講演「運慶のまなざし」山本勉先生を聴く②

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平安末期最先端の技術、「玉眼(ぎょくがん)」

先生のお話で、まさに目からうろこなお話はそれこそ山のようにあったのですが、その中で「玉眼」についてのお話がまたすごかったです。

「玉眼」とは何か、と申しますと、仏像の目のところに用いられる技法のひとつですね。

人間の眼球と同じように見えるよう、水晶などを埋め込んで作った目。キラキラ輝いたりして、ほんとリアルなんです。

仏像ファンは、もし、その仏像に玉眼が入っていたらそれは多分平安最末期以降の仏像だな、と思うと思います。つまり、12世紀に出現した、新表現というか最先端技法なんです。
銘がある仏像で、玉眼が用いられている最古のものは、長岳寺の阿弥陀さんだそうで1151年の名だそうなので、だいたいこれくらいから以降に使われるようになっていく技法なわけですね。
20140216-1(『興福寺仏頭展図録』より。表紙転載)

前後してしまいますが、あまりにも有名な旧山田寺仏頭。こちらは、鋳造されたお像なので、「彫」眼というのとは違うかな、でも玉眼でない表現の参考として見ていただければと思います。 玉眼という技法が現れる前までの仏像は、木彫にしてもこのような表現だったわけですね。
#またまた「興福寺仏頭展」図録の表紙の転載、ということでお許しください。

運慶は表現として「彫眼」と「玉眼」を使い分けていた!
先生のお話は、この玉眼、という視点から運慶の表現に迫る、というものでした。

山本先生のお話ですと、どうも運慶は、玉眼と彫眼(彫っただけの目)という技法を、ものによって使い分けてるのではないか、とおっしゃるのです。

おおお!

な、なるほど!!!

いや、実際、使われてるものとそうでないものがあるのはなぜ?と思ってはいたんです。でも、少ない制作費で本を作ってきた人間のサガでしょうか「ひょっとして予算がなかったのかな…」なんて、せこいこと考えてたんです。

……そんなことはないっすよねw。

施主さん、大物ばかりですもんね^^;;。

先生のお話では、運慶は玉眼という技法を十分に使いこなし、表現の選択として用いていたのではないかというのです。

玉眼というのは、非常に生々しく、写実的な表現を可能にします。

ですから、人ではなくなった超越した存在である「如来」、またそれに届こうかとする存在「菩薩」には、あえて玉眼は使わず、怒りの表現でもって人々を導く「明王」、神様が仏法に帰依した姿である「天部」 、またお坊さんの姿である「羅漢」「祖師」像などには玉眼を用いる…と。

なるほど!
そういうことなんですかあ。納得!

しかし、見ていくとどうもこの単純なルールだけでもない、ようなんです、と言い出す山本先生。

え!
じゃあどんなルールが!?

(続く)

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