう塔は、木造の塔と同じような意味と思っていいと思います。中に、仏像や舎利塔を納入していたりして、この塔そのものが祈る対象そのものになります。そういう意味では、東南アジアでよくみられるストゥーパ、パゴダの日本版と考えていいのではないかと。

秋にはこんな風にコスモスに囲まれます。

秋にはこんな風にコスモスに囲まれます。

さて、この塔を作った「伊行末(いぎょうまつ)」さんですけども。

この人は、前回ご紹介した「重源」さんが東大寺復興の際に中国(南宋)から招聘した、宋人石工4人のうちの一人、と言われています。
東大寺の修復はもちろん、重源さんがお金を集まるために各地に作った別所の石壇、室生寺の手前にある大野寺磨崖仏等もこの宋人石工の人たちがかかわっていたそうです。

この四人の中で唯一名前が記されて、現在にも伝わってきているのが「伊行末」さんなのです。おそらく特に優れた才能があったので突出したんでしょう。

かっこよすぎる十三層塔
さて、そんな彼の才能は、この層塔を見れば一目瞭然なのですが、もう少し細かく見ていきましょうか。
hannyaji3

この写真の前方に見えるのは「相輪(そうりん)」です。後方に写っている十三重塔をみてください。屋根の上に細長い棒のようなものが見えますよね。この部分を相輪と呼びますが、この写真に大きく映っているほうが本物で、今後方の屋根の上に据えられているのはレプリカなんだそうです。

hannyaji5それからこちら。屋根の一番下のほうなんですが、四角形の軸部(じくぶ)があります。
軸部は「四方仏(しほうぶつ)といって、東西南北に如来(にょらい)が彫られて(線刻)います。写真は多分、南向きの部分だたと思うので、お釈迦さんです。ちなみに、東は薬師(やくし)さん、西は阿弥陀(あみだ)さん、北は弥勒(みろく)さん。

それにしても、この線刻もよいですね~~~。ちょっと写真だと分かりにくいかもしれませんが、本当に繊細で、かつ安定してる感じがします。

伊行末さんは、ずいぶん若いうちに日本に来たみたいなんですよね。なので、もともと才能はあったかもしれないけど熟練の工人というわけじゃなくて、日本に来てからさらに鍛錬して、日本の美意識をよく理解し、中国の美意識を加えて、素晴らしいものを作り上げた…って感じらしいです。
実際、彼のデザインはものすごいインパクトだったみたいで、この層塔にしても、石灯籠にしても、彼以降は彼のデザインが基本形の一つになっていったんだそうですよ。すごいことですよね。

叡尊さん+伊行末さん、ダブルの味わい十三重層塔この層塔は、そんな伊行末さんの代表作の一つです。圧倒的な美。でも、なんとなく大らかであったかい。非常に男性的な個性を持っていると思います。父性、っていうか。

もちろん、それは伊行末さんの個性でもあったかもしれませんが、この塔を発注した人物・叡尊さんの個性だったかもしれません。

叡尊さんは、西大寺を復興させたお坊さま。律宗の復権を目指し、活動した方で、世代的には重源さんより50年ほど後の方ですが、重源さんと同じように、醍醐寺で僧侶になり、そのあと高野山で学んでいます。

叡尊さんは死後、「興正菩薩」とたたえられた高僧。
差別されている人々、娼婦、らい病患者など、弱い人たちのために、病院を作ったり、生活必需品を支給して、その救済に努めました。それから、女性のための戒壇(正式なお坊さんになるための場所)を設け、女性が正式な僧侶になれるようなシステムも作り上げた方でもあります。

実はこの般若寺も、東大寺が焼き討ちされた時に一緒に被害に遭い、荒廃してたんだそうですが、この叡尊さんたちによって復興されたんだそうです。そして、その時にこの層塔が作られた、ということなんですね。

実は、私、この叡尊さんも大好きなんです!
なので、またこの塔を見ると、伊行末さんと叡尊さんがダブルで味わえるので、二度おいしい?んですよね~。

何度拝しても、気持ちが晴れ晴れしくなる層塔です。
ぜひ皆さんも、東大寺に行かれた折にちょっと足を延ばしてみてください。

 

カワウソの誘惑

写真の整理をしていたら、こんな写真が出てきました。
kawausoのおおおおおお~~~~~~!!!
かわいすぎるう~~~~~~~~!!!!!!

動物公園で彼らの前に行ってしまうと、あんまりかわいいものですから、なかなか立ち去ることができないのです。
カワウソって、本当に「すべて」が可愛いと思います。
顔、全体のフォルム、動作…。ほんとたまらんですよ~~。

ついに「絶滅種」になってしまったニホンカワウソ
ところで、日本人にとっても、カワウソは古来から身近な動物でした。キツネやタヌキと同じく、人をだます妖怪として描かれたりもしてきましたね。
このカワウソは、「ニホンカワウソ」という種類で、昔は全国に生息していたのですが、長らく環境庁のレッドリストで「絶命危惧種」だったものが昨年夏についに「絶滅種」に指定されてしまいました。残念です。
しかし、その後も目撃報告が寄せられているそうで、ひょっとしたら、という研究者もいるそうなので、可能性は低くても、ぜひ生存していてくれたらいいなあと思います。

さて、私たちが動物園で会えるカワウソは「コツメカワウソ」「ユーラシアカワウソ」という種類が多いようです。このほかにも、「カナダカワウソ」「ビロードカワウソ」(このあたりは日本でも飼育しているところがあるらしい)、大きいものでは2メートルにもなるという世界最大のカワウソ「オオカワウソ」なんていうのもいるんですって。結構種類がたくさんいるんですね。

冒頭にご紹介したのは、たぶんコツメカワウソ。
このコツメカワウソは、カワウソの中でも一番小さい種類で、インド~東南アジア~中国南部に生息しているカワウソです。「コツメ」という名前の通り、ほかのカワウソと比べて爪が小さいんだそうですよ。

どこに行ってもやっぱりカワウソにくぎ付け
数年前、友人を訪ねてシンガポールに行ってきました。
シンガポールの動物園はとっても素晴らしいのですが、ナイトズーに訪れたときに、カワウソくんたちに遭うことができました。kawauso3ううんと、たぶん…。コツメカワウソ?
kawauso2夜だからでしょうか、昼間に増して動きが俊敏な気がします。気のせいか(笑)。
kawauso5あ、この手。やっぱりコツメですよね。
この子たちはカップルでしょうか。いつも一緒に遊んでましたし、一方の子がしきりとこうして私に威嚇をしてきてました。後ろの子を守ろうとするかのように。

それにしても、やっぱりカワウソはいいですね!!

今度近いうちに円空展のために上野に行くので、動物園のほうにもよってこようと思います。また最新写真をアップしますので、ぜひお楽しみに!!

歴史上の人物勝手にベスト10!「かっこいい戦国武将ベスト10」

現在、戦国武将ブームらしいです
さて、今回は、「かっこいい戦国武将」を勝手にあげてみたいと思います。

前回予告では「武将」としましたが、そうするとあまりにもたくさんいるので、「戦国武将」と区切ることにしました。

戦国時代は、ファンもとても多いので、皆さんそれぞれの思い入れがおありと思います。
特に最近では、戦国武将ゲームの人気もあり「戦国ブーム」なんですって。

世の中の戦国武将の人気どうなってるかなあ、と思って調べたら、ぴあで戦国武将特集をやってました。イベントなんかもたくさんあるんですね。知らなかった!

このページのランキングで見ますとこんな感じ。
1位 真田幸村
2位 伊達正宗
3位 前田慶次
4位 織田信長
5位 上杉謙信
6位 直江兼続
7位 石田三成
8位 片倉小十郎景綱
9位 長曾我部元親
10位 明智光秀

こうしてみますと、やっぱりゲームの影響が大きいですよね。
それからゲームもそうですけど、小説や漫画などに取り上げられている人物はより上位に来ているように思います。真田幸村、前田慶次あたりはまさにそうですよね。私も大好きな人物ですが、その実像は実はよく知らなくて、隆慶一郎さんの小説で知っている、って感じですもの。いや、でも、歴史上の人物って、やっぱり誰かに紹介されないとなかなか知る機会がないですものね。創作世界で出会う、というのが当然といえば当然ですね。

そして勝手に「かっこいい戦国武将ベストテン」!
さあ、それでは私も、小説などから得た勝手な思い込み90パーセントの個人的ベストテンをご紹介したいと思います。基準は『私がかっこいいと思うかどうか!』。順不同です。

伊達政宗
本多忠勝
島左近
前田利家
大谷吉継
支倉常長
竹中半兵衛
直江兼続
上杉謙信
徳川家康

悩みましたけども、こんな10人ですね~~~。
伊達政宗は、幼いころから死ぬまでの間、意地を通した、って感じがして好きなんです。戦上手だし、文化的センスも素晴らしい。でもよく言われますけど、生まれてくるのが20年遅かったってやつですね。

本多忠勝は、その勇猛果敢な武将っぷりがたまらなく好きですね。まさに「猛将」。ひょっとしたら私の中ではこの人がナンバーワンといってもいいかも、ってくらい好き。本当に強い武将です。

島左近も、いいですよね~。この人は智将であったとも思いますが、やはり義に生きた猛将というのがふさわしいかな。最後に関が原で討ち死にしたんですけど(諸説あり)、その時のまるで鬼神のような獅子奮迅の恐ろしさに、闘った黒田長政軍の兵士たちは後年まで悪夢を見た、と言われてます。

前田利家も、若いころは猛将です。後年のふるまいから穏やかなイメージが先に来ますけど、若いころは傾き者で有名で、直情型の武闘派だったようですね。さらに当時としては大変な長身で(180㎝)、信長の愛人でもあったそうですよ(加賀藩の資料に信長本人が披露していることが記されてるそうでので本当のことらしい)。

大谷吉継は、「智将」ですね。秀吉の下で数々の功績をあげますが、大変な病(らい病といわれます)のため、一時職を辞しますが秀吉はそれを惜しんで離さなかったといいます。人柄もとても優れていたと伝わっていますが、彼が「義にあつい」とされたのは石田光成との関係。敗けると分かっていたけど、三成のために西軍に味方し、最終的に自害して果てました。

支倉常長は、慶長遣欧使節団の正使だった人。「かっこいい武将ベストテンなのに?」と思う方も多いと思いますが、この人はもともと武将として功績があった人。で、おそらくその意志の強さとか、ハッタリ効く感じとかそういうことから、伊達政宗に抜擢されたんはないかと思うんです。だって、この役割半端なくきついですもの!

竹中半兵衛は、もう何も言わなくていいですよね。智将といえばこの人、って感じですよね。

直江兼続も、はいはいはい、とうなずいてくれる人は多いことでしょう。私の場合、小説なんかでの兼続さん像で惚れ込んだタイプ。義に厚く、頭のいい、教養のある智将ってかんじですね。

上杉謙信。実は武田信玄と迷いました。信玄さんはうちの先祖ゆかりの人でちょっと特別な思い入れがあるのです。でも、上杉謙信のほうが、その矛盾の抱え方とかが逆に人間らしくて好きかなあ、という感じでこちらに一票w。武将としてはもちろん一級の人ですよね。

最後に、徳川家康。ほんと、迷いました。でもこの人はやっぱり武将としてもすごいです。同時代の人からも「海道一の弓取り」と呼ばれたのは伊達じゃない。また、結構知られてないかもですが、一人の武人としてもとても優れていました。剣術・弓術・馬術・砲術などあらゆる武術で一級の腕前だったそうです。何はともあれ、信じられないほどの数の合戦を生き残って天下を取ったというのはやっぱりすごいですよね。

こうして自分が挙げたかっこいい武将を見てみますと、共通してるのは「義に厚い」という部分ですね。
自分のため、という人よりも、何かのため誰かのために覚悟決めて成し遂げた、って感じの人が好きなんですね~。

皆さんのベストテンはいかがですか??
ぜひ教えてくださいね!

そして次もまたベストテン、続く…^^