「アン阿弥陀仏」は「阿弥陀仏阿弥陀仏」?
前回、「アン阿弥陀仏」の「アン」という梵字の意味が「辺際」とある、ということを書きましたが、醍醐寺出身の重源さんだし、と思い、もうちょっといろいろ手元にある本をチラ見しておりましたら…
こちらの本に…
あった!!
胎蔵界五仏の「無量寿如来」の種子が「アン」なんですね~~~!!!
無量寿如来とは、阿弥陀如来のことです。仏教語辞典によりますと、無量寿とは「永遠の生命の仏としての阿弥陀仏をさしていう」とあります。
ってことは、「アン阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏阿弥陀仏」という意味ともとれますね。なんと…
今度N先生に、この言葉の意味について伺ってみたいと思います。
快慶と信仰のこころ
このように、号にもよく表れていると思いますが、快慶という人は阿弥陀信仰の強烈な信仰者だった、そこのところを土台にみてみると、とても理解しやすくなる気がします。
快慶の表現は、ひたすら阿弥陀仏、ひいては仏の世界を顕現化させることにあります。もちろんそれは仏師誰もが目指す理想の形なんだと思いますが、こころの面でもテクニカルの面でも、そのバランスが天才的に突出しているのかなと思います。
『快慶』展の図録に、「快慶と絵様――御仏の相好を写す」(谷口耕生先生の論文)が掲載されているのですが、拝読して、なるほど!と納得しました。
快慶の表現は、平明で端正、親しみやすいものですが、運慶と比べると、形式的で平面的に思われることがあります。しかしそれは、快慶が目指す方向性にその理由があったのかもしれません。
詳しくはぜひ先生の論考をご覧いただきたいのですが、乱暴に要約してしまうと、快慶の造像したものの多くに今風に言えば「原画」(お手本)があった、ということなのです。
重源とのつながりや何かから、快慶はものすごく貴重な画像を見ることができたようなのです。快慶は、できるだけその画像を、忠実に表そうとした、と。
「快慶のように典拠となった画像を特定できる造像例がこれほど多い仏師は珍しい」(図録p215より引用)
他の仏師も、もちろんお手本はあるわけですが、快慶のように原画がはっきりわかるような仏師は少ないとのことなんですね。
やはり、材質の問題や時代の流行や施主の要望やら何やら、様々な要素があるでしょうから、図像そのままに作るということは難しいのかもしれません。仏師の個性もあるでしょうし…
よく考えましたら、仏の姿とは、いったいどうやってわかるんでしょう。実際に見たことがあるわけではないですよね。
仏の姿がどんなふうであるかはお経(経典)などに記されているのですが、もうひとつ、先人がさらにその先人が写した仏の姿をさらに模写して、大切に保存する、そうして場所を越え、時を越えて伝達されていく。そんな図像も伝承されていました。
快慶は、仏の姿をできるだけ雑音を入れずに表現し、この現世に顕現させたかったのかな、なんて思います。
ですから、最も筋の良い(と言っては言い方が悪いですが^^;)、空海が持って帰ってきた画像なら、それをそのまま立体化する。元の図像を正確に、しかし図像をより美しく、尊く、超越した存在として、精いっぱい荘厳(しょうごん)する。その表現に、全力で注力したのではないでしょうか。
(続く)